理想的な再婚②


「まあ、近くで見るとますます恐怖小説の舞台に相応しいお屋敷だわ!」


 馬車から降りるやいなや感嘆の声を上げ、アリシアはきょろきょろしながら屋敷に向かう小道を歩き始めた。初春とはいえこの地の空気にはまだ刺すような冷たさがあるが、温暖な地に育ち厳しい冬の寒さを知らない身にはそれもまた新鮮だ。

 雑草生い茂る生家とは対照的に、ほとんど緑のない素っ気ない庭を物珍しげに眺めながら少女はどんどん進んでいく。その背後では中年の門番たちが、こそこそとこんなささやきを交わしていた。


「おい、あれが本当に死神姫か?」

「婚約者をり殺したんだろう。あの腕で出来るのか、そんなこと」

「いいや、俺は婚約者をのろい殺したって聞いたぜ」


 最初の結婚より一年。その間に実に様々な形で流布した「死神姫」のうわさは、彼らの耳にもちゃんと届いていたようだ。しかしアリシアは背中で交わされる口さがない噂話に耳を貸すことなく、御者が開いた屋敷の扉を瞳を輝かせてくぐった。

 開かれた扉の先は、物の影の映らぬ黒い床の上に深紅のじゆうたんが敷かれた大広間になっていた。左右には使用人たちがずらりと立ち並び、正面奥には幅広の階段が見える。外装はいざ知らず、構造的には典型的な貴族の館と言っていいだろう。

 と、使用人たちの中から一歩ずいっと進み出た人影があった。執事、もしくはメイド長あたりがまずは主人に代わり出迎えるというのならおかしくはないが、進み出たその影はメイドで、しかもかなり若い。

 年の頃は二十歳に届くか届かないほどか。お仕着せのメイド服が窮屈そうな、豊満な肉体をした美しい娘、ノーラだった。


「あらロセ、お帰りなさい。つらいお役目ご苦労様でしたわね」


 祖父と呼んでも差し支えなさそうな御者に、彼女は高慢に言い放った。肩にかかるゆるやかな赤毛を片手で背に打ち払うそのしぐさは、派手なぼうに似合ってはいるがメイドのものとしては少々挑発的過ぎる。

 実際他のメイドや使用人たちは、彼女のしぐさにまゆをひそめたりもしている。だが出しゃばりと止める者はなぜかいない。


「それで、噂の死神姫様はどちらに……あ、ら?」


 好戦的に切り出した早々、とことこと歩いてきたアリシアと赤毛のメイドの眼が合った。まさかの思いをもろに出して固まった彼女に、アリシアはにっこり笑って言った。


「初めまして、私はアリシア・フェイトリン。本日こちらに嫁いで来ましたのでよろしくね」


 ノーラが美しい瞳を見開くが、アリシアにはそんな変化など読めはしない。他の使用人たちもざわざわし始めたとき、正面にある階段の上からよく響く男の声が降ってきた。


「遠路はるばるよくぞいらした、フェイトリンのお嬢様! 俺がカシュヴァーン・ライセン、あなたの夫になる男だ!」


 響きの良い声の持ち主は、長身の黒ずくめの男だった。襟高の軍服めいた衣装も長靴も、短い髪から切れ長の瞳まで全てが黒い。唯一違うのはマントの裏地が濃紺であることぐらいで、そのマントをさばきながら彼は悠々とこちらへ歩いてくる。

 年齢は三十を幾つか過ぎたほどか。三十三歳ぐらいね、とアリシアは思った。武骨な印象が強いが、鋭い瞳に力のあるなかなかの色男。

 彼がカシュヴァーン・ライセン。自分の二度目の夫となるアズベルグの領主。


「首はあるみたいね……」


 ちょっと残念そうな言葉を聞いたあたりで、ノーラははっと我に返った。彼女は小走りに走り出し、階段を降りてきたカシュヴァーンにいきなり抱きついた。


「カシュヴァーン様ぁ!」


 少し驚いたような顔をしたカシュヴァーンだが、逆らいもせず彼女が豊かな胸を押しつけてくるに任せていた。そうして彼は尊大なしぐさでゆっくりとあたりを見回すと、にこにこしているアリシアの姿を見つけ、無言になった。

