第三章 暴君と怪物

暴君と怪物①


 トレイスが案内してくれたのは、典型的な木こりの小屋だった。頑丈な丸太と木の板で組まれた素朴な作りで、内部には間仕切りがなく全体が一つの部屋になっている。

 場所は肥料要らずで作った生け垣からさほど離れていなかった。

 ひとり暮らしをしているらしく、他に同居人らしき人影はなかったが中は整然と片づけられていた。


「お客さんは久しぶりだよ。さあ、適当に座って」


 優しく言ったトレイスが火を起こしてくれている間、切り株を利用した腰掛けに座ったアリシアは物珍しさにきょろきょろしている。貧乏育ちの彼女だが、だからといってこのような小屋で暮らしていたわけではない。


「確かにちょっと狭いですけど、全然汚くはないですわ。あら、床は地面がそのままなのね。乾いてはいるけど、これじゃ直接は座れないわ」


 声に出して堂々と感想を述べる少女に対し、トレイスは少し驚いたような顔をする。だが彼はアリシアのことをあまり頭が強くない娘だと思っているらしく、むしろ気の毒そうな表情になってこう言った。


「ありがとう。ほら、パンとチーズぐらいしかないけどこれでいいかな。かわいそうに、食べる物も食べないで逃げ出してきたんだね」


 トレイスの頭の中では、アリシアがライセンの屋敷から逃げ出した物語がかんぺきに作り上げられているようだった。困ったわねえ、と思いながら、とりあえず彼女は出された物をぱくぱくと食べる。


「……カシュ……ライセン公爵は、今……」


 何事か言いかけたトレイスだが、アリシアが気づいてを上げた時にはすでに口を閉ざしていた。気の迷いを振り切るように頭を振ると、彼は部屋の隅にあった小さな寝台を指し示す。


「食べ終わったらそこでお休み。朝は少し早めに出るからね。あいつが探しに来てはいけない」

「いえあの、探しに来て頂いた方がありがたいんですけど」


 どちらかといえばカシュヴァーンよりノーラが来てくれた方がいいけど、と思いながらアリシアは言ったが、トレイスは力づけるように笑ってくれるだけだ。


「そんなに心配しなくていいよ。ああ、もしかして私を警戒しているのかな。ごめん、気が利かなくて」


 別の方向に気を利かせたらしく、トレイスは困ったような顔をする。


「寝台は一つしかないけど、いっしょに寝ようなんて言わないから安心してくれないか。私はそのへんで寝るから。誓って手なんか出さないよ、約束する」

「いえそんな、私お邪魔させて頂いているのに」


 トレイスの申し出に遠慮するアリシアだが、しかし彼は気にしないで欲しいと優しく笑う。


「大丈夫だよ、姉さんがいた時はずっと」


 何の気なし、という風に口から出した言葉にトレイスは自分ではっとした顔をする。自分自身の言葉に傷ついたような表情になると、彼は視線を斜めに落としてこう言った。


「……ごめん、女の子がここにいるのは久しぶりだからかな。ほら、もうお休み」


 優しさと強引さが混じり合ったその声には、微量の悲しさが含まれていた。どことなく逆らいがたいものを感じさせる雰囲気と、何より時間的にもうまぶたが限界で、アリシアは言われるままに平たい木の板で出来た寝台に潜り込んだ。



 寝台は少しつちぼこりにおいはしたが、寝心地がそれほど悪いということもない。慣れない森歩きの疲れもあり、アリシアはごくあっさりと寝入ってしまった。

 翌朝早くに彼女のひとみを覚まさせたのは、ライセンの屋敷にいた時と同じ馬のいななきである。しかしぱちっと眼を開けたのと同時に、「トレイス、いるか!」という大声が聞こえアリシアはきゃあと叫んで飛び上がった。


「何だ? 女の声が聞こえたぞ」


 意外そうな声とともに、小屋の中に入ってきたのは武装した数人の男たちだった。一人だけ妙に身なりが良く、毛皮の縁取りのあるマントをひるがえし偉そうに内部を見回している。


「代官殿。一体なんです、こんな朝の早くから」


 同じく眼を覚ましたらしいトレイスが、素早く男たちの前に進み出て険のある声を出した。代官、と言えば領主に代わり税の取り立てをする役人のことだが、とりあえずがねをかけたアリシアが見る限りこの男の方がカシュヴァーンよりも偉そうに見える。


