9―17

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「いらっしゃいませー!」


 店内に若いウェイトレスの声がこだました。

 暗くなった頃に3人のウェイトレスがやってきて、客もチラホラと入ってくるようになった。


 店の中は薄暗い。

 暖炉の明かりと先ほどリリアが持って来て窓際に置いたランタンのような手提げランプしか周囲に光源が無いのだ。

 他にもカウンターの近くなど、店の数箇所に同じランプが置かれている。


「そう言えば、デニスさんたちは、この店に来ないの?」

「ああ、あいつらは、女が酌をしてくれる店に行ってるよ」

「へぇ、そんな店が?」

「あら? ご主人様もそういう店のほうが良かったかい?」

「いえ、そういうわけじゃないけど……」


 正直に言うと、そういう店は緊張しそうなので、この店のほうが良かったと思う。


「ふふっ、あたし達がいくらでもしてあげるわよ?」

「そうですわ。お酌なら任せてくださいな」

「いや、緊張するからいいよ」

「どうして緊張されますの?」

「『紅梅亭』でも風呂でお酌されたけど、慣れてないから緊張したよ……」

「まぁっ、お風呂でお酌なんて……羨ましいですわぁ……」


 店内を見ると結構混んで来ている。

 といっても、テーブル席には客はおらず、カウンター席の客ばかりだったが。


「明日は、早いんだよね?」

「7時に門に集合です」

「じゃあ、そろそろ部屋に行こうか?」

「分かりました」

「そうですわね」

「そうしよう」

「あの……あたしもご一緒してもいいですか?」

「もう、いいのですか?」

「はい。ご主人様に買って貰ったことにします」

「分かりました」


 僕は、リリアの前に金貨を1枚、実体化した。


「それはチップです」

「え? こんなにいただけませんよ……」

「気にせず、取っておいてください。後でまたいくらかお渡しします」

「あ、ありがとうございますっ」


 リリアが涙ぐみながら金貨を取って、腰の袋に入れた。


「じゃあ、部屋に行こう」

「ええ」

「はい」

「分かりました」


 僕は立ち上がって入り口付近にある支払いをすると思しきカウンターへ移動する。

 エルフのフェリスが居るからか、カウンターに座った男達やウェイトレスから興味深げな視線が僕たちに集まった。


「お会計です」

「今行く」


 中から、金髪で髭面の男性が出てきた。

 歳は50歳くらいだろうか?

 髭面なので少し老けて見えるだけかもしれない。身長は180センチメートルくらいありそうだ。ガッチリした体格だが太ってはいない。


「お嬢様……」

「はぁい、ロラン」


 レーナがヒラヒラと手を振った。


「お会計をお願いします」

「あたしが払うわ」

「お嬢様からは、頂けません。旦那様に怒られてしまいます……」

「僕が払いますので、受け取ってください」

「……畏まりました」


 ゴツイ髭面の割にロランは、執事のような立ち居振る舞いだった。

『エドの街』では、ちょっとした無精髭はともかく、口髭などの髭をした人はたまにしか見なかったが、こっちでは成人男性の大半が髭面のように感じる。おそらく、文化の違いだろう。


「金貨1枚と銅貨7枚になります」


 僕は、金貨1枚と銀貨1枚を実体化させた。


「少ないけど、残りは取っておいて」

「……ありがとうございます」


 憮然とした表情でロランは頭を下げた。

 逆に失礼だったのかもしれない。もしかすると、若造に施しを受けたとプライドが傷ついたのだろうか……。元からそういう顔なのかもしれないし、髭もあって表情が読めない。仮に反感を買ったのだとしても今さらどうすることもできない。


