9―2

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 巨大な女神像の背後には、両開きの扉があった。

 案内の女性は、その扉を開けて、中に入っていく。僕たちもその後に続いた。

 そして、廊下を少し進んだところにある扉を開けて中で待っているよううながした。


「こちらでお待ち下さい」


 僕たちは、部屋の中に入った。

 部屋の中は、5×3メートルくらいの空間で真ん中に長方形のテーブルがあり、周囲には椅子が並んでいた。

 調度品などが無い質素な部屋だった。部屋の壁は石積みで窓もない。

 天井には、【ライト】のような光源が4箇所に設置してあった。


 僕は、テーブルの奥側に回り込んで真ん中付近の椅子に座った。

 僕の背後に使い魔たちが並んだ。


「座ったら?」

わたくしは、護衛ですから」

「私もです」


 フェリアとレイコがそう言った。


わしは、主殿あるじどのの隣に座らせていただこうかのぅ」

「あたしは、先輩がたを差し置いて座れません」


 ユウコは、僕の左隣の席に座った。アンズは立ったままで居るらしい。

 好きにさせた。ここで座るように言うと、かえって気を遣いそうだからだ。刻印を刻んだ体なら何時間でも平気で立っていられるはずなので、そういう点でも無理に座らせる必要はない。


 ◇ ◇ ◇


 しばらくして、入り口の扉が開いた。

 二人の女性が入ってきた。どちらも白いローブを着て長い髪をしている。

 一人の女性は、刻印を刻んでいるようだ。外見年齢は、30代半ばくらいで、身長は165センチメートルといったところだ。ローブの下の胸は、かなり大きそうに見える。

 もう一人の女性は、刻印を刻んでいない普通の人間で、年齢は20代前半くらいだろう。身長は160センチメートルくらいだ。ローブの胸のふくらみは慎ましい。


 僕は、椅子から立ち上がった。

 ユウコも僕に続いて立ち上がる。


「ユウコ様!?」

「久しぶりじゃのぅ、トウコ」


 トウコと呼ばれた女性は、ユウコが居ることに驚いたようだ。

 顔が広いユウコを連れてきて正解だった。表向きには『エドの街』の最大戦力と言われるユウコを連れていれば、相手も大きく出ることはないだろう。


「よくお越しくださいました。わたくしは、この街の『女神教めがみきょう』の教主を務めておりますトウコと申します。お見知りおき願います。こちらは、私の従者のミユキです」