「何ですかではないだろう。お前が一向に税を納めないから、この私がわざわざ取り立てに来てやったのだぞ」


 その言葉にトレイスは更に表情を険しくした。


「規定の税はすでに納めておりますでしょう。……ライセン公爵が決められた税は、年収の三割……」


 彼が言い終わる前に、代官が連れていた男たちがトレイスの腹を殴りつける。ぐっ、と息を詰めた彼を代官はさげすむように見た。


「ああ、お優しい領主様がお決めになった分はな。だが分かるだろう? トレイス。それっぽっちの取り立ての中からでは、代官の重責に見合う報酬は賄えぬとな!」


 その大声に合わせ、二度、三度とトレイスの腹に左右からこぶしが入る。寝台の上でぼうぜんとしていたアリシアは、思わず彼のそばに駆け寄った。


「何をなさるの、トレイスはもう税を払ったのでしょう!? 一度に取り立てられる額が少なくても、長い眼で見ればきちんと納税する人は大事にした方が、きゃっ!」


 いきなり代官に腕をつかまれ、アリシアはびっくりして声を上げてしまった。そのままぐいっとあごを取られ、値踏みするようにしげしげと顔をのぞき込まれる。


「何だこの娘は。お前の恋人か? 堅物で通っているお前が意外だな」

「違う! やめろ、その子は関係ない!」


 血相を変えるトレイスを部下に押さえさせ、代官は捕まえたアリシアの全身をじろじろと眺め回した。


「肌はきれいだが、どうにもえない小娘だな。ふん、トレイスの女などしょせんこの程度か……まあ年は若いし、使えんこともないか」

「やめろ!」


 叫ぶトレイスの前髪を、代官は空いた手で摑んだ。苦しげにゆがんだ顔を覗き込み、彼はにやにやしながら言う。


「やめて欲しいのならば、お前の恋人の分の税もきっちりと払ってもらおうじゃないか。もちろん滞納した分の罰金も耳をそろえて納めてもらうぞ」


 薄笑う瞳には加虐的な光がある。難癖としか思えぬその言葉の奥には、陰湿な恨みの感情がひそめられているようだった。


うわさじゃお前は、公爵と何やら縁があるらしいがなあ! そんな甘えはこの私には通用せんぞ!」

「……誰がそんなことに甘えるものかッ……!」


 叫び返したトレイスの横面を、代官は激しい音を立てて張り飛ばす。口の中を切ったらしく、その唇から血が流れるのを見てアリシアは小さく息を飲んだ。

 物語の中でなら、このような光景に遭遇したことはある。目の前で花婿を殺されたことさえある。

 しかしまるっきりふざけて寝転がっているようだったブライアンと違い、トレイスは明らかにじわじわといたぶられているのだ。とても見ていられず、アリシアは一生懸命叫んだ。


「やめなさい! こんなことはカシュヴァーン様も、ええと多分お許しにならないわ!」


 暴君暴君と何度も聞かされている彼のことである。少々どうかしら、という気分も入り混じっての叫び声は、代官たちの笑いを誘っただけだった。


「お前の女まで公爵様の縁者気取りか! 思い上がるのもいい加減にしろよ、それともこの女も公爵様から頂いたのか!?」

「違いますわ。私はカシュヴァーン様の妻です!」


 なおもトレイスに加えられる暴力を止めようとアリシアは言った。これには代官はもちろんトレイスも驚いたらしく、一瞬の静寂が小さな小屋の中を満たす。


「な……んだと、おい、何だこの女は頭がおかしいのか!?」


 汚い物にでも触れたように、代官はアリシアを振り払った。その場に投げ出されたアリシアは、転びこそしなかったものの派手に地面にお尻を打ちつける。


「あ、いたた……あらいけないわ、借り物の服なのに」


 変装用の服が汚れるのを気にするアリシアに、トレイスはひどく悲しそうな顔をする。


「妻……そうか、やっぱり……まだそんな風にだましているのか、かわいそうに……」


 またもひとりで何かに納得しているトレイスを尻目に、代官はいまいましそうな声を出した。


「そういえば公爵は結婚したと触れ回っていたが……相手はあの死神姫だろう? その姿は夜空に輝く青白き月がごとし。冷気を帯びたぼうは男の心を凍てつかせ、しかし捕らえて離さない……とかいう話だぞ。なんて図々しい女だ」

「あら、それはいい方の噂ですわね」


 思わず言ったアリシアだったが、今度はトレイスが目をいた。


「結婚!? カシュヴァーン様が、あの死神姫と!?」


 どうやらそのことを知らなかったらしい。何が何だか分からなくなったアリシアの耳に、再び馬のいななきが聞こえてきたのはその時だった。


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