暴君と怪物④


 次の日の朝のことである。


「一度ぐらいは、しゆつたつのごあいさつをした方がいいわよね」


 本日はきちんと目覚めたアリシアは、身なりを整え部屋の外に出る。夫の見送りは妻の務めの一つだろうし、それに彼が今日出かけてくれればノーラに手引きしてもらいあの廃園に行けるかもしれない。

 そんなことを考えながらとりあえず一階の広間に降りようとした矢先、せいと怒鳴り声が外から響いてくる。驚く彼女が階段の上から見下ろす中で、屋敷の扉が荒々しく開けられた。


「ライセン!」

「ぼっちゃん、ぼっちゃんだめですってば!」


 アリシアがライセンの屋敷に来た日の再現のようだ。乱暴に扉を開き、内部に侵入して来たのはティルナード。すぐ後ろにひょろりと背こそ高いものの、その分おろおろすると情けなさが際立つユーラン。

 おまけにその背後には、翼の紋章をつけた護衛兵に入り混じり、豪華な衣装に身を包んだ見知らぬ男たちが多数くっついていた。ティルナードの部下とは思えぬ彼らは、先頃カシュヴァーンが処刑した代官にどこか雰囲気が似ている。

 ただし激しい怒りに燃えるティルナードと違い、彼らは明らかにびくびくしていた。例の翼持つ怪物の像を見つけて、口の中で清めの聖句を唱えたりしている者もいる。


「何の騒ぎだ」


 騒動を聞きつけたらしく、カシュヴァーンが現れた。見回りに出るつもりで準備をしていたのだろう、いつもながらの軍服めいた黒い衣装に身を固め威風堂々と広間へ降りて来る。

 領主の登場により、侵入者たちの勢いは弱まった。しかし後ろから押されているらしく、勢いを弱めながらも増え続けている招かれざる客たちを見て、カシュヴァーンは瞳を細める。


「これは面白い取り合わせだな。年若いレイデン伯爵はとにかくとして、領主のやかたに何の連絡もなく押しかけてくる貴族がアズベルグにこれだけいるとは驚きだ」


 皮肉に口の端を歪め、カシュヴァーンが視線を巡らせた。すると近隣の貴族たちらしい一群はさらに怯えた表情になり、てんでばらばらに眼を逸らした。


「いや、その……」

「我々は、ですね。その……先頃あなたが行ったことに対して、抗議を……いや、本当はまずは使者を出し、順序立てて……あの」


 こうして押しかけて来たのは本意ではないと言いたいらしい。以前までの調子であればティルナードもいっしょに腰が引けそうなものだが、本日の彼は様子が違った。

 言い訳を並べる貴族たちの中からひとり、ずいっと前に進み出て来る。怒りのためにか頰には赤みが差し、普段より健康そうに見えるぐらいだ。


「聞いたぞ! 貴様まともな裁判もせずに代官を、それも男爵家にゆかりの代官を斬っただと!?」


 その言葉にカシュヴァーンはほう、とかたまゆを上げた。


「レイデン伯爵は意外に耳ざとくていらっしゃる。しかしそのようなこと、本来あなたのお耳にお入れするようなことではないでしょうが」


 責めるような視線を向けられて、ユーランは震え上がりまたぽろぽろと余計なことを漏らした。


「ひいいすいません! 私もお止めしたのですが、ぼっちゃんは実際の支配の様子を見てみたいとおっしゃってお出かけに……! 遠く聞こえてくる噂だけで十分あなたの横暴ぶりなど分かっておりますはずですのに、あわわわわ」


 怯えて暴走する後見人を尻目に、ティルナードはさらにカシュヴァーンに歩み寄った。

 頭一つ分背の高い男の胸倉を、彼は大胆にも引っつかんで食ってかかる。


「話には聞いていたがこれほどまでとはな! おまけに貴様、いっしょにいた農民はおとがめなしで済ませたそうじゃないか!」


 その言葉にぴくりとカシュヴァーンの表情が動く。しかし頭に血が上っているティルナードは彼の反応に気づいていないようだ。


「そいつはアリシア様をさらったと! なのにそいつはお咎めなしで、代官は死刑とは何事だ! 身びいきもいい加減にしろ!」


 ティルナードにことの次第を教えた者の言い方が悪かったのか、それとも元々カシュヴァーンに持っている偏見のせいか。どちらにしろかなり偏った眼を通した事実を、ティルナードは大声でまくし立てる。


「聞いたぞ! トレイスとかいうその農民は、貴様の幼友達だそうだな! はっ、公明正大な領主が聞いて呆れる! きちんと言い分も聞かず、身分ある者を野蛮な暴力でッ」


 悪い熱に浮かされたような言葉がぶつりと途切れた。

 ティルナードの胸倉を摑み返したカシュヴァーンが、一息に彼を持ち上げたのだ。

 ぐっ、と詰まった声を上げたティルナードの足先が床を離れる。カシュヴァーンは己の眼の高さまで引き上げた顔を、トレイスを恐れさせたあの眼で見つめた。


「俺はトレイスにもきちんと落とし前をつけさせた」


 抑揚のない声で低く吐くと、彼はもう片方の手を握り作った拳をティルナードの頰に触れさせた。


「ああそうか。高貴な血を引く御方には、農民へのあの程度の扱いは暴力と認められないという訳だな」


 骨の浮き出た硬い拳で、カシュヴァーンはそう言いながらこつこつと若者の頰骨をたたく。当りをつけるようなそのしぐさに、ティルナードのやせた体がぶるぶると震えるのがアリシアにも分かった。


