第一章 ―フェリア―

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 第一章 ―フェリア―


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 ――夢を見ていた……。


 ――帰省した田舎で謎の光に吸い込まれる夢だ……。


 ――今日はうちに帰る日だ……。


『そろそろ……起きないと……』


 微睡まどろみからめていく感覚。


『――――!? 人の気配がする……お母さん?』


 後頭部に柔らかい感触がある。それに頬をでられているようだ。


「うっ……」


 僕はゆっくりと目を開けた。

 ぼんやりした視線で見上げると、誰かが僕をのぞき込んでいるようだ。

 ハッとして意識が覚醒かくせいした。

 髪の長い女の人が寝ている僕を頭のほうからのぞき見ていた。

 身体を起こそうとしたが、背中が痛くて力が入らない。


「大丈夫だから、大人しくしていて」


 その女の人が僕に動かないように注意した。

 もしかして、交通事故にったのだろうか?

 しかし、夜だったはずなのにもう朝になっているようだ。

 視線を下に向けてみると、視界の左側には草原が広がり、右側には森のような光景が映っている。


『な……ここは何処?』


 後頭部が柔らかいものに押された後、脇の下に手を入れられて上半身をゆっくり起こされた。

 背後から女の人に抱きかかえられているようだ。

 膝枕をした状態で腰を浮かせて背後から抱き起こされたのだろう。


「ゴホッ、ゴホッ……ゴボッ……」


 僕は咳き込んで、口から血のかたまりを地面に吐き出す。

 頭もクラクラする。


『なんだこれ……? 僕が吐いた血なのか……?』


 僕を後ろから抱えたまま、女の人は小瓶のようなものを取り出して、僕の口元へ差し出す。


「これを飲んで、早くしないと死んでしまうかもしれない」


 僕が少し口を開けると、彼女は小瓶の中身を飲ませてくれた。

 サッパリとした甘さのある清涼飲料水のような味がする飲み物で量が少なかった為、この状態でも全部飲むことができた。


「じゃあ、薬が効くまで寝ていましょう」


 彼女はそう言って、何処から出したのか丸めた毛布を僕の後ろに敷いて、もう一枚の毛布を自分と僕にかけて添い寝をしてくれた。

 僕は、そのお姉さんの優しさに感謝しつつ目を閉じた。


『もしかしたら、このまま死んじゃうかもしれないけれど、こんな死に方なら悪くない……』


 そう思った直後に睡魔が襲ってきて、僕は眠りについた――。


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 右側に温かい熱を感じながら僕は目を覚ました。

 目を開けると先ほどのお姉さんが添い寝をしながら、僕のことを見ていた。


「起きた?」

「あ……、ありがとうございます、助けてもらっちゃって」


 僕は彼女に礼を言って、改めて彼女を観察してみる。

 長い黒髪の物凄い美人だ。

 完璧に整った顔立ちに切れ長の瞳は、黙っていると少し冷たそうな印象を受けるが、その美貌はまるで地上に降り立った女神のようだ。

 その美人のお姉さんが首をかしげると、髪が横に流れて耳が見えた。

 彼女の耳は長く尖っていた。


「え!?」

「何?」

「その耳……」

「ああ、母がエルフなの」

「ハーフエルフ?」


 僕は、ゲームなどに出てくる種族の名前を口走る。


「そう……珍しいでしょ?」

「…………」


 ――僕は、夢でも見ているのだろうか?


 とりあえず、一番疑問に思っていることを質問してみる。


「……ここは何処ですか?」

「ここは、『エドの街』からみて西の方角、距離は馬で半日といったところよ」


 何がなんだか分からなかった。

 あの光に吸い込まれて異世界に来てしまったのだろうということは何となく想像できる。

 しかし、可能性からすれば僕の頭がおかしくなってしまったほうが高いはず。

 僕は、手で頬をつねってみる。


「痛っ」

「なにをしているの?」

「いや、夢じゃないかの確認を……」


 そもそも、夢か現実かなんて、そんなことをしなくても区別できる。

 たまに夢の中で現実のつもりだったり、妙にリアルな夢を見ることがあったとしても、現実ではこれが夢でないことを明確に否定できるはずだ。


「あの、どうして日本語を話しているのですか?」

「日本語?」

「あなたが使っている言葉のことですが……」

「言ってる意味が分からないわ」


『もしかして、異世界モノのファンタジー小説のように翻訳こんにゃく的な魔法が効いていて、お互いに違う言葉で会話していても自動的に変換されている?』


 僕は身体を起こして、ジャケットの内ポケットを漁る。ポケットにはスマートフォンが入っていた。

 スマホのメモパッドに『伊藤 雄一』と表示させて、彼女に見せてみた。


「僕の名前なんだけど……」

「イトウ ユウイチ?」

「読めるのですか?」

「勿論、読めるわよ」

「この文字は?」

「漢字でしょ」


 ――なんと、この世界には漢字が存在する!?


