全ては薔薇の下に⑥
固めた拳を容赦なくティルナードの頭に落とし、カシュヴァーンは吐き捨てた。早速不当と思われる暴力に見舞われたティルナードは、初めて我が身で受けた彼の力に涙目になりながらわめく。
「どっどうせお前も
「なんで親でも後見人でもない俺が、お前なんぞの心配をしてやるんだ! 俺はただ、お前を見ているといらいらするから殴るだけだ!」
大義名分を
「この先もお前は延々と、気に食わない奴を後ろから刺して生きていくつもりか!? それも自分で刺すのならとにかく、他人に手を汚させて!」
「あれ、俺のこと言ってくれてんの?」
何となく嬉しそうにルアークが言うのを尻目に、カシュヴァーンは今度はこう叫んだ。
「大方バスツールと同じように俺を殺させておいて、死神姫の
「ええと……さすがに三度目の婚儀は難しいでしょうね。ああ、でもルアークがもらって下さるのだったかしら」
今度はアリシアがつぶやいたが、カシュヴァーンは更にユーランにも怒りの矛先を向けた。
「貴様もだユーラン! 仮にも聖職者が後見人についていながら、暗殺者の雇い入れを止めもしないとは何事だ! 知らなかったとは言わせんぞ!」
「……あっ、はっ、は。いや、私も一応お止めしたのですけどねえ……」
乾いた笑みを浮かべるユーランに詰め寄り、カシュヴァーンが更に何か言おうとした。しかしいったん解放された格好のティルナードが突然こう言い出す方が早かった。
「いっ、いっ、一騎打ちだッ……!」
血の気の
「ぼぼぼ僕が、僕がお前を正面から刺したのなら文句はないだろう!? や、やってやる、やってやる。僕もレイデンの血を引く男だ。父様の子だ……!」
その、明らかに我を失っている様子を見てユーランが青ざめた。震える手に握った剣を抜くことが出来ず、
「だめですぼっちゃん! 暴力反対! 大体無理です無理です、どう考えても無理です! ……ルアーク!」
「はいはーいっと」
指名を受けたルアークは、暴れるティルナードたちとカシュヴァーンの間にいともたやすく入り込んだ。
「分かったよ、とりあえずぼっちゃん連れて早く逃げな」
「アリシア様も殺してはだめですよ!」
「分かってまーす。だって俺、バスツールのぼんぼんの件以降すっかり死神姫つきってことになってるみたいだしねえ」
僕は逃げない、と叫ぶティルナードを押し包むようにして、彼が連れて来ていた兵士たちが動き出す。天幕その他の設備を放り出し、ほうほうの体で逃げ始めたレイデン一行をカシュヴァーンはきつい眼でにらんだがその場から動くことはない。
正確に言うと動けないのだ。
暗殺者の大きな瞳と構えた針先が、ともに
「さーて公爵様、しんがり任されちゃったみたいよ俺」
「捨て
さり気なくそんなことを言って、カシュヴァーンは無言で剣を構えた。
「ふうん、やっぱり格好だけじゃなさそうだね。強公爵なんて自分で名乗るぐらいだもん。腕に自信ありって感じ」
隙のないその構えを見て、ルアークは改めて彼の実力を感じ取ったようだった。しかし一回り体格のいい男に詰め寄られても、少年に怯えた様子は全くない。
「薄々感じてたけど俺嫌いだなー、あんたみたいな男。まっアリシアやトレイスさんといっしょにいる時は、ちょっとだけ可愛気があるとこも見えたけどね!」
覗き見していた内容を匂わせる台詞を吐いたルアークの姿が、消えたようにアリシアには感じられた。次の瞬間己の斜め後方に出現した暗殺者を、カシュヴァーンは危ういところで刀身で弾き飛ばす。
「危ないですわカシュヴァーン様! ルアークの武器には毒が塗ってありますの!」
半分ぐらいは自ら飛んだのだろう。楽々と数歩分ほど後方に着地したルアークは、アリシアの叫びに
