全ては薔薇の下に⑦


「……死神を持参金代わりにされるとはな」


 苦笑いするカシュヴァーンに連れられ、アリシアは例の廃園の前にやって来ていた。深夜に近い時刻の闇に視界は閉ざされているが、その分ちぎれた蔓薔薇のざんがいがかすかな風にかさかさと不吉な音を立てるのがひどくよく聞こえる。


「……あの、ごめんなさい、カシュヴァーン様」


 導かれるままやって来たアリシアだが、廃園を見るとどうしても怒り狂っていたカシュヴァーンのことが脳裏に浮かぶ。暗殺者を雇えと言い放った少女とは思えぬほどにしょんぼりとしている彼女の手を、ランプ片手のその夫はゆっくりと取った。

 温かな大きな手の感触が、何だか妙に気恥ずかしい。そんな妻の胸中を知ってか知らずか、カシュヴァーンは暗い薔薇園の中へと彼女の手を引いて歩いていく。


「薔薇は肥料食いだとよく言われる」


 ぽつりと吐いた後、彼はおもむろに妻を見た。


「お前はハルバーストの薔薇屋敷の話を知っていたんだな」


 不意にそう声をかけられ、アリシアは小さくうなずいた。


「ええ……でも、こちらがそうとは知りませんでした。実は私、そのことは本で読みましたの」


 一瞬意外そうな顔をしたカシュヴァーンだが、すぐに微苦笑を浮かべ妙に納得したような様子を見せる。


「そうか。色々あって、出て行った召使は大勢いるからな。中には口の軽い奴もいるだろう。……どんな風に書いてあったんだ?」


 実のところ冒頭部分がそらで言えるぐらいなのだが、アリシアは出来るだけ簡潔に話をまとめてみた。


「薔薇の花に狂った当主が、何人もの女性を殺し肥料として薔薇園に埋めた……というお話でした」

「ああ、そうだ。そいつがレジオール・ハルバースト。前の領主であり、俺の親父であり、この家のメイドだった俺の母親に子を産ませて殺した怪物さ」


 抑揚のない声で言った彼は、同じ口調でこの館に秘められた過去を話し始めた。


「元々薔薇の花狂いは、俺の親父じゃなくて親父の正妻だった。さる名家の出のものすごい美人だったそうだが、俺は直接顔を知らん。薔薇にちなんだ赤いドレスしか着ない、美しいが大層変わり者の女だったと聞いている」


 あの肖像画の女性だ。アリシアが隠し部屋のことを告げると、カシュヴァーンはまた苦笑いして見せた。


「ルアークが隠れていたとかいうところにそんなものが? 親父の奴、本当にろくな物に金をかけんな。俺にも教えずそんな部屋を……ふん、しかし、そんな絵が……そうか」


 色々思うところがあるらしい。少しの間黙り込んだ彼は、枯れた薔薇の枝に触れながら続ける。


「口説きに口説いて結婚にこぎ着けたその女は、しかし親父に見向きもせずわざわざ作らせたこの園で薔薇ばかり育てていた。挙げ句にここは土が悪いの日が悪いのと文句の言い通しでな。親父はとうとうそんなに好きなら自分も薔薇になれ、と、妻を殺してここに埋めた」


 言われてアリシアは、思わず隅の白い石の集合体を見た。カシュヴァーンも彼女の視線に気づいてそうだ、とうなずく。


「一番奥のがその妻の墓だな。以降順々に、それなりに身分のある家の娘の墓が並んでいる。いずれも金に眼がくらんでここへやって来た挙げ句、尊い御身を肥料とするべく殺された哀れな女たちの墓だ」


 カシュヴァーンの父親は、最愛の女性を殺したことにより精神に変調をきたしたのだろう。屋敷の改築を重ねて近づく者を寄せつけないような作りにした挙げ句、薔薇狂いの奥方を真似るように薔薇園に次々と肥料を送り込んでいったのだという。


「だがその女たちはまだ扱いがましな方さ。最後には女を買う金も底を尽き、親父はこのあたりの農家の娘や使用人を次々と手にかけていった。しかもそいつらにはこんな墓さえ作ってやらなかった。俺の母親についても、トレイスの姉についても」


 カシュヴァーンの幼馴染みのような存在でありながら、彼を憎む眼をしていたトレイス。

 領主の地位を継ぎ強引な支配を行うカシュヴァーンは、その眼には在りし日の怪物に好んで近づいていくように映ったのだろう。だからそばにいることに耐えられず、屋敷を出たのだ。


「だがそこまでしても、薔薇は咲かなかった」


 薔薇狂いの奥方に咲かせることの出来なかった薔薇だ。そもそも手入れにかなりの知識と技術が必要な植物でもあるそれを、そのような無茶な方法で咲かせることが出来るわけがない。


「親父は俺に、お前の母親のような卑しい血肉を混ぜたのが失敗だったんだと言ったんだ。ジーナ及び他の名家の令嬢に悪いことをした、とな」


 ぽきりと音がして、カシュヴァーンがいじっていた枝が折れる。もろいそれを粉々に握りつぶしながら、彼はひとりごとのように言った。


「だから俺は高貴なるハルバーストの当主様を殺して、その血肉を同じ土に混ぜてやったのさ」


 ささやく横顔にちらと覗く狂気。肖像画の男を殺したと語るその息子の顔は、皮肉にも父親にひどくよく似て見える。


「だが、薔薇は咲かなかった」


 ざまあみろ、と低く吐き捨てたのを最後に、薔薇に狂った当主の面影はカシュヴァーンの顔から消えていく。声もなく彼の話に聞き入っていたアリシアを見て、彼は奇妙に穏やかな微笑を浮かべていた。

