愛人の心 正妻知らず②


「私が後見人としておつきして、〈翼の祈り〉教団全体でティルぼっちゃんを支援し領主に戻って頂いたのですよ。教団としても、これ以上あの地の混乱をほうっておくことも出来ませんでしたし」

「ああ、それでユーラン様が後見人になっていらっしゃるのですね」


 未成年者が高い地位を引き継ぐ場合、普通は成年に達するまでの間親類が後見人になる。だが十年前の争いで、レイデンの一族はほとんど皆殺しにされたはずだ。そういった場合は国王及び上位の主君、さもなくば貴族の家に派遣されている〈翼の祈り〉の聖職者が後見人になることになっている。


「でも後見人がいらっしゃるということは、レイデン伯爵様が成人なさるまでは領主の権限もユーラン様のものということですわよね? 税収入なども得ることが出来るのでしょう、うらやましいわ」


 後見人とは要するに、被後見人者の法的代理人である。被後見人を保護する代わりに、被後見人に代わってその意思決定を行ったり権限を代行することが出来るのだ。

 それゆえに地位ある未成年者の後見人に収まって、うまい汁をすすろうとする者は跡を絶たない。二回後見人に売られたアリシアなども実はその一例だが、ティルナードはまたしても首を振った。


「形としてはそうですが、ユーランは僕の許可なく勝手に領主の権限を使ったりはしませんよ。税収の用途だって一々僕に聞いてくる。だからこそ僕も、このおくびようで気が利かなくてぽろぽろ余計なことをしゃべるようなだめ聖職者をそばに置いてやっているんです」


 被後見人とは思えない態度で偉そうに言い切ると、彼は更にこう続けた。


「ですからご心配なく。ライセンがあなたにどれ程のことをして差し上げるつもりなのかは知りませんが、しょせんは貧しい辺境の領主。豊かなレイデンの実りを手にすることが出来るこの僕が、何不自由のない生活をお約束して差し上げます」


 途中から口説き文句に変わった言葉を聞きながら、ユーランはおっとりと笑って口をはさむ。


「いえね、実は私の前にも何人かぼっちゃんの後見人だった方はいらしたんです。でもその方々はレイデンの家名を利用したかっただけで、ぼっちゃんは散々利用された挙げ句に何度もぽい捨てされてすっかり後見人不信に……あわわ」


 また要らないことまで口を滑らせた現後見人を、ティルナードがじろっとにらんだ。しかし彼が口を滑らせた部分が、すなわちティルナードが真に語ろうとしていた部分だ。


「……そういうことです。後ろ盾をなくした僕に、ねこで声を出して近づいて来た連中は大勢いた。だけどみんな僕が受け継ぐレイデンの家名が目当てだったんだ。僕の気持ちなんか、誰も考えてはくれなかった」


 アリシアと違い、ティルナードは地方伯の名にふさしい名家の生活を何年かは経験しているはずである。そこから放り出されて後見人の間をたらい回しにされるのは相当辛つらかったのだろう。彼の声は暗く、苦悩と苦労がにじみ出ていた。


「あなただってそうでしょう? 名家に生まれた女性の婚礼が、好き嫌いの気持ちだけでは成り立たないことぐらい僕にも分かっている。だけどだからといって先の夫との婚儀からまだ一年ほどしかっていないのに、おまけにライセンなどと……! あんまりです。あんまりにも、お気の毒だ」

「いえ、私早くカシュヴァーン様に買って頂けてうれしいのですけど」


 声を震わせての同情の言葉に、しかしアリシアは同調せずあっさり首を振った。おかげでティルナードは用意していた次の言葉をのどに詰め、ごほごほとむせ始めてしまう。


「わわ、ぼっちゃん大丈夫ですかっ」


 隣のユーランが急いで背をさすり始めるが、あまり役には立っていない様子だ。見かねたノーラが水差しの水を金属製のコップに注ぎ、それを渡しながら話しかける。


「あのう、レイデン伯爵? 申し訳ないですけどこのお嬢様にそういうまともなお話をしても無駄なようですわよ。まあこの方をここから連れ出して下さるのなら、正直反対はしませんけど」


 ところがティルナードはノーラの接近に気づくが早いか、おおぎように身を引いて叫んだ。


「近づくな! 貴族に近づくメイドは全部金目当て! 特に胸がでかくて化粧の濃い女には要注意だ! 甘い声を出して近寄って来て、男をその気にさせて金をむしり取る気なんだ!!」