「お姉さんの名前は?」

「フェリアよ」

「フェリアだけ?」

「ええ、ファミリーネームは、人間の商人じゃないと持たないわ」

「そうなんですか……」

「ユウイチは、イトウがファミリーネームなのよね?」

「そう……なると思います……」

「『エドの街』には、漢字の名前を持った人間が居るわね」

「『エドの街』って、どんなところですか?」

「え? ユウイチは、『エドの街』から来たんじゃないの?」

「いえ、僕は光に吸い込まれたと思ったら此処ここに投げ出されていました」

「そう言えば、見慣れない服を着てるわね。それに、その文字を表示するアイテムも初めて見るわ……」


 フェリアは物珍しそうにスマートフォンを見ている。この世界にスマホは存在しないようだ。


「信じられない話ですが、この世界の人から見たら僕は異世界人ということになると思います」

「もしかして、あなたはマレビトなの?」

「マレビト?」

まれにおかしな格好をした人の死体が海岸に流れ着いたりすることがあるの。『エドの街』を作ったのもマレビトという噂よ」


 ――もしかして、江戸時代に僕のように光に吸い込まれてこの世界に来た日本人が街を作った?


 ――日本語が広まっているのもそのせい?


 ――それとも、ここは未来の地球?


 ――異世界転移じゃなくてタイムスリップ?


 僕の頭の中に様々な思考が次々と浮かんだ。


 あの光は僕が吸い込まれた時に向こうの世界が夜で、こっちの世界は昼間だったからであって、逆に向こうが昼間でこっちが夜だったら、黒い穴に吸い込まれたと感じたのかもしれない。


『いや、結論を急ぐ必要はないな。そもそも、答えが出るとは思えないし……』


 例えば、地球がどうやって出来たか考えるのは学者の仕事だ。

 この世界の成り立ちなどを高校生の僕が考えても仕方がない。


「そういえば、さっき飲ませてくれた薬は何ですか? 凄く効いたみたいで、怪我をする前より調子が良いみたいなんですが」

「あれは、『女神の秘薬』」

「魔法のポーション的な?」

「そうよ、あなたのような刻印を持たない普通の人間のためのポーション。ほとんどの怪我や病気を治療することができるわ」

「刻印?」

「刻印を知らないなんて、やっぱりあなたはマレビトみたいね」


 そして、フェリアは刻印について簡単に解説してくれた。

 要約すると、この世界には魔術を使うための【刻印】というものがあり、普通の人間もお金を払えば、刻印を身体に刻むことができるが、刻印を刻むと普通の人間ではなくなってしまうとのこと。

 この時点では、まだ僕も刻印を刻んでいなかったので、人間でなくなるとか言われてもピンと来なかった。


「これから、どうしよう……?」

「よかったら、あたしのうちに来ない?」

「いいのですか?」

「ええ、マレビトに会う機会なんて滅多にないもの。いろいろと話を聞かせて欲しいわ」

「そういうことなら」


 僕は内心、ホッとした。

 最悪、ここに置き去りにされそうになったら、近くの集落の場所を教えてもらおうと考えていたのだが、置き去りにされるどころか家に招待されるという予想以上の結果になったのだ。


「――待って!?」


 そう僕に警告して、フェリアが勢いよく立ち上がる。

 彼女が見ているほうを注視すると、草原に男の人が見えた。距離は、ここからだと50メートル以上はあるだろう。僕たちの居る場所は、小高い丘の中腹のようで、少し低い位置に草原があるのだ。

 腰の高さくらいある草をかき分けてこちらに向かって走ってきている。青っぽい柄の着物を着ていて、手は立ったままピアノかキーボードでも弾くように曲げて前に突き出した格好だ。


『誰だろう?』


 すぐ側に立つフェリアを見ると、厳しい表情をしていた。

 次の瞬間、フェリアの前方1メートルくらいのところから、こちらに走って来る人に向けて白く光る線が走った。直線ではなく、山なりに弧を描くような軌道だ。

 一瞬の出来事だった。こちらに走って来ていた人は、数十メートル先で頭が白く光ってパタリと草原に倒れた。草が邪魔して倒れた姿は見えない。


 フェリアは、少し浮かび上がり、倒れた人のところに走って行った。どうやら彼女は、空中浮遊のような魔法を使えるようだ。


『さっきの人を魔法で攻撃した?』


 ――フェリアの敵だったのだろうか?


 50メートルくらい先に居るフェリアの近くでザザーッという土砂が落ちるような音が聞こえ、ドサッと何かが穴に落ちるような音が小さく聞こえた。


 ――死体を埋めてる?


『殺人』、『死体遺棄』といった単語が頭に浮かんだ。

 彼女は、信じられる人間だと思う。

 何といっても僕の命を救ってくれたのだ。


 僕は、不安な気持ちでフェリアの帰りを待った――。


 ◇ ◇ ◇


 しばらくするとフェリアが帰って来た。


「さっきの人は?」

「人じゃないわ。ゾンビよ」


 ――あれがゾンビ?