「ご教主さまのお側に仕えております。ミユキと申します」


 僕は、フードを上げて自己紹介をする。


「初めまして、ユーイチと言います」

「こちらの主様ぬしさまより、『夢魔の館』を任されているスズキ家のレイコと申します」

「スズキ家の方でしたか。ユーイチ様は、どちらの商家のご出身なのですか?」

「僕は、商家の生まれではありませんよ。それどころか、この世界の生まれでもありません」

「――――!? それは、マレビトということでしょうか?」

「ええ、その通りです」

「他のお連れの方は?」

わたくしは、ご主人様の護衛です」

「あたしは、ここの孤児院で育ったアンズです」

「まぁ、そうでしたか」

「それで、ご用件というのは何でしょうか?」


 僕は単刀直入に聞いた。


「はい。最近、『夢魔の館』という娼館の話で持ちきりなものでして、我々と協力できないものかと考えております」

「協力……ですか……?」

「はい。あなた方は、娼婦を1万ゴールドで買い取り、【エルフの刻印】を授けておられるそうですね?」

「まぁ、大まかに言えばそうです」

「素晴らしいですわ。わたくしども『女神教』の教団にとって、刻印は常に懸案事項だったのです」

「どういうことですか?」

「教団は、皆様からの献金によって成り立っております。しかし、その収入だけでは幹部への刻印付与まで、なかなか手が回らないのです」

「貴方は、刻印を刻んでおられるようですが?」

「はい、わたくしを含め、数名の者しか刻印を持っておりません」

「そういえば、レイコ。教団の幹部の人がウチに来たって言ってたよね?」

「はい。娼婦候補者の中に『女神教』の者が数名おりました」


 レイコが僕の質問に答えた。


「その者たちは、刻印を目当てにそちらに行ったのです」

「身柄の引き渡しを希望されるのですか?」

「いえ、事を荒立てるつもりはありません。その者たちも除名したりはしておりませんし」

「それで、協力というのは?」

わたくしども教団の者たちに刻印を授けてはいただけませんでしょうか?」

「【エルフの刻印】でもいいのですか?」

「はい、『女神教』の入信者たちの多くが刻印を目当てに入団してくるのです」

「え? そうなのですか?」


 少し意外だった。何となく盲目的な信仰をしている人ばかりなのかと思っていたからだ。


「勿論、女神様への信仰心はあります。その上で刻印を授けてもらい、永遠の若さを手に入れるというのは、『女神教』の教団員にとっては至極当たり前のことなのです。恥ずかしながら、わたくしもそうでした」


 割と俗っぽい理由で教団に入るようだ。


――それはともかく、この話はどうしたらいいだろう?


 際限なく刻印を施すのはエルフの例もあるし止めておいたほうがいいだろう。

 10万ゴールドで【冒険者の刻印】を販売している『組合』にもダメージがあるだろうし……。

 それに僕たちには、メリットがない話でもある。『女神教』に恩を売ることで利益を得られるかもしれないが、それが必要とは思えない。


「なるほど。話は分かりました。しかし、その提案を引き受けることはできません」

「どうしても駄目でしょうか?」

「ええ、刻印が欲しいのでしたら、ウチに来てください。その上で教団でも働けばいいでしょう」

「我々に娼婦の仕事をしろと?」

「そこは問題ではありません」

「では、何が問題なのでしょう?」

「僕たちが刻印を刻む女性には、僕の使い魔になってもらうことが条件なのです」

「使い魔ですか?」

「モンスターを手下にすることが出来る召喚魔法という魔力系の魔術があるのですが、その魔術はモンスターだけではなく刻印を刻んだ者にも効果があるのです」

「そのようなことが……」

「ここに居る人たちは、みんな僕の使い魔です」

「ユウコ様もですか?」


 僕に代わってユウコが答える。


「そうじゃ、儂は主殿の使い魔じゃ。使い魔というのは、奴隷のようなものじゃが、本人が心の底から望んで奴隷となっておる者たちじゃ」

「ユウコさん、それ本当なのですか?」

「なんじゃ主殿? 疑うのかぇ?」

「ユウコさん自身は、そこまで思ってます?」

「勿論じゃとも。主殿のためなら何でもできるぞぇ? この身が主殿の奴隷じゃと考えただけでもゾクゾクするしのぅ」


『単に変な人のような……?』


「貴方様は、一体何者なのでしょう?」

「といわれましても……先ほど言ったように数ヶ月前にこの世界に来たばかりの人間なのです」

「たった数ヶ月でユウコ様を奴隷にしてしまうなんて……マレビトというのは、貴方様のように優秀な方ばかりなのでしょうか?」

「僕の場合は、フェリアのおかげなので、僕の力はそれほどでは……」

「いいえ、ご主人様の才能あってのことです」


 いつものようにフェリアがフォローを入れる。

 僕は、話題を変えた。


「少し聞きたいことがあるのですが?」

「何でございましょう?」

「回復系魔術と女神の関係とは、どのようなものなのですか?」

「はい。女神様への信仰が厚い者ほど回復系魔術に長けると言われておりますわ」

「僕は、正直言って女神なんてこれっぽっちも信じていません。元の世界でも神様なんて信じていなかったし、そういう超越者が存在するとは思えないんですよね。存在の確たる証拠もありませんし。ですが、僕は回復系魔術が使えますよ?」

「ユーイチ様は、魔力系の魔術師なのですよね?」

「はい、魔力系の魔術も使えます」

「それなのに回復系の魔術も使えるのですか?」


 フェリアが再度口を挟む。


「ご主人様は、おそらく史上初の全系統の魔術を使えるようになったお方です」

「そんなことが!?」

「驚くほどのことではありませんよ。魔術の素質は、刻印を刻んだ者なら誰もが持っているのです」

「そうなのですか?」

「はい。僕がステータスと呼んでいる能力があるのですが、その中に『魔力』、『精霊力』、『神力』というものがあります。これは、人によってそれぞれ高い人や低い人が居るわけです。そして、一定のレベルに達しているとレベル1の魔術が使えるわけです」


