第五章 誰がための翼

誰がための翼①


だん様は、すっかり奥様と仲良くなられたようですねえ」


 いつものように台所で昼食を取っていたアリシアに、料理人のダン、それに御者のロセがうれしそうに話しかけてくる。

 ティルナードたちが逃げ散っていってから十日余り過ぎただろうか。カシュヴァーンはトレイスたちを連れていつものように領地内の見回りに出ていて留守だ。

 ハルバーストの屋敷についてアリシアに話をしたことを、彼は使用人たちに言ったようだった。レジオールが領主だった頃から仕え、代替わりの際にも逃げ出さずにいたひとりであるダンは、金で買った死神姫との結婚があるじに笑顔をもたらしたことが嬉しいらしい。


「……前の旦那様が亡くなられて以来、カーシュ様はいつも恐ろしい顔をして恐ろしいことばかりされていました。トレイスがいなくなってからは余計に……側近も作らず、全部おひとりで決めて、誰の恨みをかっても構わないような素振りばかりで……ですが、本当に良かった」


 カシュヴァーンが幼い頃から彼に接してきたせいだろう。愛称で主人を呼びながら、しんみりとした調ちようで語るダンと同じ気持ちでいる者が多いようだ。数は少ないながらも結束力の強い彼らは、ライセン夫妻に対する忠誠心を完全なものとしたようだった。


「……ふん、夫婦というよりはた目には親子のようですけどね」


 アリシアのそばで彼女が作ったシチューを食べながら、ノーラがぶすっとした顔で吐き捨てる。横からロセが茶化すような声をかけた。


「何だノーラ、またそんなことを言って。お前が旦那様に奥様が例の伯爵のところに行ってしまった、と報告しなきゃ」


「暗殺者なんて単語を出されちゃ報告しないわけにはいかないでしょう!? カシュヴァーン様が死んでしまったら、正妻どころか愛人でもいられないじゃないですの!」


 全く、とぶつぶつしゃべるノーラの態度は今や完全に女主人を前にしたメイドのそれではない。彼女は領主が代替わりしてから屋敷に入った数少ない使用人であり、母親の事情のせいかメイドに甘いところのあるカシュヴァーンにつけ込む機会を日々ねらっていたらしい。

 死神姫との結婚、という一大事を相変わらずの独断で決めた主人に、彼のことを心配していた使用人たちもさすがに反発したようだった。その感情を追い風として、正式に愛人になりゆくゆくは正妻というもくが水泡に帰したのだ。

 ひたすら鈍い奥方に、最早ねこで声を出す必要もないと思っているらしかった。だがアリシアは、開き直った態度を取る代わり、いっしょに食事をしてくれるようになった彼女をにこにこ見て言った。


「そうねノーラ、ありがとう。正妻にしてあげられなくてごめんなさいね。カシュヴァーン様、正妻は一応フェイトリンの血を引く私じゃないと困るんですって」

「……まあ、いいですわよ」


 この調子ならまだ入り込む余地あり、と見てか、つんっとそっぽを向いたノーラは、その先にいた人影を見てぎょっとした顔をした。


「ルアーク!? もう、急に出て来ないでって言ったでしょう!」

「あはー、ごめんごめん。他人の視界に入らないように動くのが癖なんだよね」


 この屋敷内で一番新しい使用人であり、引き続き例の隠し部屋の住人となっているルアークがいつの間にかそこに立っていた。カシュヴァーンは正直自分の部屋にほど近い場所に暗殺者を住まわせておくのは嫌なようだが、暗殺者の方があの部屋を離れる様子はない。


「だけどほら、カシュヴァーンおにいちゃんてば急にお帰りみたいだからさ。何かあったんじゃないかと、おっと、言ってるそばから」


 鼻がいいとアリシアを褒めた死神の、耳だか勘だかには常人離れしたものがあるようだ。親愛のあかしのつもりなのか、カシュヴァーンを勝手におにいちゃんと呼ぶ彼の言う通り程なく激しい馬のいななきが聞こえ始め、やがて屋敷の扉が盛大な音を立てて開いた。