 過去に嫌な思い出でもあるのだろうか。詰まっていたはずの喉すら押し開いて飛び出した、ある意味的確な言葉の羅列にノーラはほおにくをひくつかせる。


「……な、何なんですの、失礼な。いい年をして後見人をずっと側に置いているような軟弱男、誰が相手にするものですか!」

「何だと! メイドのくせに、客人に対して何という口のきき方だ! ライセンは使用人にどういう教育をしているんだ!」

「まあ、まあ、まあまあ」


 ユーランが仲裁に入ろうとしたが、ティルナードもノーラも彼の方を向きさえしない。そこへ今度はアリシアがのんびりした声で割って入った。


「大丈夫よ、レイデン伯爵様。ノーラはもうカシュヴァーン様の愛人だもの」


 その言葉にレイデンの主従はぎょっとした顔をし、ノーラも動きを止めてしまう。だがアリシアはにこにこしながら彼女を見て続けた。


「ねえノーラ。いくらノーラでも、二人の男性の愛人にいっぺんになるのは大変よね。体がたないわ」

「はは、そうですねえ。ライセン公爵のお相手はなかなか体力が要りそうで……その点うちのぼっちゃんの相手なんて簡単簡単、あわわわわ」


 思わず同調した挙げ句に余計なことを口にしたユーランの横で、ティルナードはぶるぶると肩を震わせている。


「新婚一日目で、もう愛人……!? いくら金で買ったとはいえ、あんまりにもあんまりだ……!」


 激しい声で叫んだ彼は音を立ててから立ち上がり、思い詰めたようなひとみでアリシアを見つめ、つぶやく。


「やっぱりあなたをここに置いてはおけない! あなた自身のためでもあるし、アズベルグとレイデンの民のためでもある。下克上の風潮を体現したような、あんな男をこれ以上のさばらせておけば必ず争いの種になる……!」


 使命感さえ漂わせたその瞳にはある種の熱が宿っていた。強い意志を感じさせるが、同時にひどく危ういものも感じさせる熱だ。


「ライセンにお伝え下さい。これは僕からの警告です。地方伯の名誉を金で買えるなどと思い上がった卑しい成り上がりには、必ず天罰が下る。あのバスツールと同じように」

「ええと、バスツール様は成り上がりの貴族ではありませんけど」


 ごく普通にアリシアが言ったが、ティルナードは小馬鹿にしたように笑うだけだ。


「あいつは地方伯ではなくもちろん領主でもない、少々広めの土地を所有しているだけの三流貴族ですよ? それが金にあかせてあなたを買った、ライセンとどこが違うのです」


 そう言われればそうかしらね、と思いアリシアはいったん黙った。一方すっかり調子づいたティルナードは、芝居がかったしぐさで腕を振り上げなおも続ける。


「死神姫というあなたの呼称、僕は悪いばかりのものではないと思っております。名門フェイトリンの名を利用しようとしたに死の裁きを下す姫、という意味ならね」


 まだ幼さの残る顔立ちには不釣り合いなせりを、彼は危険な瞳をしたまま意味ありげに述べた。

 だがいまだきょとんとしたままのアリシアの瞳に出会うと、その眼に宿った熱は弱まり口から出る言葉も勢いをなくしていく。彼の想像とアリシア本人はあまりにも違い過ぎたようであり、それでも自分の意志を押し通そうという強さの持ち合わせも少ないようだ。


「あなたは確かにその……少し、ええ、少しだけ変わった方のようだ。ですがだからこそ、そういうあなたを利用しようとしているやからが僕は許せないんです。もしもライセンやそこのメイドにひどいことをされたら、遠慮なくおっしゃって来て下さい。おい、戻るぞユーラン!」


 後半少々あせったようにまくし立てたティルナードはきびすを返し、ひとりでさっさと部屋を出て行ってしまった。


「これはお口に合わなかったようね」


 手がつけられていない料理を見て、アリシアがつぶやく。


「ああ、では私が代わりに頂きましょう。いやあおいしいですね、アリシア様は料理がお上手だ」


 そう言ったユーランがティルナードが残していった料理に手をつけ始めた。出て行く様子を見せない彼に、アリシアは不思議そうに尋ねる。


「伯爵についていかないでよろしいんですの?」

「と言いますかあなた方、一体今はどちらにいらっしゃりますの。戻るとかおっしゃってらしたけど、まさかレイデンの領地とここを行き来しているわけではないでしょう?」


 アズベルグの地はせてはいるがその分広大である。ここからレイデンの領地までだと、険しい山脈を越えねばならないことも合わせればたっぷり十日はかかるはずだ。

 横合いから口を挟んできたノーラの分もまとめてユーランは説明してくれた。


「はあ、実は近くの森に天幕を張っておりまして。大丈夫ですよ、すぐそこですし外には警備の兵も待機させてありますから」

「まあ、楽しそう。それにとっても用意がよろしいのね」


 すぐに目先の興味に意識が行ってしまうアリシアに対し、ノーラは思いきりあきれた顔をした。


「森に天幕? いい度胸ですわね。このあたりの森一帯はカシュヴァーン様のものですのよ。それともまさか、あの方に許可を頂いているんですの?」


 領地内に勝手に天幕を張ることはもちろん、そこで木々の伐採や狩猟などを行うことにも当然領主の許可がいる。生活していけば当然そういったことも必要になるだろうが、ユーランは大丈夫ですよ、と穏やかに言った。