 僕は一呼吸置いてから話を続ける。


「例えば、『神力』のパラメータが10でレベル1の回復系魔術を使えるとして、刻印を刻んだときに9しかない人には使うことができません。そして、魔術が使えない人は、ずっと9のまま成長しないのです。しかし、最初から10でレベル1の魔術が使える人は、戦闘経験を積んでいけば、10が11になり、12にと成長していきます。そして、レベル2以降の魔法が使えるようになっていくわけです」

「なるほど、そういう仕組みでしたのね」

「しかし、9を10にする方法がないわけではありません」

「それは、どうすればいいのでしょう?」

「母乳を飲むのです」

「え……?」


 トウコは理解できないといった顔をする。


「刻印を刻んだ女性の母乳には、僅かに魔力が宿っているそうです。それを摂取していれば、そのうち魔法が使えるようになるということです。母乳を飲んだ場合、全てのステータスがほんの少しずつ成長するので一つ上げるのも大変です。でも、母乳を与える女性が物凄く強い高レベルな冒険者なら成長も早いですよ」

「本当にそのようなことがあるのでしょうか?」

「僕が実例です。僕は、魔力系と精霊系の魔術しか使えませんでしたが、フェリアの母乳を飲んでいたら、回復系の魔術も使えるようになりました」

「なるほど、つまり魔術で信仰の度合いを計るのは間違いということですね?」

「もしかすると、刻印を刻んだ直後の能力については関係があるのかもしれませんが、そうやって後でレベルアップしていけるということです」

「ユーイチ様は、回復系魔術はどのレベルまで使えるのでしょう?」

「『組合』で販売している魔術でしたら、レベル5まで使えます」

「それは素晴らしいですわ」

「戦闘経験を重ねれば、能力は高くなっていきますから」

「戦闘や母乳を飲む以外に能力を成長させることはできないのでしょうか?」

「未確認ですが、おそらく刻印を刻んだ男性の精液にも同じような効果があると思われます」

「そうですか……」


 トウコは、俯いてそう答えた。僕が男性の精液と言ったときに嫌悪感を感じたようだ。もしかすると、男嫌いなのかもしれない。


「他には、特殊な事例ですが、使い魔になれば勝手に成長します」

「それは、どういうことでしょう?」

「ここにいるのは、僕の使い魔たちですが、全員が全ての系統の魔術を使うことができます」


 ユウコが補足する。


「儂は、魔力系の魔術しか使えなかったのじゃが、主殿の使い魔になってから、精霊系も回復系も使えるようになったのぅ」

「ユーイチ様の能力が使い魔であるユウコ様に影響を与えたということでしょうか?」

「いえ、そうではありません。ユウコさんが僕の使い魔になった後、僕が戦闘によって得た経験が召喚魔法の刻印を通じてユウコさんに分配されたということです」

「つまり、ユウコ様は、戦闘をしなくても強くなられたということでしょうか?」

「そうです。他の娼婦たちも、この街に居ながら戦闘をしていないのに勝手に強くなっています」

「では、我々がユーイチ様の使い魔になれば、戦闘経験を積まなくてもより強力な魔術を使えるようになるということですか?」

「はい」


 トウコは、視線を下げて何か考えているようだ。

 そして、顔を上げて話を始めた。


「では、我々がユーイチ様の使い魔にしていただくということでしたら、刻印を刻んでいただけますか?」

「それは構いませんが、できれば年齢に制限を設けませんか?」

「若い者だけということでしょうか?」

「逆です。現在、40歳を超えている人や今後40歳になった人に刻印を刻むということにしては、どうでしょう?」


 レイコが話に割り込む。


「主様、娼婦希望者の教団の幹部たちは、五十を超えていたようです」

「もう、待ちきれなかったんだろうね」

「ユーイチ様は、それでよろしいのでしょうか?」

「何がです?」

「その……使い魔となる者が高齢でも?」

「ええ、『女神の秘薬』と刻印でかなり若返りますから」

「そうじゃぞ、儂なんて六十を超えて刻印を刻んでおるからのぅ」

「確かに四十まで女神様にお仕えした褒美としたほうが、教徒たちも身が入ると思います」

