誰がための翼②


 アズベルグとレイデンの境界に当たる場所。門番のように連なる高い山々のふもと、広がるうつそうとした森の入り口である草原にティルナードの高笑いが響く。


「ははははは遅いぞライセン、一体今まで何をしていたんだ!」


 数十騎の翼の紋章をつけた騎兵を扇状に背後に従え、自身もしっかりと武装した彼を見てカシュヴァーンは半眼になる。アズベルグでも外れの方だからか、明るい日差しの中ではくっきりと目立つ黒い男とその一行を見て、ティルナードは更に愉快そうな顔をした。


「なんだその顔は! 馬鹿め、まさかここで待ち伏せされているとは思っていなかったようだな! 己の読みの甘さを後悔するがいい!!」


 ティルナードの言う通り、ライセンの屋敷を発って六日ほどのこの場所はまだレイデンの領地内ではない。国王の免状があるにしろ、他人の領地内で仕掛けてこようという頭はカシュヴァーンにはなかったらしく彼はわざとらしいため息を吐いた。


「そうだな。どうせならもうちょっと強めに殴っておけば良かったと後悔はしているが」


 右手のこぶしを確かめるように握り締める、示威的なそのしぐさにもティルナードは引かない。すぐそばで相変わらずおろおろしているユーランにも構わず、彼は腰に差していた剣を抜いて叫んだ。


「さあライセン、今度こそ一騎打ちを受けてもらうぞ!」

「……は?」


 抜けるような青空にふさしい、まっすぐな響きにカシュヴァーンは気抜けした顔になった。待ち伏せに気づいて彼の背後に展開していたライセンの兵士たちも、思わぬ事態にげんそうな表情になっている。


「この間のアレが僕の実力だと思っているのなら大間違いだ! 僕はちゃんと剣の指南を受けている! き、きちんと礼儀にのつとった方法での一騎打ちなら絶対にお前に負けたりしないんだからな! さあ剣を抜けっ!!」


 剣先をカシュヴァーンに突きつけて、ティルナードは至極な顔でそう叫んでいた。カシュヴァーンはまじまじと実はさほど年の変わらない若者を見た後、隣に立っていた暗殺者に眼を向けた。


「なあルアーク。俺の心は汚れているな」


 ふう、とまたわざとらしくため息を吐き、彼は腕組みなどして見せる。


「てっきりこのぼっちゃん、人を屋敷から呼び出しておいてそこを不意打ちでたたく気なのだとばかり思っていたんだ。なのに正々堂々一騎打ちを挑んで来るとは」

「心配ないよ、俺もそう思ってたから。けどやっぱ、強く殴り過ぎたんじゃないの?」

「おいこら! 僕は正々堂々申し込んでいるんだぞ! 早く抜け!」


 わめくティルナードの顔を見て、カシュヴァーンはもう一度ため息を吐いた。そして彼は、言われた通りにすらりと腰のものを抜いた。


「まあ、暴力は嫌だ嫌だとわめいていたことを考えれば、健全な成長を喜ぶべきなんだろうよ」

「カシュヴァーン様!」


 そのまま進み出ようとするカシュヴァーンに、トレイスが慌てたような声を出す。


「本気で一騎打ちなどされる気なのですか。その方は、誰かに手を振り上げられただけですくみ上がってしまうような……」

「それでも名指しで挑まれたんだ。強公爵を名乗る者として、礼儀上受けないわけにもいかんだろう」


 片手に剣を持ったまま、彼はすたすたと歩いていく。ティルナードもあごを引き、手にした剣を正面に構えた。

 本人の弁通り、剣の指南を受けていることは間違いないようだ。細い体には重そうな剣に振り回されるような様子はない。

 ただし明らかに力が入り過ぎてしまっており、一見ぶらりと立っているだけのようなカシュヴァーンの自然体の構えとは比べるべくもない。


「言っておくぞ。俺はお前のような、自分だけが被害者面をした甘ったれが大嫌いなんだ。先に剣を抜いた以上、それ相応の覚悟は出来ているな」

「ふん、そっちこそユーランがここにいることに感謝しろ! 死ぬ寸前に気が変われば、翼を賜る儀式ぐらいはさせてやってもいいぞ!」


 口は相変わらず一人前のティルナードは、ことのなりゆきをぽかんとしながら見守っているアリシアにちらと視線を流した。


「アリシア様、ご安心下さい。あなたの屋敷に手などつけるつもりはありません。地方伯の屋敷は名家の象徴、まして家を焼かれた僕にはその価値はとてもよく分かる」

「え?」

「あんなものはこいつをここへ呼び出すためのただの方便です。さあ、始めるぞライセン!」

「え、でも……」


 何か言おうとしたアリシアから視線を戻し、ティルナードは剣を構えてカシュヴァーンに向かっていく。気迫にだけは見るものありと思ったのだろう、カシュヴァーンも無言で手にした剣を振りかぶった。

