第7話 昭和のにほい

 ほかほかと湯気を立てて僕がお風呂から上がると、サクラはテーブルの前に座って一人瞑目していた。


 お祈り?

 そう言えば食事の時も食前食後の感謝を捧げてたっけ。クリスチャンなのかな。


 しかも何だろうこれは、周囲の空気だけがまるで清冽な気を宿してでもいるかのように輝いて見える。

 ダイヤモンドダストのようなキラキラが彼女を護るように周りを囲んでいる。火の玉でも蛍でもないし、まさかの妖精とか? 嫌な感じは一切しない。

 とても不思議な光景に、僕はしばらく声を掛けられずに彼女を見つめていた。


 と、ようやくサクラがゆっくりと瞼を上げる。


 余程集中していたのか、僕の姿を見てびっくりしたように琥珀色の両目を瞠った。


「ごめんなさい気付きませんでした」

「あ、ええと、お風呂空いたから、どうぞ」


 いつから勝手にそこで見ていたの?と問われてもいるようで、何となく言葉がぎこちなくなった。

 きっと彼女はそんな事は思ってなかっただろうけれど。


「ああお風呂ですか。お風呂!」


 サクラは楽しげに頬を緩めた。某猫型ロボットアニメのヒロインみたいに風呂好きなのかもしれない。


 さて、結論から言おう。


 彼女は――ユニットバスを知らなかった。


 あれは午前中というか朝ごはんの皿洗いの後、彼女がそわそわし出したのがきっかけだった。


「どうかした?」

「あの、その、お手洗いをお借りしても?」

「ああ、いいよいいよ。そう言えば案内してなかったね。トイレは洗面所の奥の部屋だよ」


 狭い所だと洗面所もユニットバスに組み込まれていたりするけれど、うちの場合は別だった。


「お風呂も一体化してるからちょっと狭いけど」

「一部屋で二つの機能! まあなんて便利なのでしょう!」


 狭い部屋を一応一緒に行って説明するとサクラは感激した。


「依然暮らしていた場所では浴室は浴室オンリーの無駄に広いだけの所でしたから、もしもお手洗いに行きたくなってもいちいち距離があって面倒だったのですよね」

「あ、へえぇ」


 大浴場が家にあったの!? 凄いなおいいっ! ま、疑問は浮かんだけど薮蛇は御免だから深掘りはしないでおく。


「僕的にはお風呂とトイレは別々の方が嬉しいんだけどね」

「そうなのですか? お風呂やトイレが別々でも建物の外にあるととても不便ですよ?」

「え……外?」


 それは田舎の古い家屋に今でも残っているような造りじゃあないだろうか。

 広い浴室がある凄いとこに住んでたんじゃないんだろうか。この子って見た目お嬢様なのに、案外生活環境は昭和?

 うーんわからない。

 彼女は謎だった。


 まあとにかく、僕は彼女の分のバスタオルを用意し、彼女は彼女で衣服の入った紙袋の中から綺麗な着替えを取り出した。

 もちろん下着も含む。


 女性用の下着は、隣室の大学生――しずかさんから借りた。


「お願いします静さん。何も訊かずに下着と女子用着替え貸して下さい」

「お主……通報されたいのかや?」

「え? ――あ。いや違いますって! 女の子の友達来ててそれで着替えが必要で!」

「着替えが必要なことでもしたのかや~?」

「してないですしてないです」


 隣室を訪ねた僕が焦るのを見て静さんは可笑しそうにした。揶揄からかわれてるなこれは。

 と言うか部屋に居てくれて良かったあああ。

 美人な猫のようなイメージの静さんは、部屋着のジャージ姿でも絵になる。


「にしても女子じゃとお~? お主ぃ連れ込んだなああ?」


 鋭く突いて来た。


「いや連れ込んだんじゃなくて向こうが強引に……」


 嘘をつけず正直に吐露すると、静さんは腰に手を当て「ほうほう、押し掛け女房か、それでは仕方がないなあ~」とにやにやしつつも紙袋にシャツやら一式を詰めてくれた。


「じゃあその女子を一度連れといで」

「何でですか?」

「……」

「あの、駄目だこいつみたいな目をしないで下さいよ。理由がわからないと」


「ブラのサイズは?」


「へ?」

「だから、その子のブラのサイズは? 知ってるなら連れて来なくていいよ」

「ししし知りませんよそんなの!」


 今日会ってまだそんなに経ってないし、経っててもサイズを知るような濃密な関係には発展しないだろう。


「甲斐性のない……」


 散々な言われよう。

 まあ事実なんでいいですけどね!


「女子諸君にとっての下着のサイズはとっても大事なんだよ、少年」

「……わかりました」


 そう言うわけでサクラを隣室に連れてって僕は自分の部屋で待機したわけだけど、


「あっあのあのあのっ、――っふやあああーん!」


 隣りの壁越しにサクラの切羽詰まった声が聞こえてきていた。


「……ただいま帰りました。お洋服をお借りできて助かりました。お心遣いありがとうございます」


 紙袋を手に、どこか疲れたというか何かを失ったような顔で戻って来たサクラに、僕はしばらく何も声を掛けられなかった。

 ただ、彼女は涙ぐんで僕を恨めしそうに見つめてきたけれど。


 ……と、そんな日中の出来事を思い返す僕は、なるべく水音とかを聞かないようにケータイで観ていたテレビの音量をやや上げた。


 女子が自分ちのお風呂に入ってるってだけでもドキドキする。


 ああもう、煩悩退散っ!!

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