全ては薔薇の下に⑤


 ティルナードたちがライセンの屋敷の側に勝手に張っている黄土色の天幕は、全部で三つだった。一つがあるじ用のものであり、後二つは連れて来ている兵士や使用人たち用のものなのだろう。

 多くのかがり火といっしょに天幕たちを守るように取り囲むのは、トレイスも使っていたあの肥料要らずの生け垣だ。このあたりでは獣避けとしてこの植物を使うのが一般的であるらしく、食欲を誘う甘ったるい匂いが暗闇に漂っている。


「こういうところで暮らすのも楽しそうねえ」


 そんなことを言いながら供も連れずにひとり歩いて来たアリシアは、当然ながら今度はティルナードたちの見張りに止められた。死神姫の実像を知らされていないらしい彼らは彼女の名乗りに非常に怪訝そうな様子を見せたが、何事かと顔を出したユーランがすぐにアリシアに気づいてくれた。


「ああ、ぼっちゃんを訪ねて来て下さったのですか! すごいです、やっぱり恩は売っておくもの……あわわ」


 いつものごとくの台詞を吐いた彼だったが、とにかくも天幕内部へと招き入れてもらえた。きょろきょろと物珍しげにまわりを見回すアリシアの前に、わざわざ着替えたらしいティルナードが奥から間仕切りの布をめくって現れた。


「嬉しいですアリシア様、ようやくお心が決まったのですね!」


 手を取らんばかりにして喜ぶティルナードに、彼女は前置きなしにこう言った。


「あのう伯爵。カシュヴァーン様を暗殺するのはやめて頂きたいのですけど」


 いきなりそんなことを言われ、ティルナードの眼が点になる。ユーラン以下他の使用人たちなども呆然とするなか、アリシアは真面目な口調で続けた。


「私さっきルアークに会いましたの。ルアークはあなたに雇われたって言っていましたわ。カシュヴァーン様はちょっぴり乱暴なところもあるけれど、言いつけを守れる方には優しい方なんです。殺すのはやめて下さらない?」


 ルアークという名を聞いて、みるみるティルナードの顔色が変わっていく。今までもよく怒っていた彼だったが、それこそ口から火でも噴きそうな形相になりこう叫んだ。


「ルアーク! あの馬鹿っ……!」

「お呼びで?」


 軽やかに返ってきた声に一番ティルナードがぎょっとした顔をする。いつそこへ現れたのか、自分の真後ろに立っていた暗殺者を見て彼は危うくその場で転びそうになりながらうめいた。


「な、なん、何だ、お前、何でここに、しゃべ、しゃべったのか、この方に……!」

「あははー、ごめんねえ。だってアリシアのこと気になっちゃってさあ。やっぱ縁ってあるんだねえ、俺が隠れてたとこにひょいっと入って来たんだよ彼女」


 両手を首の後ろで組み、へらへら笑う顔を見てティルナードは今度は泡でも吹きそうな顔をして怒鳴る。


「ここここの役立たずが! 何が超一流の暗殺者だ、あれだけ僕を馬鹿にしておいて結局今までライセンを始末出来なかったくせに!」

「やーだってさあ、あの人えっらく勘がいいんだもん。その上しょっちゅう出かけてて意外に機会がなくって。注文通りに確実にやれる時まで手を出さない、ってのも超一流のあかしだからね」


 全く悪びれる風なくルアークは笑い、ぬけぬけと続ける。


「そもそもぼっちゃんの命令は二転三転し過ぎなんだよ。前と同じく婚儀に合わせてばっさり、が出来なかった訳だから、色々軌道修正が必要なのは分かるよ? でも最初は死神姫のせいにしようって話だったのに、途中から彼女はだまされているだけでかわいそうとか意味分からないし」