「そっそ、肥料要らずから取ったのがね。あーでもあんたぐらいの体格なら即死はしないかな。せいぜい
空恐ろしい台詞を聞いて、カシュヴァーンは構えを取り直す。にらみ合う二人を見てアリシアはもう一度叫んだ。
「やめてルアーク、カシュヴァーン様を殺さないで!」
「そーだねー、俺もあんたとはまた違った意味で面白い人だなあとは……、おっとぉ!」
のんきな会話を交わしている隙を突き、伸びてきたカシュヴァーンの剣先がルアークの胸元をかすめた。少年はさすがの身のこなしで素早く後ろに下がって避けたが、黒い上着の一部がわずかに切り裂かれてしまっている。
「無理っぽいなあ。だって公爵様も俺を殺す気みたいだし、って、おわっと!」
「俺は強公爵だと言っている!」
懲りない軽口を叩く暇を与えず、カシュヴァーンはさらに踏み込んできた。ルアークの瞳も底光りを始め、彼は右に左に攻撃を避けながら薄い笑みを口の端に浮かべる。
「あははは、いいね、この腕だけで十分食えるよあんた!」
カシュヴァーンは手数を増やすことで反撃を封じるつもりなのだろう。息もつかせぬ猛攻に実際ルアークは手も足も出ない風にも見える。
だがその実、剣とは比べものにならない貧弱な武器だけで彼はカシュヴァーンの攻撃を防ぎきっていた。二人の攻守は芸術的に
カシュヴァーンの部下たちも、手を出すに出せないのだろう。一応剣を抜いたはいいが、どうしたらいいのか分からない様子のトレイスをちらりと見てルアークはアリシアに話しかけた。
「ねえアリシアぁ、アリシアはやっぱこの人がいいの?」
視線だけはさすがにカシュヴァーンから外さないが、彼はのんきな口調でしゃべり続ける。
「アズベルグの暴君様は、とっても由緒正しい暴君様だっていうのは知ってるよね? 狂ったハルバースト公爵の血を継ぐ、二代目の……うわっとお!」
金属同士がぶつかる一際激しい音がして、銀のきらめきが宙を飛ぶ。
カシュヴァーンが全体重を乗せた
「……うあ、っつ……!」
それでもすぐに、しゃがみ込んだような体勢を取ったのはさすがと言えるだろう。だが今のは相当効いたらしく、彼は蹴られた腹を押さえて
「ハルバースト……あら、まさか本当にここはハルバーストの薔薇屋敷なの?」
聞き捨てならない名称に反応したアリシアがつぶやいた。その声はカシュヴァーンにも聞こえたようだが、何も言わずに咳き込む暗殺者の方へと向かう。
ごほごほやっている少年の頭上高く振り上げられる剣。またあの肖像画の男に似た瞳になったカシュヴァーンは、掲げた剣を一気に振り下ろそうとした。
「やめてカシュヴァーン様! ルアークを殺さないで!」
思わず叫んだアリシアの声に、暗殺者と暴君は同時に彼女の方を向く。
「……どういうことだ、アリシア」
地を
「ノーラだのに色々聞いた話を総合すると、お前はレイデン伯爵の間抜けな悪巧みを止めるためにここに単身乗り込んだんだと思うんだが」
抑揚のない声でそう言うと、彼は長靴の先でルアークの足を踏みつける。そういえばノーラに伝言を頼んだんだったわ、と思っている彼女にカシュヴァーンはさらに言った。
「こいつが俺の命を狙った暗殺者なら、俺にはこいつを殺す権利があるだろう。なのになぜ、それを止める?」
「え、ええと……」
「お前は薄気味悪い場所だの話だのが好きだそうだな。だからか」
どうやら色々聞いた話、の中にはそんなことまで含まれているようだ。ちょっとびっくりしながら、アリシアは考え考えこう答えた。
「ええと、その……私、確かに怖いお話が好きです。幽霊とか死神とか、大好きです」
なので死神姫、という呼称自体は悪くないのだ。ただしそれは本当のことではないし、亡くなったブライアンには悪いことをしてしまったと今でも思っている。
