暴君と怪物③


 屋敷に戻ったアリシアとカシュヴァーンをノーラが待ち受けていた。ライセン夫妻が広間に入ってくるのを見るなり、彼女はすっ飛んで来てわざとらしく胸の前で両手を組み合わせる。


「まあまあ奥様! もう、心配いたしましたのよ!」

「ええ、ごめんなさいねノーラ」


 約束通りに責めることもなく、おうようほほむアリシアの全身をノーラはじろじろと眺め回す。外傷もなく、それほど疲れている様子もなく、特に気落ちしている様子もないことを確認し、メイドは探るような声を出した。


「……思ったよりもお元気そうで安心しましたわ。カシュヴァーン様が早めに見つけて下さったようで良かったですわね」


 ちらちらとカシュヴァーンの方を見ながらの台詞に彼は意味ありげな含み笑いをする。隣の妻の細い肩を軽くノーラの方に押しやってから、彼は何食わぬ顔で言った。


「ノーラ、早速だが俺の奥方にもう少しましな服を着せてやってくれ。ぜいたくをしないのは美徳だが、程度というものがあるはずだ」

「……は、ええ、はい」


 状況をうかがうようにノーラはうなずき、言われるままにアリシアを連れて歩き出す。カシュヴァーンも自室へ戻るつもりらしく、二人の後から階段を昇り始めた。


「それと、ノーラ。俺は自分の分をわきまえない奴が嫌いだ」


 微妙に緊張したノーラの背に、カシュヴァーンは後ろから声をかける。


「自分の欲望に忠実な女は嫌いじゃないが、これにも程度というものがある。あまりやり過ぎないようにしろよ」


 それだけ言って彼は暗い廊下を曲がり、自分の部屋の方へと消えていった。薄暗がりに溶け込むような黒い男の背中を見送り、アリシアはこわったノーラの横顔に不思議そうな声を出す。