 どうやらティルナードは本気でカシュヴァーンにブライアンの二の舞を踏ませる気だったらしい。道理で簡潔すぎた婚儀の際にやけに慌てているはずである。


「ええいうるさいうるさいうるさいッ!」


 どんどん内情をばらしていくルアークに、ティルナードはあらん限りの声で絶叫した。そして彼は、いきなりアリシアをにらみつけてこう命じた。


「こ、こうなってはもう仕方がない……! ルアーク! アリシア様とライセンを今すぐ始末しろ!!」

「はぁ?」


 間抜けな声を出したのはルアーク、それにもうひとりユーランだった。暗殺者の登場に固まっていた彼だったが、主の命令にあわあわしながらこう言い始める。


「あの、ぼっちゃん、それはちょっとあんまりなのでは……確か最初の計画では、公爵亡き後ぼっちゃんはアリシア様と結婚するというお話で……あわわわわ」


 思わず、という風に止めに入ったユーランにティルナードは金切り声で叫び返す。


「ライセンはいわずもがな、恐怖政治と下克上の風潮をレイデンにまで広げかねない病原菌だ! あいつにこの方を渡しておけばますます奴の力が強化されるし、それに話を知られた以上は仕方ないじゃないか!!」

「あーああ、おぼっちゃんは追い詰められると弱いなあ」


 あきれたように吐いたルアークの姿が消えた、とアリシアには感じられた。代わって彼女ののどもとに突きつけられたのは、かすかに甘い毒の香りをまとった銀の針。


「どうしよっか、アリシア。俺あんたを殺さないといけないらしいんだけど」

「ええと……出来ればやめて頂きたいけど、無理そうよね」


 ぴたりと突きつけられたまま、微動だにしない針先を見つめアリシアはあっさり抵抗を諦める。いつの間にかすぐ背後に立った暗殺者の腕は確かであり、自分が逃げられるとは思えないためだ。


「だけどね、カシュヴァーン様を殺すのはやめて頂けないかしら。評判は悪いようだけどとってもいい方よ。それにね、カシュヴァーン様には愛人も大事なお友達もいるのよ」

「……はあ?」


 ルアークが変な声で聞き返すと、カシュヴァーンの正妻である少女は大真面目にこう言った。


「愛人はノーラ、お友達はトレイスって言ってね。二人ともとってもいい人よ。カシュヴァーン様に何かあったら二人も他の使用人たちも、アズベルグの領民たちもみんなとっても悲しむと思うわ。喜ぶ人も割といるみたいだけど」


 微妙な台詞を口にした後、アリシアはなおも真面目な顔でつけたした。


「それに私も、さすがにまた未亡人にはなりたくないわ。もうこれ以上家族をなくしたくないの。お願い、ルアーク」


 死神姫とあだ名され、妙な趣味と妙な性格で変人扱いされることの多い少女。そんな彼女の口から出た、ひどく真っ当な願いにルアークは一瞬無言になった。


「……ねーどーすんの、司教様……おやあ?」


 緑の瞳がふいと天幕の外へと動く。それと同時に外から激しい物音が聞こえ始めた。


「おやめ下さい!」

「伯爵様はもうお休みです、乱暴は……!」


 必死の制止の声がどんどん近づいてくるが、その動きは収まらない。やがてかがり火に照らされた人影が天幕の外に立ち、次の瞬間分厚い布が斜めに切断され冷たい夜気が内部に流れ込んで来た。


「他人の領地に勝手に天幕なんぞ張っておいて、何が乱暴だ」


 吐き捨てる黒い男の影が天幕の内部にまっすぐに伸びていく。入口ではない部分の布を一刀両断し、背後にトレイス及び何十人かの配下を従えたカシュヴァーンはじろりと内部の人間たちをねめつけた。