「アリシアはいるか!」


 険しいカシュヴァーンの声を聞き、台所に集まっていた奥方と使用人たちは広間の方へと移動する。すっかり台所での食事が恒例になっている妻にはもはや何も言わず、つかつかと歩み寄ってきたカシュヴァーンは手にしていた一枚の書状を彼女の眼の前に突きつけた。


「嫌な方向に成長しやがったぞ、あのぼっちゃん」


 吐き捨てたカシュヴァーンが広げた書状を、アリシアはきょとんとしながら見つめる。内容を一読し、彼女も思わずえっ、と声を上げた。


「……私の家を……レイデン伯爵様が、おじさまから買った……?」

「……言おうかどうか迷っていたが、元々お前の後見人はお前を売った後すぐに屋敷の売り先を探し始めていたんだ」


 ぱっちりとを見開き、見つめてくる妻にカシュヴァーンは小さく息をいてから説明を始める。


「ある意味お前とヘイスダム殿は似た者同士ということなんだろうな。領主でもないフェイトリンの体面を必死で守るよりも、お前と屋敷という金目の物を売り払って優雅な生活をしようと思っていたらしい」


 確かに両親が生きていた頃から、ヘイスダムは再三あの屋敷を売れ売れと言っていたのだ。内心はアリシアも彼の言うことの方が現実的だとは思っていたが、とんでもないとかたくなに拒否を続けた父母の意志を結局はその死後も尊重し続けてきた。アリシア自身にとってもあの家は、思い出の詰まった両親の形見のようなものだったから。

 フェイトリンの領主としての地位はとっくに失われ、農民から成り上がった新興貴族五家に分割されている。何とかして他の四家を追い落とそうとする彼らが、多額の金と引き替えにしてでも地方伯の屋敷を欲しがっていることは知っていた。

 だが両親がその所有者をいずれ他家に嫁ぐ娘ではなくヘイスダムにしておいたことだって、一族の手に名家の象徴を残しておくための措置。それを今、しかもティルナードに売るとは。

 口約束でしかなかった売るな、を今まで守ってきてくれただけでも彼の良心の表れではあるのかもしれないが、アリシアとしてはぼうぜんとするしかない。


「俺にまとめて買わないかと言ってきたぐらいだったからな。今となってはそうしておいた方が良かった気もするが……まあ、いまさら言っても仕方がない」


 後悔の言葉を途中で切って、カシュヴァーンはアリシアにこう言った。


「支度をしろ、アリシア。おぼっちゃんは俺とお前がいっしょに自分の領地に来ることをお望みだ」

「あれ、行ってあげるつもりなんだ。どう考えてもわなでしょ」


 ルアークが意外そうな声を出した。仕方がないだろうとカシュヴァーンはつぶやく。


「どうせあのぼっちゃんがこのまま引き下がりはしないだろうとは思っていたんだ。今回のことを無視すればしたで、次に何をやらかすか分からん」


 うんざりした顔をしながら手を伸ばし、彼はアリシアの頭を軽く撫でた。


「高価なドレスも宝石もねだらない手のかからない妻が、珍しくこだわっている物だしな。それにどんな家でも生まれ育った家は特別だ、という気持ちなら俺にも分かるさ」


 そう言ってかすかに笑ったカシュヴァーンは、背後に控えていた配下たちを振り返って命じる。


「お前たちも支度を急げ。準備が整い次第つ!」


 マントをひるがえし指示を飛ばし始めた領主の背を見送って、ルアークは軽く口笛を吹いた。


「やー相変わらずかっこ良くてちょっと腹立つなー。にしてもカシュヴァーンおにいちゃんてば、やっぱあん時ぼっちゃんを強く殴り過ぎたんじゃない?」

「そうね……」


 癖のように撫でられた頭に何となく触れてみて、アリシアははにかむようにほほんだ。


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