 動揺が表に出たせいか、その顔立ちは少し若く感じられた。


「……あなたが、アリシア・フェイトリン?」

「はい」

「フェイトリンの令嬢?」

「はい」

「最初の夫、ブライアン・バスツールを殺した死神姫?」

「いえ、それは違いますけど」


 即座にアリシアが否定する。するとカシュヴァーンは白けたような表情になった。


「なんだ、やっぱり偽物か」


 非難するような視線を御者へと移しかけた彼だったが、アリシアは続けてこう説明した。


「世間では私がバスツール様を斬り殺したとか、呪い殺したとか、暗殺者を差し向けて殺したとか、とにかく殺したとか言われているのは聞いております。でも私、本当に何もしておりませんのよ。風のように素早い何かがあの方に駆け寄って、走り去って……気づいたら、バスツール様が床に倒れておりましたの」


 最も身近でブライアンの死を目撃した者として、バスツールの人々にも散々繰り返させられた話だ。彼女の説明にはよどみがない。


「あれが暗殺者だったのは間違いないと思います。とても鮮やかな手並みでしたわ。血はほとんど流れておりませんでしたけど、バスツール様は即死だったと思います。悲鳴すら上げられなかったですもの」


 最初の婚儀の時のことを、恐怖に震えることもなくアリシアは詳細に語った。

「殺した」という単語をちゆうちよもなく連呼する、ある意味死神姫の呼称には相応しい少女の言葉が終わるとカシュヴァーンは低い声で感想を述べた。


「――なるほどな。俺が聞いた話と比べるとずいぶん簡素なものだが、どうやらあなたの言葉は正しいようだ」


 それはブライアンの死にざまは元より、アリシア本人に対する噂をも総括しての台詞のようだった。醜聞を恐れたバスツールの人々が極端に情報を規制した結果、人々の想像力をえさにしてふくらみにふくらんだ死神姫の噂を彼も信じていたらしい。

 そのことに多少自尊心を刺激された様子だったが、次の瞬間カシュヴァーンはさばさばとした調ちようになってこう言った。


「だが元々俺は、あなたが名門フェイトリンの令嬢でさえあれば死神姫だろうがみなそこの国の王女だろうがどうでも構わん。では改めて自己紹介しよう、俺が強公爵カシュヴァーン・ライセン。この辺境アズベルグの領主にして、あなたの二度目の夫になる男だ」


 水底の国、とは生前の善行が足りず至高き国へ行けなかった者が行き着く恐ろしい場所のことだ。あまり聞き覚えのない爵位つきで自己紹介を終えたカシュヴァーンは、さり気なくノーラを押し戻してこう続けた。


「さて、我が妻になる方よ。俺は持って回った言い方は好きじゃない。来たばかりで悪いが、単刀直入に話をさせてもらおうか」


 腕組みをした彼の、黒い瞳の奥には何やら意地の悪い光がある。きょとんとしている彼女を見下ろし、カシュヴァーンはおよそ花婿には相応しくない表情のまま語り始めた。


「はっきり言おう。俺はあなたの家と違い一代で成り上がった貴族だ。だから金と地位は持っているが、歴史と名誉は皆無と言っていい。そこで噂の死神姫に目をつけたわけだ」


 表情も、そして語る言葉も花婿にも貴族にも相応しいものではなくなりつつある。怪しい館の主人である黒ずくめの男は、ある意味似合いの台詞を滑らかにしゃべり続けていく。


「名家の最後の宝として散々もったいぶって嫁いだ挙げ句、最初の夫を殺して出戻った死神姫様。本当にあなたが殺したのではないらしいが、それならなおさら都合がいい。肥大した噂におびえ、競争相手はいなくなった。おかげでこの俺のような、ど田舎の成り上がり領主にも言い値で買いたたける存在になったんだからな」


 そこまで言ってカシュヴァーンは、アリシアの反応を見るようにいったん言葉を切った。きょとんとしたままアリシアは、彼の言葉を単純に復唱する。


「言い値で、買い叩ける?」

「ああそうさ。ふうん、あのひげだけ豊かな後見人殿は、ちゃんと俺の言いつけを守ってくれたらしいな。見事に何もご存じないようだ」


 ヘイスダムのことを口にしたカシュヴァーンの眼が、一層意地悪く光った。一応この事態を招いた協力者であるはずのヘイスダムに対して、彼は少なくとも尊敬の念は抱いていないようだ。


「一度目の結婚の時も売り飛ばしたに近い状態だったようだが、思わぬ事態であなたを突き返され叔父上殿は相当焦っていたようだな。だが売り惜しんだところで他に買い手があるわけでなし、結局言い値で引き取ることを承諾してくれた。今頃こっそり浮かれているだろうよ」


 小馬鹿にしたように口元をゆがめ、彼は締めの言葉を口にした。


「ありていに言えば、あなたは俺に金で買われた。とはいえそう無体なことをするつもりはないので安心してくれ。あなたはただ、ここにいてくれさえすればいい。無名に等しい我がライセンの家に、地方伯フェイトリンの気高き血を与えてくれるだけで構わない」