「ノーラ、どうしたの? 何だか汗をかいているみたい」

「……いえ、何でも。それより奥様こそ、本当に大丈夫なのですか。あの、だん様にものすごく怒られたりとか、ぶたれたりなどなさいませんでした?」


 むしろそれを期待しているようなノーラの問いに、アリシアはトレイスの小屋での光景を思い出しながら答える。


「私は大丈夫よ。怒られて殺された人と、怒られてぶたれた人ならいたけど」


 ぎくりと表情を強張らせるノーラに、アリシアは少し迷ってから尋ねた。


「あのね……ノーラ、トレイスって知ってる?」

「トレイス? いいえ、存じませんわ」


 驚いたように言われ、アリシアはそう、とつぶやいた。


「ノーラは知らないのね……じゃあいいわ。あ、私が聞いたってことはないしょにしておいてね。でないとノーラも首輪をつけられたり、足を斬られたりするかも」


 カシュヴァーンに言われた脅し文句をそのままつぶやく奥方に、ノーラはさらに引きつった顔をしている。だがアリシアは自分の考えごとに頭がいっぱいだ。

  の廃園。

  前の領主。

  トレイス。


「ひどいわカシュヴァーン様ってば、面白そうなことばかりお話しして下さらないんですもの。ああ、それにしてもあの薔薇園……」


 折しも例の廃園がちらりと見える位置に来たために、アリシアは思わず未練を口から出してしまった。それを聞き留め、怯えていたノーラの瞳がきらりと光る。


「……奥様。以前もおっしゃってましたけど、奥様はあの廃園にそんなに興味がおありなのですか」

「ええ、そうなの!」


 ぱっと顔を明るくし、アリシアは弾んだ声を出した。


「だってね、今にも崩れそうで幽霊が出ておまけに近づいてはだめなのよ! ぜひ中に入ってみたいわよね!」

「さ、さようでございますか。では……」


 何か考えるようにわずかに上を向いてから、ノーラはもったいをつけた口ぶりでこう言った。


「もしもよろしければ、今度私が中にご案内しましょうか」

「え、本当!?」


 それはうれしそうにアリシアは叫ぶ。しかし次の瞬間、彼女は珍しく声の調子を落として続けた。


「……でも、だめよ。カシュヴァーン様にばれたら違約金を取られちゃう」


 少しは学習したらしいアリシアの様子に、ノーラはここぞとばかりに優しい口調で言った。


「大丈夫ですわよ、カシュヴァーン様はお忙しい御方。また今度にでもあの方が領地の見回りに出ていらっしゃる間に、こっそり見てくればばれませんわ」

「まあ、それはいい考えだわ!」


 再びアリシアの表情がぱっと明るくなった。


「ですけどほら、何度も申し上げますけどこのことは」

「ええ分かってるわ、ノーラ。大丈夫、あなたが言ったなんて言わないから」

 晴れやかな笑顔になると、アリシアはノーラを見上げて嬉しそうに礼を述べた。

「本当にありがとうねノーラ。あなたがカシュヴァーン様の愛人で良かったわ!」

「……それはどうも」


 新婚三日目の花嫁にそう言われ、愛人はあいまいあいづちを打った。



 その日結局、カシュヴァーンは見回りに出ることはなく部屋にずっと閉じこもっていた。従ってアリシアも薔薇園に案内されることはなく、実家から持ってきた古びたドレスに着替えた後は屋敷の中をうろうろと歩き回って時を過ごした。

 大雑把にしか案内されていない屋敷の中を、入念に見て回れば結構新しい発見がある。自作の地図に書き込みを入れながら過ごすと、時間はあっという間に過ぎていった。

 これでこの屋敷の中できちんと見て回っていないのは、裏の廃園、それにカシュヴァーンの部屋のみ。主の私室は普段はかぎがかけられており、今日は彼は部屋にいるが試しに近づいてみたらカシュヴァーンが普段連れ回っている配下のひとりに止められてしまった。


「お、奥様、あの、旦那様のところに行こうとしてらっしゃいますか?」

「ええ」

「今はおやめになった方がいいです。奥様も危ないですし、その……私どもにも危険ですので、おやめ下さい」


 どうやらカシュヴァーンの機嫌はあまり良くないらしい。彼の言いつけを破って連れ戻されたすぐ後ということもあり、アリシアはおとなしく引き下がった。


「分かったわ。教えてくれてありがとう」


 言われてカシュヴァーンの配下は、今まで無視を決め込んでいた奥方と口をきいてしまったことにいまさら気づいたようだ。だがアリシアは別に気にした様子もなく、礼の言葉を残してその場を立ち去った。

 夕食の時間になった頃、アリシアは台所へ行ってみた。料理人たちは夕食の準備をしていたが、屋敷の主や奥方のために正規の会食の準備をしているという訳ではなさそうだった。


「カシュヴァーン様のお食事は?」


 昼食の時も聞いたことを中年の料理人に尋ねると、返ってきたのは同じ台詞だ。


「旦那様は、食事は部屋でおひとりで取られたいそうです」

「あら、そうなの」


 そう言われてアリシアは、食事の盆をもらって自分も部屋に持っていく。今日はカシュヴァーンが屋敷にいるので彼女の分も作ってもらえはするのだが、彼が部屋にこもっているのでアリシアもひとりで食事をしなければならない。

 ノーラがいっしょに食べないかなと思ったのだが、彼女は他のメイドたちと食事を取っているらしい。使用人と奥様が同じ席に着くなどとんでもありませんわ、と言ったノーラはアリシアを着替えさせて以来どこかに行ってしまったままだ。


「やっぱりお食事って、誰かと食べた方がおいしいわね……」


 カシュヴァーン、ティルナード、ユーラン、トレイス。両親が亡くなって以来ひとりの食事に慣れたアリシアと最近食事を共にしてくれた者たちの顔を思い浮かべ、彼女はぽつりとつぶやいた。


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