理想的な再婚③


 その時だった。にわかに外が騒がしくなった、と思ったら、屋敷の扉がいきなり激しい音を立てて開いた。


「ティルぼっちゃん、いけません、うわああああ!」

「ライセン公爵とやらはこちらか!」


 制止の声を上げながら走って来たせいか、扉が開く勢いに巻き込まれてその場にひっくり返ったのは長い黒髪の男。もうひとり、彼がぼっちゃんと呼んだ茶の髪の若者はそのまま広間内に走り込んで来て、反射的に構えの姿勢を取っているカシュヴァーンをにらみつけて叫ぶ。


「何とか間に合ったようだな……フェイトリンの令嬢から離れろ!」


 叫んでいる若者の背後からは、帯剣した男たちがぞろぞろと現れた。彼らの身を包むそろいの白銀のよろいには、胸元と肩当ての部分に簡略化された翼の紋章があることにアリシアは気づいた。


「何だ貴様らは」


 どよめく使用人たちを片手で制し、カシュヴァーンはずいと一歩前に進み出た。長身の彼ににらみ下ろされ、勢い良く飛び込んできた若者は少しひるんだ表情になった。

 年の頃はシルディーンでは一人前として扱われるようになる十八歳かそこらぐらいだろう。何か大きな病気でもしたことがあるのかあまり顔色は良くなく、体格に恵まれているとも言えない。

 顔立ちもやや女顔で、しっかり着込んだ襟高の服が逆に痛々しく見える。それでも自分より一回り大きな男を懸命ににらみ上げ、彼は叫んだ。


「ぼ、僕は、ティルナード・レイデン伯爵だッ。ライセン公爵、あなた……いやっ、貴様のひどい噂は我が領地にも届いているッ」

「レイデン? ああ」


 聞き覚えのある名らしい。カシュヴァーンは何かを思い出そうとするように、しげしげとティルナードの青い瞳をのぞき込んだ。


「ほう、いつの間にか代替わりされたか。俺もそちらのことは少しは聞いている。色々とお気の毒なことがあったようだが」

「黙れ! 見せかけの同情など僕には通じないぞ!」


 カシュヴァーンの言葉はティルナードのげきりんに触れたらしかった。かっとなって叫ぶその背に、さっきひっくり返った長髪の男が必死の形相でしがみついてくる。


「ぼっちゃん、いけません、初対面の方にそのような口のきき方をしては! しかもその方は悪名高いアズベルグの暴君、あわわわわ!」


 ティルナードを止めようとして出て来たはずが、余計に失礼な口をきいた男をカシュヴァーンはじろりとにらんだ。怯えた彼はティルナードの後ろに隠れようとしているが、中途半端な長身のせいでそれもままならない。


「お前は誰だ。見たところ〈翼の祈り〉の聖職者のようだが?」


 カシュヴァーンの言う通り、裾の長い白いほうにくわえ、首から下げている一対の広げられた翼の紋章。シルディーン及び周辺国家の国教である〈翼の祈り〉の聖職者、それもかなり位の高い者に違いない。

 それは翼の紋章のすぐ下に、三かいてい以上の司教のあかしである聖女アーシェルの横顔が刻まれているからだ。ただし立派な肩書きとは裏腹に、彼は極めて気の弱い性格のようだが。


「はわわ、私、あの、ユーランと申します。ティル、ティル、ティルティルティルティルティルぼっちゃんの後見人、ぼう、りょく、反対っ」


 聖職者になる際は家名を捨てるのが習わしである。名前だけを名乗ったユーランは、がたがたと震えながらそう言った。


「後見人……? ああ、なるほどな」


 てんがいったらしく、カシュヴァーンはまたしげしげとティルナードを見つめる。


「屋敷は焼かれ、レイデン伯爵家の方々はほぼ皆殺しにされたと聞いていたが……そうか、生き残りが……」

「うるさい黙れ! その話はやめろ!」


 むごい光景を思い出したのだろう。顔を歪めたティルナードは悲壮な声で叫ぶが、返すカシュヴァーンの瞳と口調は冷たい。


「これは失礼。だが、礼儀知らずには礼儀知らずで返すのが俺の流儀でしてね。あなた方がどなたかはこれで分かったとして、訪問の約束もなしに押しかけて来た理由を教えて下さいますか?」


 相手が伯爵家の当主と知って、彼の言葉遣いだけは一応ていねいになったが、鋭い眼光は元のままだ。レイデンの主従は共にびくびくっと身を震わせたが、ティルナードは彼から視線を逃がす意味もありその背後のアリシアの方を見た。