「だけどそれはお話だからですわ。現実に誰かに死んで欲しいなんて思ったことはありません。……ルアークはそれはまあ、たくさんの人を殺して来たといいますか元夫の仇なんですけど、ええと……その……死んだらおしまいです」
カシュヴァーンもこの間言っていたが、人間死んだら何もかもおしまいだ。
フェイトリンのため、アリシアのためと気張っていた両親は疲労の果てに死んでしまった。彼らの遺志を自分がどれだけ尊重したとしても、たとえフェイトリンのかつての栄華を取り戻せたとしても、二人がそれで戻って来るわけではない。
両親のことを愛していたから、どれだけ貧しかろうが親子三人でいっしょにいられればアリシアは結構幸せだった。ついでに言えばいっそ広いだけの家など売り払い、どこか田舎の方に小さな家でも買えばもっと生活も楽だったのではないかとも思うが、それはとても言えなかった。
「私……カシュヴァーン様にもルアークにも、死んで欲しくないです」
「だってさ。あ、いたたたた」
いつの間にか息を整えたルアークがちゃっかりした声を出すと、カシュヴァーンは無言で彼の足を踏んだ自分の足にもっと体重をかけた。いったん手は止めたものの、振り上げた剣を
「そうだわカシュヴァーン様! ルアークを雇って下さい!」
「……あ?」
口の端を曲げ変な顔をするカシュヴァーンに、アリシアは提案内容の説明を始めた。
「だって雇い主のレイデン伯爵様はもうお逃げになりましたもの。カシュヴァーン様はお金持ちだから、暗殺者を雇うことは出来るでしょう? それに色々と敵も多そうだから、きっとこの先ルアークが必要になる機会もありますわ」
何気なく恐ろしいことを言い始めたアリシアを、その夫は無言で見つめている。
「ねえ、そばに置いておけば殺してしまうのはいつだって出来ますもの。このお屋敷には使用人が少ないようですし、トレイスを許して下さったじゃないですか。ルアークも許してあげて下さい」
めちゃくちゃな理論展開で辿り着いた「許してあげて下さい」を聞いて、ルアークが耐えきれなくなったように吹き出した。そのあたりの地面をばんばん叩きながら笑い転げている少年を踏みつけたまま、カシュヴァーンは
「あは、はっ……あああ、いたたた。あーこんな痛い思いしたのも、こんな笑ったのも久しぶりだよ俺」
笑った弾みに蹴られた腹が痛んだらしく、少々顔をしかめながらもルアークはカシュヴァーンを見上げてつぶやいた。
「そういやあんた、首輪をつけて引きずって来て、足を斬って閉じ込めておくとか好きなんだっけ?」
またも覗き見の成果を匂わせると、ルアークは自分を踏みつけた足へと顔を寄せる。長靴に包まれたすねのあたりにちゅっ、と音を立てて口づけをするのを見て、カシュヴァーンはぎょっとしたように足を引いた。
「奇遇だね。俺って結構、そういうことされるの好きなんだよおにいちゃん。あと、面白い女の子も大好き」
そう言うとルアークは、腹を押さえて立ち上がり無邪気な笑顔を作る。
「こう見えて俺ってば、裏の世界じゃ引く手あまたの有名人だったりするんだよね。上手に飼ってくれるなら、腕でも持ってる情報でもそれなりに役には立っちゃうよ」
武器を持たぬことを誇示するように両手を広げ、少年は平然と自分を売り込み始めた。
「真正面から殴る奴と、後ろから刺す奴が組めば無敵じゃん。ど? 見せて欲しいな、あんたの器。まさか負けを認めた上に、武器を持ってない奴をばっさりいったりしないよね?」
めちゃくちゃな論理の尻馬に乗った、いけ図々しい
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