 そんなカシュヴァーンの顔を見ていると、胸の底が不思議にざわざわしてくる。ふと思いついてアリシアは、彼にこう尋ねてみた。


「あの……カシュヴァーン様、もしかして、時々こちらにいらしてました?」


 廃園の入口には確かに人が訪れた気配があったのだ。カシュヴァーンは少し驚いたような顔をしてからこう言った。


「……ああ。時々な」

「……お母様に、お会いするため?」


 ためらいがちな質問に、カシュヴァーンは直接的には答えずただ苦笑いする。


「ノーラも手を焼くはずだ。鈍いんだか鋭いんだか分からんお嬢様だな」


 そう言うと彼は、再び話を始めた。


「親父の子供は俺しかいなかったから、あいつの死後俺がこの家を継いで領主になった。アズベルグの貴族どもも最初はにもかけて下さらなかったが、むしろそれは好都合だった」


 領主の放置に慣れていた彼らは、次の領主がこのような強行支配に乗り出してくる可能性をまるで考えていなかったらしい。元より呪われたハルバーストの血筋の人間に怯えていたこともあり、思ったよりもはるかにあっけなくカシュヴァーンはアズベルグの暴君になることが出来た。


「俺が自ら出向いて取り立ての現状を調べ、台帳の再確認をさせるだけでかなり懐が潤ったぐらいだからな。まあとにかく俺はその金で国王に願い出、〈強〉公爵という爵位を作ることも許された」

「ああ、強公爵ってカシュヴァーン様がお作りになった爵位ですのね」


 道理で聞いたことがないはずだ。アリシアの言葉に、カシュヴァーンはいつものようににやりと笑った。


「ああそうだ。なかなかいいだろう? なにせえらく強そうだ。と言っても俺一代だけの、子には継げない爵位だが。母方の姓を名乗る許可も頂いて、かくしてアズベルグはライセン強公爵の治める地となったわけさ」


 自分の悪趣味を面白がるように笑う顔はやけに生き生きとして見えた。


「しかしメイドの血を引くさんくさい爵位持ちの領主に、名家の方々が振り回されている様はなかなか見物だったぜ。馬鹿当主の唯一の娯楽だと、薔薇園に女を埋めることを止めようともしなかったあいつらがな」


 いたずらを仕掛けてはその成果に満足する子供のような、悪びれない笑顔が薄闇にまれていく。いつしか笑みを失ったその唇から、また淡々とした声が漏れ始めた。


「だがそれで、俺の母親の無念が晴れるわけじゃない。分かってるさ」


 その一言にぴくりと身じろぐアリシアの、細い肩にカシュヴァーンの手が触れた。暗いのにお顔がよく見えるわね、と思っていると、当たり前だった。その分彼が近づいて来ているのだ。


「茶番の締めに死神姫、お前を得て俺は更なる力を得ようと思っていた。死神の加護なら俺にも相応しかろうしな。しかし……思わぬ収穫だったと言わざるを得ないな、全く」


 黒い瞳の奥、暖かさと激しさを同時に感じさせる不可思議な光が揺れている。


「こんなことは全て、何もしゃべるつもりなんかなかった。名門フェイトリンのお嬢様からは、名家の血だけを頂ければ良かったはずだったんだが……」


 乾いた大きな手が優しくアリシアのほおを包む。恐怖のためではない何かに胸の底がざわめいて、少女は訳もなく不安を感じた。


「わ、私……」

「屋敷の外に出るな、トレイスのことを聞くな、廃園に近づくな。このアズベルグの暴君の言うことを、ただの一つも聞かなかった女はお前ぐらいのものだろうよ。屋敷の外に出るな、に関しては二回も破ってくれたしな」

「……ごめんなさい」


 またしょんぼりするアリシアの、うつむきかけたあごがくいと持ち上げられた。


「分かっている。お前は俺を殺させまいと、たったひとりであそこに乗り込んでくれたんだな」

「それは……その、だって私、カシュヴァーン様をとても怒らせてしまったんですもの」


 近すぎる距離にとまどいながら、アリシアはつっかえつっかえしゃべった。

 カシュヴァーンの存在は今や恐怖小説そのものだ。呼吸が苦しく、どうが激しく、心臓が壊れそうなほど脈打っているのが分かる。

 なのにひどくきつけられて、眼が離せない。


「私……家族になった人に、もう、死んで欲しくなくて……」

「俺もだ。もう二度と、身近な人間を失いたくはない」


 吐息が近づいて来る。何だか頭がくらくらして来て、アリシアは思わずつぶやいた。


「わ、私、でも……すごく子供で……カシュヴァーン様とは年齢的に釣り合いが……」

「お前は十五だろう? 俺は二十二だ。確かにお前は子供っぽいが、貴族同士の政略結婚ならよくあることだ」


 くらくらが収まる。代わってやって来た衝撃の事実について、アリシアはびっくりして声を上げてしまった。


「三十三歳ぐらいだと思っていましたわ!」

「……何だその具体的な数字は」


 呆れたようにカシュヴァーンは言うと、逃げ腰になっていたアリシアを隙を突いて引き寄せた。

 暗い廃園の中、おまけに急なことだったので何が何だかほとんど分からなかった。ただ抱きしめられたぬくもりと、唇に触れた熱が一度目よりも熱かったことだけは分かった。


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