 数十歩分あった距離が見る間に埋まっていく。二人の剣が交錯した、その瞬間。



「ひええええっ」


 おびえた声を上げ、ユーランが顔を背ける。

 一方で動かないのはティルナードだ。カシュヴァーンの右脇腹に突き立てた己の剣をつかんだまま、彼はその場で硬直している。


「違う」


 震えるひとみがカシュヴァーンの背後に向く。彼を挟んでちょうど反対側、カシュヴァーンの左脇に後ろから剣を突き立てたトレイスとその眼が合った。


「違う、違う! ……僕じゃない、僕の勝利じゃない!」


 わめくティルナードを無言で見てから、カシュヴァーンはゆっくりと振り返る。うつむいているトレイスの金の頭を見下ろして、彼は一言こう言った。


「どういうことだ、トレイス」

「……翼を下さると……おっしゃったのです」


 まだうつむいたまま小さくつぶやかれた声に、カシュヴァーンはまゆを寄せる。


「私の姉に、翼を! いとたかき国へと行ける翼を与えて下さると! そうおっしゃったのです!! ……そして、あなたにも……」

「……そうか。そういうことか」


 すべてを悟ったようなカシュヴァーンの眼が、あるひとりの人物へと向いた。


「やっぱり貴様か、ユーラン……」


 名前を呼ばれたユーランは、恐る恐る、という感じで彼を見る。二本の剣をその身に受けて、地面に赤黒いものを滴らせているカシュヴァーンの姿に聖職者はぶるぶると身を震わせた。


「あー……あああ。ふ、服が黒いから分かりにくいですけど……うう、やっぱり痛そうですねえ……」


 いつものように言ってから、彼は硬直しているティルナードへと眼を向けた。


「早く楽にして差し上げなければ。さあ、ティルぼっちゃん。長引かせてはお気の毒です。もうちょっとですから、がんばって」

「どういうことだ、ユーラン!」


 絶叫するティルナードの肩にカシュヴァーンが触れる。びくっとした彼の体を支えにして、カシュヴァーンはかすれた声でこう言った。


「どうしたもこうしたもあるか……お前さっき、屋敷をうんぬんは方便だと言っていたが、実際フェイトリンの屋敷はレイデンの名で買い取られている……」

「何だと!?」


 血相を変えたティルナードに彼は小さく鼻で笑う。


「お前の書状に書いてあることを、俺がそのままのみにすると思ったのか? 調べた結果それが本当だったから、待ち伏せを承知で乗ってやったんだ……」

「な、な……」


 言葉が出ない様子のティルナードを見つめ、ユーランはいつものようにおっとりと笑った。


「ぼっちゃん、ほら早く。一騎打ちをしたいとおっしゃったのはあなたでしょう?」

「……違う! これは僕の勝利じゃない……!」

「あなたの勝利ですよ。だって私はあなたのたったひとりの味方。私がトレイスさんにお願いした結果なのですから、あなたの力で勝ったのと同じことじゃないですか。全く相変わらず、ひとりでは何も出来ないくせに自尊心ばかり強いんですから……あわわわわ」


 失言としても度が過ぎる発言をしたユーランの背後で森がざわめいた。そこから出現した兵士たちを見て、ティルナードは驚いた顔をし、カシュヴァーンの配下たちも顔をこわらせた。

 最初にいた人数と合計するとおよそ百騎ほどか。このまま乱戦になっても到底かなわぬ人数差である上に、何人かは矢をつがえカシュヴァーンたち一行にぴたりとねらいを定めている。

 おまけに彼らの肌はわずかに浅黒く、身に着けている装備も盛り上がった筋肉の邪魔をしない程度のものしかない。〈翼の祈り〉のうるわしいよろいに身を固めた兵士たちとは明らかに違う、戦いに特化した人間たちの集団。


「ラグラドールの傭兵団、か……なるほど、本気で用意がいいことだな……」


 国民の大半が傭兵である近隣の小国の名を口にし、カシュヴァーンは皮肉な笑みを作る。せた貧しい地に生まれ育った彼らは頑健さ、どんよくさ、そして圧倒的な強さで知られていた。


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