第21話 携帯電話の向こう側

 両親がある日突然世界一周旅行に出掛けた時も、事後報告だった僕は文句を言わずに家の一切を代行した。


 面倒な会議も会食も慣れない愛想笑いで何とか乗り切った。

 家の事だからと時間を削られても我慢した。


 まあその反動でいつか一人暮らしを……と密かに画策し始めたわけだけど。


 で、三回目の世界一周に行ったよと聞かされた時点で僕の腹は決まった。


 全く、僕が何でも甘んじると思ったら大間違いだよ。






 サクラの悩みはきっと僕じゃ到底解消はできないだろうけれど、気分転換にはなったみたいだ。

 彼女はすっかり落ち着いて、気持ち良さそうに鼻歌を歌っている。


 ――お風呂で。


 こればっかりはテレビを観ていても聞こえてくる。

 聖歌隊さながらの綺麗な歌声は心が洗われるようだ。

 でもさ、湯けむりの中の彼女を想像すると洗われない部分も……。もんもん。


「し、静さんは今日は遅いのかなー?」


 敢えて携帯じゃなく小さいながらも備え付けの置き型テレビで居間でバラエティーを視聴する僕は、雑念を散らすように隣室との壁を一瞥する。

 先程の騒ぎを聞き付けて首を突っ込んでくるかと思いきや、隣室の女子大生は留守のようだった。

 さっき一応訪ねて確かめもした。

 朝はサクラの世話を焼いてくれたって言うし、一度お礼を言いたかったんだけど明日に回すしかないかな。


 静さんが貸してくれたって言う携帯は今はテーブルの上に置かれている。


 何気なく見ていると、何とその画面がぼんやりと輝き出した。


「えっ着信? どうしよ」


 知らせに行こうにもお風呂を覗いてるなんて勘違いされたら嫌だしなあ。


 と、ここで違和感。


 携帯電話は音も鳴らないし震えもしないのだ。


 どんなモードにしているにせよ着信時には何かしらのアクションがあると思うんだけど?


 加えて、画面が映すのはフラクタル画像のようなものが背景を漂う不思議な光点だ。

 僕のなんかは画面がパッと明るくなるけれど、これは特殊仕様なんだろうか。

 その幻想的な光はまるで到達先を探すように彷徨い、やがて出口を見つけたかのように画面に接近してきた。

 光が溢れるように広がる。


「わっ眩しッ」


 それが消えると次は――ピョロロロロロ、ピョロロロロロ……♪


「え、まさか、着信音?」


 何とも気の抜ける微妙な音が鳴った……。

 たぶんサクラはいじってないだろうから静さんの趣味だろう。


 今度は違和感ない通常画面に切り替わり、掛けて来た相手の名前が表示された。


 ――――ミカエル、と。


「ミカエルってさっきのミカエル君?」


 でも番号を交換している様子や時間はなかったから、別人?

 でも何てタイムリーな。


 他人への電話だし家族でもないしで取るか否か僕が迷っていると、


「何の音ですかこれ? 電話みたいですけれど」


 サクラがお風呂から上がってきた。

 頭にタオルを巻いた、うなじもろ見えスタイル!

 上気した頬がぐっとくるね!


「いい所に! そうそう君の携帯が鳴っててさ」


 僕は慌てて小さな筐体きょうたいを手に取ると、彼女へと手渡した。


「……私に、電話、ですか……?」


 うわあ~ふわりといい匂いが……!

 自分のだと全然わからないけれど、他の人、とりわけ美少女から香る石鹸とかシャンプーの香りって格別!


 一方、彼女は心当たりがないのか困惑したように画面を見つめ、数秒後に何故か表情筋を固定。

 そしてそのまま電話を切った。


 目にも止まらぬ一瞬の指操作、いや指捌きだった。


「な……ええっ!? 切っちゃっていいの!?」

「え? ああっつい……!」


 すると電話がまたピョロロロロ……と鳴り出した。


「何だ、良かったね。相手がまた掛け直してくれたんじゃない?」


 けれど彼女は着信画面を見たまま何故か出ようとしない。

 ごくりと息を呑み、戦慄にも似た目で手の中の携帯を見下ろしている。


「出ないの……? ああ、嫌な相手とか?」


 借り物の番号を知ってるって事は連絡して教えたって事だよね。

 だから掛けて寄越したんだろうし。


「嫌、ではないのですけれど……」


 未だに着信は鳴り続けている。

 奇妙な緊張の中サクラは気まずそうな面持ちだ。

 僕はそんな彼女を見ているのが心苦しくなってくる。

 折角気持ちが浮上したって言うのに。


 ピョロロロロ、ピョロロロロ、ピョロロロロ……。


 しつこいくらい電話は鳴り続けている。

 これだと切っても切ってもまた掛かって来そう。


「僕が、出るよ」


 進み出てゆっくりと腕を伸ばす僕を、彼女は驚いたように見据えた。


「ですが、この相手は……」

「一度は出てみないと」


 渋るサクラは、けれど同意見ではあったのか、僕の開いた掌に携帯を置いた。

 僕は小さく頷いて画面をタップして通話を開始する。


「……もしもし?」


 息を殺すようにして敢えて低い声を出し、少しでも相手に嘗められないようにした。


「ひ」


 ひ?


「――――ひぎゃああああああああああああッッ!!」


 ブッ。


 ツー、ツー、ツー……。


 …………。


 ……あれ? 何だろう?

 聞き覚えのある声だったような……?

 あはははまさか。

 同じ名前でも別人だよねー?


 でも、どうしていきなり悲鳴なんか?


 サクラの鼓膜を攻撃する気だったんだろうか。


「あの、こちらにまで絶叫が聞こえてきましたけれど、お耳、大丈夫ですか?」

「へ、平気だよ」


 その後も僕は苦労して平常心維持に努めた。

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