「……あれ?」


 いまさらのように間の抜けた声を上げ、ティルナードは固まっていた。優雅さからも高貴さからもほど遠い、着古したドレスがやけに似合った少女を見て彼は、


「……あの……アリシア・フェイトリン様? 死神姫と呼ばれ、ライセンの家に買い取られた……?」

「ええ、私がそうですけど」


 何だか非常な衝撃を受けたような表情でティルナードは突っ立っている。その胸中を読んだらしく、カシュヴァーンは低くのどを鳴らした。


「おや、噂の死神姫がこの方ではご不満かな。素直なのは結構ですが、そのように露骨に顔に出されるのは控えられた方がいいですよ」


 気持ちは分かるが無礼だとされて、一時は完全にカシュヴァーンに押し負けていたティルナードの表情に逆に気迫がこもる。最初の勢いを取り戻した彼は、きっとカシュヴァーンをにらんで叫んだ。


「聞いているぞ、己の名にはくをつけるため地方伯の令嬢を買い取ったと! 不当な噂におとしめられ、困窮している方の弱みにつけ込んできような真似を!」


 力のこもった熱弁を振るい、ティルナードは再度アリシアへと眼を向ける。


「だがそのような無体がいつまでも通るものか! さあアリシア様、こちらへ! あなたは何も心配しなくていい、金の話なら僕が……!」

「おやおや、レイデン伯爵はこの方を助けるつもりでいらしたのか。まるで乙女の好む物語に出て来る、安っぽい正義感に駆られた王子様のようですな」


 一段声を低くして、カシュヴァーンはアリシアとティルナードの間に割って入った。ぎくりと身を固くするティルナード、及びその背にしがみついて震えているユーランを見下ろし、彼はふんと鼻先で笑う。

 笑って、そのついでのようにカシュヴァーンはアリシアを引き寄せた。


「きゃっ」


 腰に手が回った、と思った瞬間つま先が浮く。続いて唇に柔らかいものが押しつけられたことを知り、アリシアは眼をぱちぱちさせた。


「き、貴様……!」


 花嫁を腕に抱いたまま、カシュヴァーンは絶句するティルナードに向かってにやりと笑った。


「ですが現実は物語のように甘くはない。すでに婚儀は終了し、哀れな姫はもう俺のものだ」

「何!?」


 ティルナードがひっくり返った声を上げた。


うそをつくな! アリシア様がこちらに着いたのはつい先程のはずだ!」

「ええ。ですから早速婚儀を挙げて終了したのです。今ここでね」

「ここでですか!?」


 すっとんきょうな声を上げたのはユーランである。


「し、しかし聖職者も見当たりませんが……? こちらには聖堂もあるようですのに……」


 職業に相応しい追及を聞いて、カシュヴァーンは皮肉っぽく笑った。


「ライセンの婚儀のやり方は主であるこの俺が決める。俺がここで婚儀を行い、完了したと言っているのだから婚儀は完了したのです。なあ?」


 使用人たちをぐるりと見回し、彼は平然と同意を求めた。

 最初こそ驚いていた使用人たちだったが、主のこの調子にはもう慣れているのだろう。こくりこくりとうなずきを返してくるのを心地よさげに見やり、カシュヴァーンはまた絶句しているレイデン主従を見てこう言った。


「もっともアリシアは我が家へ到着するずっと前からすでに俺の妻でした。婚姻のための手続きはすでに、彼女を後見人殿から買い取った時に全て終わらせてあったのでね」


 聖職者も立てずに行った先の宣言でさえ、カシュヴァーンにとってはわざわざ払った手間だったのだろう。中断されていた婚儀を口づけで締めくくった彼は、腕の中の少女にこう語りかけた。


「なあアリシア。俺はあなたを金で買い、妻とした。そしてこの契約をにすれば、国一つ分にも匹敵するばくだいな違約金を支払ってもらうことになっている。無論いくらレイデン伯爵ががんばろうと支払えないほどのな。それでもいいのか?」

「まあ! 困りますわそんなの!」


 以前バスツールとの婚儀が台無しになった後も、怒り狂った彼の親族から見舞金と称して散々ふんだくられたはずだ。あの時に新たに抱える羽目になった借金を帳消しにするためにも二度目の結婚をしたのに、また借金が増えたのではたまらない。

 なにせ一時は危うく屋敷を手放す寸前にまで話が進んでいたはずである。長きに渡る支配へのふくしゆう感情が働いてか、それこそカシュヴァーンのごとくに家名に箔をつけたいのか、没落した高位の貴族所有の屋敷を欲しがる新興貴族は多いのだ。

 金ばかりかかるぼろ屋敷を高値で買ってくれるのだとヘイスダムはむしろ乗り気だったのだが、アリシアは珍しくがんばって食い下がり何とかことなきを得た。今は亡き両親が己の命を削ってまで守り通そうとしていた、名家の証を守るために。