「私の名前で国王陛下の免状をきちんと頂いて来ておりますから。伝道のために必要だとして申請すれば、どなたの所有する地でも我々にはある程度の自由が保証されるのです。とはいえこちらの地を無用に荒らすつもりなどありませんので、生活に必要なものはある程度準備はして来ておりますがね」


 つまりは高位の聖職者であるユーランの名前を使い、アズベルグの地に伝道のためにやって来たという名目で滞在を決め込んだのだ。あらまあ、ともっと呆れた顔になったノーラを尻目にアリシアは感心した声を出す。


「あら、本当に用意がよろしいのですわね。確かその免状、頂けるまでに結構時間がかかるのではなかったかしら」

「ははは、いやあきゆうきよアズベルグに行くっておっしゃられた時から長丁場になるんじゃないかという予感はありましたので。まあうちのぼっちゃんが短絡的に行動するのはいつものこと、あわわわ……あっ、今はぼっちゃんいないんでしたね」


 それまでのように口を滑らせた彼の表情がふと改まる。いつの間にか完食した料理の皿を前に、ユーランは調ちようでゆっくりとしゃべり始めた。


「ええとですね、ぼっちゃんはああいう性格なので大変一方的な言い方になってしまって申し訳ないのですが……ですが私も、ぼっちゃんの意見に大筋では賛成なんです」


 ティルナードについて行かず、残った理由はこの話をするためだったようだ。さすがに聖職者らしい、聞きやすい優しい声には自然に耳を傾けさせる力がある。


「アリシア様は、失礼ですがこのアズベルグの現状を詳しくご存じですか?」


 言われてアリシアは素直に首を振る。それを見てユーランはやっぱり、という顔をした。


「出来れば一度、ライセン公爵の領主としてのやりようを見て下されば何となくお分かりになるのではと思うのですがね……とにかくやり方が強引です。逆らう者には容赦しない、という感じで」


 何かを思い出したようにぶるっと身を震わせてから、彼は更に続ける。


「と言っても、手腕があることは間違いないとは思いますよ。農民たちには案外人気があるとか。ご自分の支配下にきちんと収まっている相手になら、相応の優しさは見せて下さるようですね」


 つまりは言うことを聞くのならばそれなりのことはしてくれる、ということか。じゃあいいんじゃないのかしら、と思っているアリシアにユーランは言葉を選ぶ調子で言った。


「ですが既存の枠組みを好んで無視するようなあの方のやり方は、短期的にはいいかもしれませんが長期的にはどうでしょう。長く保たれてきた枠組みには、そうであった理由があると私などは思うのです」


 そう言うと彼は、少しおびえたような眼で客間の中を見回した。他の部屋と同じく黒と赤とで構成された室内の隅には、他の部屋と同じく翼を持つ怪物の姿がそこかしこに見受けられる。


「下克上のはやりのせいで、〈翼の祈り〉に対するけいけんな心もだいぶ失われてしまいました。しかしだからといってこのように我らの教えをあげつらうような意匠の館は、他に見たことがありません。その上死神姫とのうわさのある方を……あわわ」


 しばらくは滑らかにしゃべり続けていたユーランの口からまた失言が飛び出した。しかしアリシアは気にした風なくにっこり笑う。


「そうですわね、私と結婚したら死ぬって噂があるらしいですもの。ですけど私バスツール様を殺したりしておりませんし、カシュヴァーン様を殺す気もありませんわ」


「殺す」という単語をちゆうちよなく用いた後、彼女はほほみながらユーランに語りかけた。


「ねえ、ユーラン様。レイデン伯爵様やあなたのおっしゃることも分かりますけど、私はカシュヴァーン様に買って頂いて感謝しておりますの。家を手放さずに済みましたし、それに私自身は別にまだひどいこともされておりませんし」


 何気なく自分勝手な言葉を聞いて、ユーランは何とも言えない顔をする。


「……そうですか。だますも同然に再婚させられた上、愛人つきというのは結構ひどいことのような気もするのですが……おっと、さすがにそろそろ戻らないとぼっちゃんに怒られますね」


 時間を取り過ぎたと慌て、彼は席を立った。


「私どもはこのお屋敷のすぐそばに控えております。むさ苦しいところではありますが、一度足をお運び下されば幸いです。それでは」

「ええ、ご機嫌よう」


 にこやかにアリシアが見送るなか、ユーランはばたばたと外へ出て行く。せわしない姿を見送ってノーラは深々とため息をいた。


「結局レイデンには戻られないわけですか。この調子だとまた来ますわね、あの方々」

「え? なんで分かるのノーラ?」


 不思議そうなアリシアの質問に、ノーラはもっと深々とため息を吐く。


「さあ、何ででしょうね。……あら、ちょっと奥様、片づけも……?」

「なあに?」


 三人分の皿をさっさと片づけ始めたアリシアにノーラは少し慌てた様子だ。だがいかにも不思議そうなアリシアの様子に結局それ以上言わず、彼女が手際よく汚れた皿を片づけるさまを無言で眺めていた。

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