「宿泊の手続きは何処でするの?」


 僕は、リリアに聞いてみた。


「はい、こちらです」


 リリアがそう言って、玄関近くの通路へ向かった。

 僕は、【フライ】で飛行してリリアの後を追う。


 トイレだと思っていたところは、10メートルくらいの長さの廊下に続いていた。

 廊下は薄暗く、一定の間隔でランプが壁に吊してあった。店内で使われていたものと同じ手提げランプのようだ。

 廊下の途中に扉があった。そこは、トイレのようだ。

 廊下を真っ直ぐに進むと左側に別のカウンターがあった。

 カウンターの上にはベルが置いてある。上部のボタンのような部分を押すとチンと鳴る器具だ。


 ――チン


 リリアがベルを鳴らした。


「はーい」


 奥から中年女性が出てきた。


「あら、リリア。お客さんだね」

「ええ」

「レーナ様たちも居るのね」

「ベラ。ちょっと早いけど、部屋を頼むわ」


 レーナがそう言った。


「分かりました。この人数だと2部屋必要かしら……」

「1部屋でいいわよ」

「そう?」

「部屋は使わないから」

「どういう意味です?」

「こちらのご主人様が持っておられる部屋で休むから」

「あらあら、レーナ様にもいい人が出来たのね」

「違いますわよ。わたくしたち全員のご主人様ですの」

「まぁっ、こちらそんなに凄いお方なの? お名前をお聞きしてもよろしいですか? あたしはベラといいます」

「ユーイチです。よろしくお願いします」

「可愛いお顔をしておられるけど、見た目通りの年齢じゃないのでしょうね」

「いえ、僕は17歳です」


 こちらの世界は、数え年が普通らしいので、数えで年齢を言った。


「お若いのねぇ……」


 ベラが目を丸くして言った。何故か意外だったようだ。

 もしかすると、仕事柄、様々な冒険者を見ているからかもしれない。

 装備や僕が【フライ】で浮いて移動していることから、熟練の冒険者だと思ったのだろうか。


「では、大部屋を一つお取りしますね。金貨1枚いただきますわ」


 僕は、金貨を1枚と銀貨を1枚カウンターの上に実体化させた。

 先にチップを払っておこうと思ったのだ。


「取っておいてください」

「ありがとうございますわ」


 ベラは、お金を取って、後ろの壁から鍵を取ってきた。


「105号室です」


 そう言って、鍵をカウンターに置いた。


「こちらです」


 リリアがその鍵を取って先導する。

 この建物は、先ほどの酒場の別館のようになっているようだ。

 カウンターの近くの廊下には階段があったので、二階もあるのだろう。

 外から見たところでは、そう高い建物には見えなかったので、おそらく2階建てだと思う。

 上の階が魔法建築物になっている可能性もあるが、宿泊料金からしてそんなにお金をかけた建物とは思えない。


 1階の廊下を歩いて行き、5つ目の扉の鍵をリリアが開けた。奥には、まだ2つの扉が見えた。部屋は、107号室まであるようだ。

 ここに来る途中、104号室が普通にあった。日本語が共通語のようになっているとはいえ、元の世界とは文化が違うようだ。


「さぁ、お入りください」


 リリアに誘われて僕は105号室に入った。

 部屋の中は真っ暗だった。


「今、明かりを点けますね」

「いや、いいよ」


【ライト】


 僕は天井に【ライト】の魔術で光源を設置した。


「わぁ……」


 部屋には、質素なベッドが片側4台ずつ合計8台置いてある。

 部屋の中央には、テーブルがあり、その上にはランプが置いてあった。

 このランプは、卓上用のためか、店内や廊下に設置してあったものとは違い、手提げ用の取っ手が無く上部が空いていた。

 金属製の台座の横にはツマミが付いている。油を入れるための蓋もあった。上の部分はガラスでできている。


『どうやって火を灯すんだろ?』


 僕は、興味があったので、ランプを観察してみる。

 ツマミを回すと中の芯が出たり入ったりするようだ。灯油ストーブのような構造らしい。

 着火ボタンのようなものはない。

 上部のガラスを回してみると外すことができた。

 おそらく、芯を出してガラスの部分を取り外してマッチなどで火を点けるのだろう。

 原理が分かったので、僕はランプをテーブルの上に戻した。


 部屋の奥には窓があった。

 窓際へ移動する。

 月明かりもなく、窓の外は暗くてよく見えない。


【ナイトサイト】


 僕は、暗視魔法の【ナイトサイト】を起動した。

 窓の外には、湖が見える。

 この宿屋は、宿泊客が湖を眺めることができるように作られているのだろう。


 僕は、【ナイトサイト】を解除して入り口のほうを見る。

 全員が部屋の中に入っていて、入り口の扉には鍵が掛けられている。先ほど背後で扉が閉まり施錠する音が聞こえたのだ。普通の人間だった頃なら気付かないような音や気配でも気付くようになったと思う。