「ぼ、ぼっちゃんっ……やめ……公爵、いけません、その方に暴力はやめて下さい……!」


 はっとしたようにユーランが叫ぶが、カシュヴァーンの眼はティルナードにひたと据えられたまま。ティルナードもり上げられた格好のまま、四肢をばたつかせることさえ出来ずに茫然と眼の前の男を見つめている。

 そのさまはさながらおおかみに捕らえられ、引き裂かれる運命を悟った子うさぎのようだ。迫り来るきばを頭では理解していながらも、心を先にその牙にかけられてしまった。もはやみじめな抵抗をすることもかなわない。

 屋敷内に入り込んだ他のアズベルグの貴族たちも、全員来るんじゃなかったという顔をして震えている。やはり血は争えないと、誰かが口にした言葉がアリシアの耳をかすめた。


「ユーラン様……!」


 ティルナードの護衛兵のひとりが、指示を仰ぐように彼を呼ぶ。しかしそうしている間にも、カシュヴァーンの淡々とした言葉は終わりを迎えようとしていた。


「ではきっとあなたも、同じ扱いを受けても我慢が出来るだろう」


 握られた拳がいったんティルナードから離れ、また近づいていく。トレイスにしたのと同じように、カシュヴァーンはなぎ払うように大きく腕を振った。


「父様、母様ッ……!」


 ティルナードの叫び声、殴られる音、倒れる音。

 それら全ての音がやんだ時、後頭部にカシュヴァーンの拳を受けたユーランが彼の足下にうずくまっていた。


「あっ、たっ、たっ……!」


 殴られた頭と転がった際に打ちつけた足を押さえながら、ユーランは涙目でうなっている。一方彼にかばわれ床に転がったティルナードは、少し離れた床の上に丸くなりぶるぶると震えていた。


「ユーラン様!」

「司教様!」


 警備兵たちやアズベルグの貴族たちがいっせいに青ざめる。ユーラン本人も死にそうな顔をしているが、彼は懸命にカシュヴァーンを見上げこう訴えた。


「ぼ、ぼっちゃんは……暴力は、だめなんです……」


 真っ青になって震えているティルナードを背に庇い、ユーランは深々と殴られた頭を下げる。


「家を焼かれ、家族を殺されて……その時の恐怖を、ずっと忘れられないでいらっしゃる……ライセン公爵、後見人として私がぼっちゃんの非礼をおび致します、どうか……」


 黒髪をぐしゃぐしゃにした状態で、震える声を絞り出すせた青年の姿をカシュヴァーンは黙って見下ろしている。彼の顔つきから険は消えていなかったが、続けて蹴りを繰り出すような様子はない。


「そ、それと……高貴な血を引く引かないを問わず、いきなり処刑というのはあ、あんまりでは、ないでしょうか……」


 しかしおずおずと続けられた言葉を聞いた時、またカシュヴァーンはぴくりと眼の端を反応させた。発言者であるユーランは彼の顔をまともに見るのが怖いのだろう、頭を下げたまま微妙な上目遣いの状態でしゃべり続ける。


「あなたが斬ったあの代官は、あなたの父君の代から職についていたとお聞きしております……身勝手な取り立てには確かに問題があるにしても、彼には裁判を受ける権利があったはずです。それに、たとえ処刑されるにしても翼を賜る儀式を」

「翼、翼な。お前らの商売道具の話か」


 ユーランの言葉に強引に割って入り、カシュヴァーンはそう吐き捨てる。先のティルナードのそれがうつったように、黒い瞳は熱を帯びて強く光っている。


「何ということを! あ、あなたは本当に神を信じていないのですか!?」


「商売道具」という表現にぎょっとした様子で叫び、ユーランはまともに顔を上げてカシュヴァーンを見た。途端に異様な輝きに満ちた瞳にまっすぐ射抜かれ、ひいっとのどを鳴らすがカシュヴァーンは止まらない。


「お前たちの言うことが正しいのなら、なぜ下克上が起こった。なぜ聖女アーシェルの血を引く、神聖にして高貴な家の方々が農民どもに焼き討ちに遭う羽目に陥った!」


 怒鳴り声に、ユーランの背中に隠れた状態のティルナードがびくっと震える。ユーランも彼の怯えを感じ取ったらしく、ひな鳥を庇う親鳥のように大きく手を広げながら懸命に言い返した。


「それは……世が乱れ、人々の心が神から離れたからです。かつてアーシェル様が迫害を受けたあの頃のように」

「答えは簡単だ。〈翼の祈り〉の教えが下らない、役に立たないものだと皆が気づき始めたからだ。死後の世界を人質に、現世での苦行を強いる貴様らの教えは貴族や王族に都合のいい方便に過ぎないとな!」

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