「カシュヴァーン様……」


 先程自分を廃園からつまみ出したはずの夫の来訪に、アリシアは驚いた声を上げた。


「おー、やっぱこうやって相対すると違うねえ。でっかいなあ、まあアズベルグの人たちって大抵でっかいけど」


 いつもの調子に戻って言ったのはルアークである。さっぱり場の空気を読まない発言をした彼に、あからさまに不機嫌そうなカシュヴァーンはもっと不機嫌そうな顔をした。


「なんだお前は」

「俺? 死神」


 ふざけたような名乗りに、しかしカシュヴァーンはすぐにぴんと来たようだった。


「そうか、ここ最近ずっと俺を見張っていたのはお前だな」


 言い当てられてルアークはおや、という顔をし、ティルナードも短く息を飲む。


「あっはぁ、こりゃ完全に泳がされて様子見されてたねえ。もーだめだなあぼっちゃんは、ばればれじゃんか」

「うるさいっ! ば、ばれたのはお前のせいだろうが! 自分の気配や情報ぐらいまともに消せないで何が暗殺者だ!!」

「そんなにちゃあんと気配を消してたら、あんたが俺に渡りをつけるなんて絶対無理だったと思うけど? ま、いいや。いまさらだし」


 何だか楽しそうにつぶやいたルアークは、笑いながら手の中の針を握り直した。そしてアリシアから離れカシュヴァーンの方を向こうとした矢先、彼は軽く驚いた表情になって足を止める。

 ティルナードが漏らした言葉を聞いた、カシュヴァーンの目つきが変わっていたのだ。


「暗殺者、だと? おい、まさか……お前はバスツールの跡継ぎを殺した、あの暗殺者なのか?」

「うん」

「おい!」


 あっけらかんと答えたルアークにティルナードが声を上げる中、カシュヴァーンは奇妙な無表情でつぶやいている。


「……そうか。何をたくらんで他人の土地に居座っているのかと思ったら、よりによって暗殺者を……それもアリシアゆかりの暗殺者を雇う、か……」


 静かな声でひとりごちた次の瞬間、いきなりカシュヴァーンの形相が変わった。無表情から一転、鋭い瞳にやいばのような光をたたえた彼は剣を手にしたまま一直線にティルナードに向かっていく。


「おやめ下さい公爵! ぼっちゃんに暴力は、うわ、うわわわわっ」

「やかましい、退け! それと俺は強公爵だ!」


 気迫のこもった大声に、一度は止めに入ったユーランは風に舞う木の葉のようによろよろと吹き飛び道を譲った。怯えたティルナードは反射的に逃げようとしたが、それよりカシュヴァーンが彼の前に立つ方が早い。


「おいこら、このクソガキ」


 このあたりの山賊でもしないような凶悪な面構えになったカシュヴァーンは、ティルナードを見下ろしそう言った。半瞬ぽかんとしたティルナードは、はっと我に返って自分を指し引きつった顔をする。


「……ぼ、僕のことかっ……!?」


 以前までは一応敬語でティルナードに接していたカシュヴァーンだったが、最早そのような気遣いをする気はないらしい。口調まで山賊そのものになった彼は、鼓膜をびりびりと震わせるような大声で怒鳴った。


「お前以外誰がいるんだ、ああ? 頭が産着にくるまれたままの、甘ったれたクソガキが!」


 ごていねいにもう一度「クソガキ」と繰り返した後、カシュヴァーンは片足を振り上げ近くにあった支柱を蹴り飛ばした。天幕全体がゆらりと揺れるほどの衝撃に、ティルナードが青ざめたが彼は構わず怒鳴る。


「暴力はだめだとあれだけわめいておいて自分はこれか。真正面から殴るのは暴力で、暗殺者を差し向けて消すのは違うのか! はっ、お前のおやいとたかき国とやらでさぞ鼻が高いだろうよ!」


 亡き父親のことを持ち出され、ティルナードが顔をこわらせる。悔しげに表情をゆがめて彼は叫び返した。


「き、貴様を野放しにしておけば、また父様や僕のような目に遭う貴族が出るんだ! この地には他に気概のある貴族もいないようだしな! 由緒ある家に生まれながら、不当な暴力に……痛いいいい!」

「ああ、多分俺はこの先も、お前みたいな勘違い小僧を見れば殴るだろうな!」

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