『ロッジ』


 僕は、窓際の空間に『ロッジ』の扉を召喚した。


「――――!? 扉がっ……」


 驚いたリリアに向かって、『ロッジ』の扉を開けて、中に入るように促す。


「この扉の中に入ってください」

「は、はい……」


 彼女は、緊張した表情で僕の前を通り過ぎて扉の中に入った。

 僕も続いて中に入る。


 リリアは、入ったところで立ち止まっていた。

 僕は、彼女を追い越していつもの席に反対向きに座った。


「リリアさん、こちらへ来てください」

「はっ、はい!」


 僕の前にリリアが立った。


「リリアさん、本当に僕の使い魔になってもいいのですか? 僕の命令には逆らえなくなりますよ? ある意味、奴隷よりも酷い存在なのですが?」

「刻印を刻んでいただけるのでしたら、何でもしますわ」

「でも、刻印を刻むと子供を産むことはできなくなりますし……」

「あたしは、子供が産めない体なんです……」

「どういうことですか?」

「今までに2回妊娠したことがあります。でも、流産しました。それから妊娠しない体になってしまいました……」

「よかったら『女神の秘薬』を差し上げましょうか?」

「お願いですから、あたしをご主人様のものにしてください!」

「でも、あなたには、ご主人が居られるんですよね?」

「居ません! あの男は夫なんかじゃないです」

「でも、貢いでおられるのですよね?」

「そうしないと、酷い目に遭いますから……」

「その人と別れたいのですか?」

「ええ、そうです……あの男から逃げたい……そのためにお金を貯めようとしていたんですが、見つかって巻き上げられました……」

「妊娠したことがあると言っておられましたが、その人が相手ではなかったんですか?」

「……はい……」


 何か複雑な事情があるようだ。あまり詮索しないほうがいいだろう。


「本当によろしいのですね?」

「はい!」

「分かりました」


 僕は振り返って、フェリスを見る。


「フェリス、リリアさんに刻印を刻んであげて」

「畏まりましたわ」


 フェリスがテーブルを回って僕の前に来た。既に全裸だった。

 僕は、目を逸らす。


「あらっ? ご主人サマ、どうして目を逸らされるのですか?」

「いや、悪いし……」

「何も悪くありませんわよ」

「いいから、リリアさんに刻印を刻んで」

「フフッ……」


 フェリスが僕の隣に座った。


「さぁ、服を脱いでテーブルの上で横になってくださいな」

「は、はい……」


 リリアが服を脱ぎ始めた。

 僕は、慌てて下を向く。


「見てあげたほうが彼女も喜びますわよ……?」


 フェリスが耳元で囁いた。


「もう、からかわないでよ……」

「相変わらず、可愛い御方ですわね」


 ――チュッ


 頬にキスされた。

 ほぼ同時に絹擦れの音が終わる。


「ご主人様……」

「何ですか?」

「……やっぱり、あたしの裸なんか見たくないですよね?」

「いえ、見たくないわけではなくて……その、恥ずかしいというか……」


 リリアに頭を抱きしめられる。


「ぶっ……ちょ……」

「ああ……ご主人様、ありがとうございます……」


 リリアは、普通の人間なので強く抱きしめられても大した圧力を感じない。

 しかし、普通の人間だからか刻印を刻んだ者に比べて体臭が強かった。これは、僕の嗅覚が鋭くなっていることもあるだろう。

 彼女の体臭は、決して嫌な臭いではない。

 汗の匂いに混じった女性特有の香りを感じて、僕はドギマギする。


 そういえば、『ロッジ』の扉を戻すのを忘れていた。宿の部屋の中ということもあって、警戒していなかったのだろう。


 僕は、『ロッジ』の扉を『アイテムストレージ』へ戻した。

 自動清掃機能が働きリリアの身体から体臭が消え去った。匂いの原因となる物質が消去されたためだ。


「……あの……僕にも新しい使い魔が増えるというメリットがあるので気にしないでください……」

「はい、お役に立てるよう頑張りますわ……」


 そう言って、リリアは僕から身体を離した。


「テーブルの上で横になればいいのですね?」

「そうですわよ」

「では、ご主人様失礼します」


 リリアは、僕の横から長椅子を踏み台にしてテーブルに上る。


「失礼いたしますわ、ご主人サマ」


 フェリスが立ち上がり、同じようにテーブルに上った――。


 ◇ ◇ ◇


「ふぅーっ」


 僕は、湯船の中で息を吐いた。

 あの後、『ハーレム』の大浴場でリリアの乳房を吸って母乳を飲んだ。

 それにより、僕が居なくても『紅梅亭』で使い魔にすることができると思う。

 また、使い魔たちにはトロール討伐にも行って貰った。

 それにより、所持金が1億ゴールドを超えた。初の億超えだ。

 何か贅沢な装備でも作ろうかと思ったのだが、今のところ必要なさそうなので何かアイディアが浮かぶまでお金は貯めておくことにした。


「リリアさん」

「ご主人様、あたしのことはリリアと呼び捨ててください」

「じゃあ、リリア」

「はい……」


 ――ザバッ


 リリアが立ち上がる。


「いや、座ったままでいいですよ」

「も、申し訳ございません……」


 ――ザバッ


 リリアが膝立ちの状態となる。

 彼女は背が高いので腰の辺りまでが完全にお湯から出てしまっている。


『トレード』


『魔布の白無垢』、『竜革の白草履』、『魔布の黒ブラジャー』、『魔布の黒Tバックパンティー』、『魔布のクローク+10』と100ゴールドを渡す。

 リリアは、娼婦になると決まったわけではないので、1万ゴールドではなく当面の生活費100ゴールドを渡した。


「そんな……頂けませんわ」

「僕の使い魔になりたいのなら受け取って」

「……はい。ありがとうございます。ご主人様」

「そのお金は、当面の生活費だと思って」

「ありがとうございます」


 僕は、目を閉じてお湯を堪能する。


 ――ザバッ、ザバザバザバザバ……


「失礼します」


 ――ザバッ


 リリアが僕の背後に回り込んで湯船に腰を下ろしたようだ。


「あのっ……。よろしければ、あたしを自由にして下さい……」


 耳元で囁くようにリリアが聞いてきた。


「それは、いいよ……。リリアに魅力がないとかじゃなくて、僕にはまだ早いと思ってるんだ……」

「では、せめて枕としてお使いください……」


 そう言って、リリアは背後から僕を抱き寄せた。


 ――ムニュ……


 後頭部が柔らかい感触に包まれる。


 僕は、そのまま朝まで湯船で過ごした――。


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