「だ、そうだ。まことにお気の毒だが伯爵、そういう訳なのでそろそろお帰り願おうか。あなたの部下たちも一通りおとなしくなられたようであるし」


 視線に促されてはっと振り返ったティルナードの眼に、カシュヴァーンの部下たちに取り押さえられた自分の部下たちが映る。唐突な来襲により一度は強制侵入に成功したものの、ライセンの家の警備兵はなかなかに優秀なようだった。


「しかし聖職者の後見人に加え、聖なる紋を刻んだ騎士たちまでお連れとはね。神の手も救う相手を選ぶか……とはいえ、あまりお役に立っている様子もありませんが」


 一瞬苦々しく瞳を細めたカシュヴァーンは、すぐに元の調子に戻ってそう皮肉った。彼の言葉通り、どうやら〈翼の祈り〉より派遣された兵士たちはとにかくとしてユーランはいまだティルナードの後ろで縮こまっている始末。


「く、くそ……」


 悔しげにつぶやいたティルナードの目が、何かを探すように黒と赤ばかりで構成された広間の中をさまよった。その視線に気づいたカシュヴァーンは含み笑いをして続けた。


「しかしレイデン伯爵はずいぶん驚いた顔をしていらっしゃる。いや驚いたというより、こんなはずではなかったという感じか。俺が聖堂にてまともに婚儀を執り行わなかったこと、それほどまでにあなたにとって期待外れのことなのですか?」


 揶揄をひそめた問いかけに、ティルナードはぐっと言葉を詰まらせた。動揺をまともに出してしまった彼の後ろで、ユーランはひたすらおろおろしている。


「……今に見ていろ!」


 劣勢を自覚せざるを得なかったらしい。きびすを返しながらも、ティルナードはこう叫ぶのを忘れなかった。


「ブライアン・バスツールのことを忘れるな。神を軽んじ、地方伯の名誉をもてあそんだ者には必ず天罰が下るんだ! いいや、たとえ神が許そうとも、僕は絶対に貴様の悪行を見過ごしはしないからな!」


 やせた肩を精一杯怒らせ、ティルナードは屋敷の外へと出て行ってしまう。彼とカシュヴァーンを交互に見ながらユーランも慌ててその背を追っていった。

 ティルナードの部下たちについても、カシュヴァーンはあごをしゃくって警備兵たちに解放を命じた。あらしのようにやって来たレイデン主従の一群は、また嵐のように去っていってしまった。


「やれやれ、勇気があるのかないのかよく分からん王子様だったな」


 あきれたようにひとりごちた彼の眼が、なぜかちらりと背後を振り向いた。アリシアもつられてそちらを見てしまったが、使用人はおろかそこには誰もいない。


「さて、少々予定と違うところはあったがこれであなたは正式に俺の妻だ。さすがにライセン様じゃ水臭いからな、これからはカシュヴァーンと呼んでくれ」

「ええ、カシュヴァーン様」


 そういえば私初めて口づけをしたのね、といまさらのようなことを考えながら、アリシアはそう言ってほほんだ。カシュヴァーンもにっこり笑い、黙って事態のなりゆきを見守っていたメイドを呼ぶ。


「長旅を終えたばかりのところをばたばたして済まなかったな。ではノーラ、奥方を部屋へお連れしてくれ。俺はすぐに見回りに出かけてくる。一応夜には戻るつもりだ」


 言うが早いか彼はマントの裾をひるがえし、姿勢良く歩き始めてしまった。代わって側へとやって来たノーラが、アリシアの荷物を抱えて優雅に微笑んだ。


「ほほ、そのあたりの農民でもしないような実に簡素なお式でようございましたわね」

「そうね、これぐらいが簡単でいいわ。お客様をお呼びしたりするとお金もたくさんかかるしね」


 けろりとした顔でそう答えたアリシアにノーラは口の端を引きつらせるが、アリシアの興味はあっという間に終わった式よりも、数々のいわくありげな言葉を残して消えたティルナードへと向かう。


「だけどレイデン伯爵様は、一体どうされたのかしらね。確か十年ぐらい前に、領地内で大規模な反乱が起こったとお聞きしていたけど……皆殺しとか焼き討ちとか、気になるわ」


 カシュヴァーンと違い、アリシアはレイデン伯爵家のことはあまり知らない。なにせ結婚相手のライセン公爵家のことだってよく知らないぐらいなのだから無理もないが、ノーラに彼女の好奇心を満たす気はない。


「さあ? それより奥様、こちらへどうぞ。お部屋へご案内致しますから」


 つんとあごを反らし、ノーラが歩き出す。少々後ろ髪引かれる思いをしながらも、アリシアもメイドの背を追い二階に向かって歩き始めた。


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