 遠目に見ただけなので何とも言えないが、走る姿は異様ではあったものの、少なくとも死体には見えなかった。


「死体には見えなかったけど……」

「ええ、死体ではないわ。外見は刻印を刻んだ人間と変わらないから。さぁ、行きましょう」


 そう言って、フェリアは、僕のすぐ側に降り立った。

 よく見ると、彼女は煽情的せんじょうてきな格好をしている。


 脚には、黒いニーソックスのようなものをいていて、靴は膝近くまである革のブーツだ。そして、左右に深いスリットが入ったミニスカートのようなものを履いている。

 先ほど彼女が立ち上がったときには、黒い下着が目に入ってしまった。そのミニスカートは、ベルトで固定されているようだ。ベルトの左側には、さやに入った日本刀のような武器が差してある。

 上半身は、薄い黒のインナーの上に革の胸当てを着ているようだ。両手首には籠手こてのようなものを装備している。寝る前はマントを着ていたように見えたが、今は外套がいとうに相当するようなものは着ていない。


 フェリアが少し移動すると、彼女の前の空間が白く光って、いきなり馬が現れた。


「なっ……!?」


 僕は驚いた。


「大丈夫よ。この子は『アーシュ』」


 フェリアは、そう言った。


「突然、現れたように見えたけど?」

「そう、アーシュはあたしの使い魔なの」

「召喚魔法的な?」

「そうよ、よく知ってるじゃない」

「いや、僕の居た世界ではフィクションとしてだけど、そういう話もあったから……」

「フィクション?」

「この世界にも、小説やおとぎ話のようなものはありませんか?」

「なるほど、そういう物語のなかで召喚魔法を知ったというわけね」


 そして、彼女は馬のアーシュの手綱を取った。


「さぁ、乗って」


 フェリアは、僕に馬に乗るよううながした。


「馬に乗ったことないんだけど……」


 乗馬などしたことがないので、尻込みをしていたら、馬への乗り方を教えてくれた。

 くらに手を置きあぶみに左足をかけてまたいで乗るだけなのだが、馬には左側から近づいて、絶対に馬の背後には行かないようにと注意された。


 僕が馬のアーシュに乗った後、フェリアは空中に浮かび上がって、僕の後ろに跨った。

 彼女が浮かんだときにも驚いたが、それ以上に僕の後ろに密着するような形で馬に乗ってきたことのほうが驚きだった。僕を背後から抱きかかえるような体勢で手綱を握っている。

 こんな美人のお姉さんに背後から密着されて、僕の心臓はドキドキしっぱなしだった。


「行くわよ?」


 そう尋ねられた。


「は、はい。どうかお願いします」


 緊張していた僕は、思わず変な受け答えをしてしまった。

 彼女は、クスッと笑った。


「何それ?」


 そう言ってから、馬の腹を軽くった。


 すると馬がゆっくりと歩きだした。

 ちなみに、鐙は僕が使っているので、フェリアは裸馬に乗っているようなものなのだが、彼女は鞍の上で少し浮いているようだった。


 少し馬を歩かせた後、彼女は更に馬の腹を蹴って、馬を小走りにさせた。

 よくは知らないけど、トロットと言われる状態じゃないだろうか。流石にこの状態は、馬に乗り慣れていない僕には、乗り心地の悪さを感じさせた。たぶん、馬の動きに合わせて乗り手も上下に動く必要があるのだろうけど、やり方が分からない。


 フェリアは、更に馬の腹を強めに蹴って馬を加速させた。全力疾走――ギャロップ――という感じではないから、キャンターという状態だろうか。背後から抱かれたような状態なので、落馬する心配はないものの、身動きが取れず上下に揺さぶられるのは、思いのほかキツかった。


 ◇ ◇ ◇


 そのまま10分か15分くらい耐えていると、フェリアは馬を走らせる速度を落とした。どうやら、彼女の家に着くようだ。

 馬を止めてフェリアは空中に浮かんで降りた。僕もその後に馬を降りる。

 僕が降りた途端に馬のアーシュの姿が白い光に包まれてき消えた。

 驚いてフェリアの方を見たら、彼女は微笑んで歩き出す。

 僕も彼女の後に続いた。


 少し歩いたら、森の中に大きな木が見えた。

 その大きな木には木製の扉が付いている。大きな扉で高さは2メートル以上ありそうだ。横幅も1メートルを超えるだろう。長方形ではなく、上のほうがアーチ型になったデザインだ。


『木をくり抜いた家……凄い……』


 などと考えていたら、フェリアは家の扉を開けて、僕を中へいざなった。


「さぁ、入って」


「お邪魔しまーす」


 そう言って僕は、フェリアの家の中へ入った――。


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