「娼婦にはならずに教団で勤務するということですよね?」

「そうしていただけると有り難いです」

「娼婦の仕事をしないのでしたら、1万ゴールドは無しでもいいですか?」


 娼婦たちは、1万ゴールドで身柄を買い取る代わりに娼婦という嫌な仕事をしてもらうわけなので、そこは差別化しておく必要があるだろう。


「勿論ですわ」

「あと、使い魔はゴブリンなどのモンスターを狩ってもお金が入りません」

「そうなのですか?」

「はい、あるじのお金になるのです」

「なるほど。別に構いませんわ」

「しかし、お金を稼ぐことができなくても大丈夫なのですか?」

「はい、刻印の問題が解決すれば、我々の財政はかなり余裕ができますので」

「なるほど」


【冒険者の刻印】を刻むための10万ゴールドを捻出するのは大変なのだろう。

 僕は話題を変える。


「そういえば、孤児院を経営されているそうですね?」

「はい」

「この街に孤児は多いのでしょうか?」

「いえ、他の街に比べると少ないようです」

「他の街の情報は、何処で入手されているのですか?」

「『女神教』の教団は、他の街にもございます」

「中央大陸にもですか?」

「勿論ですわ」


 どうやら、『女神教』はかなりのネットワークを持っているようだ。


「そういえば、村にも出張所があるとか?」

「はい。人の住むところには、必ず『女神教』があると思っていただいても良いかと」

「『女神教』の総本山のようなところは、あるのでしょうか?」

「それはございません。それぞれの街の教団が対等の関係を築いているのです」

「他の街の教団との交流はあるのですか?」

「交流はそれほどございませんが、他の街の教団の出身者は居ります」

「どういった経緯で来られるのですか?」

「我々は、ほとんどが商家の出身ではございません。しかし、稀に商家の出身者が教団に入信することがございます。その場合、家との間に軋轢を生むことがあるのです」

「そういう商家の出身者が他の街の教団に移るということですか?」

「はい、その通りです」

「分かりました。では、我々はそろそろおいとまします。先ほどの件は、レイコに任せますので、対象者を『夢魔の館』へ送ってください」


 僕は、振り返ってレイコを見た。


「主様。使い魔の件ですが、主様に言われたとおり実験してみましたが、全て失敗いたしました」

「それって、僕が居ない時に召喚魔法を使う実験のこと?」

「はい、そうです」

「何回くらい試したの?」

「20人以上を対象にそれぞれ100回ほど召喚魔法を掛けましたが駄目でした」

「なるほど、そうなるとやはり僕が居ないところでは、使い魔を増やせないってことだね」

「そうだと思います」


 僕が居ないところで使い魔を増やすことができるか実験してもらっていたのだが、どうやら駄目だったようだ。

 しかし、これにより間接的に使い魔を増やすことはできないことが分かった。少なくとも、そのやり方では2000回に1回も成功しなかったわけだ。


 次は、母乳を吸った場合と吸わなかった場合で検証してみよう。

 僕が近くに居ないといけないのか、母乳を吸っていないのが問題なのか確認する必要がある。

 仮に母乳の問題なら、僕が居なくても母乳を吸ったことがある者には召喚魔法が成功するということだ。


 ただ、どちらにしろあまり意味はない。結局のところ、僕が関わらないと使い魔にできないことに変わりはないからだ。

 僕が『夢魔の館』に帰らなくても使い魔が増えていくというのが理想だったのだ。


 僕は、帰るために立ち上がった。


「お待ち下さい」


 トウコは、僕を引き留めた。


「何でしょう?」

「少しだけお時間をいただけますか?」

「はい、それは構いませんが」

「では、もう暫くここでお待ち下さい」


 そう言ってトウコは、従者と共に部屋から出て行った――。


―――――――――――――――――――――――――――――

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