 ごうまんな口調で語り終え、カシュヴァーンはぽかんとしているアリシアを見下ろして冷たく笑う。


「そうあ然とした顔をしないでくれ、あなただって分かっているだろう? 売るものと言えば地位と名誉しかない没落貴族の、おまけに夫殺しの噂のある出戻り未亡人がまともな結婚が出来るわけがないと。幸いにして、俺は俺の支配下にある相手には優しい男だ。ぴいぴい泣きわめいたりせずに、この現実を受け入れてくれ」


 ぱっちりと眼を見開いて、アリシアはカシュヴァーンの並べた言葉をしばし頭の中で繰り返していた。


 ――フェイトリンの名前が欲しかったのだと彼は言う。


 ヘイスダムと取引をし、おそらくは結構な金額を支払った上でカシュヴァーンはアリシアを買い取った。

 地方伯の名誉を自家のものとする、ただそれだけのために。フェイトリンという名前を持参金として持ったアリシアと結婚する気なのだ。


「――良かった!」


 心底安心した表情になり、アリシアはほうっと大きな息を吐き出して言った。思わず黙ったカシュヴァーンに代わり、今度はアリシアのはしゃいだ声が静かな広間の中に響き渡る。


「まあおじさまってば、私には商売をするなっておっしゃったくせに! うふふ、でも、しみったれた商売をするなと言うのも無理もないわね。だってこんな大口の取引をまとめる才をお持ちなんだもの!」


 喜びにほお色に染め、アリシアはきゃっきゃと声を上げた。


「ライセン様、いいえだん様、お買い上げありがとうございます! 良かったわ、フェイトリンの名前をまだ買って下さる方がいらっしゃったなんて! これで屋敷を手放さずに済むわ! お父様とお母様も安心されます!」


 カシュヴァーンのみならず、ノーラもロセもその他全てのこの場に集う人々はあまりのことに固まってしまっている。凍りついた場の空気を完全に無視し、アリシアはきらきらと輝く瞳でカシュヴァーンを見た。


「あなたが成り上がりでお金と地位しかない方で良かったわ。だっておっしゃる通り、うちにはもう名誉と歴史しかありませんもの。私、ライセン様がなんで私と結婚して下さるのか全く分かっておりませんでしたけど、今の説明で全て分かりました!」


 はっきりとしたカシュヴァーンの言葉を、アリシアははっきりと復唱してみせた。カシュヴァーンはさすがに口の端を引きつらせたが、ぺこりと頭を下げたアリシアにはそのさまは見えなかったようだ。


「傷物で申し訳ありませんけど、どうぞ末永くよろしくお願いしますわ! 誓ってライセン様を殺したりしませんのでご安心下さいませ。あなたほど私にぴったりの旦那様、もう二度と見つからないと思いますもの」


 顔いっぱいの笑顔で笑う彼女は、あいかわらず特に美人というわけではない。着古したドレスのすそが長旅で更によれよれになっていることもあり、およそ名高き地方伯の令嬢という風情ではない。

 しかし裏表のない喜びにあふれた姿には、見る者の心を捕らえる何かが確かにあった。

 怖い話と金。

 両親にもヘイスダムにも散々やめろと言われてきたこの二つの趣味が話題に上るたび、アリシアの笑顔はいつもまぶしい光を放つ。

 魅入られるように花嫁に視線を注いでいたカシュヴァーンは、自分でもようやくそのことに気づいたのだろう。はっとしたように軽く首を振り、表情を取り繕ったが、彼の瞳からは先ほどまでの意地悪い光はだいぶなくなっていた。


「……これは失礼した、死神姫。あなたは俺が思っていたよりも、はるかに物の分かる、現金……いや、つまりは現実的な女性のようだ」


 そう言うと彼は、少し考えるような顔つきになってからこう言った。


「では早速婚儀を始めるとしよう。こちらへ」


 言うなりカシュヴァーンは軽く手を差し出し、アリシアを招き寄せようとした。


「カシュヴァーン様、お待ちになって。一応花嫁衣装の用意をしてありますわ」


 すっかりおとなしくなっていたノーラが慌てて口をはさんだ。しかしカシュヴァーンはあっさり首を振る。


「着替えはいい。場所もここで構わん」

「ここでですか!?」


 もっと驚いた声を上げたノーラに続き、他の使用人たちもまたざわざわし始めた。


「旦那様、あの、聖堂に一応のご準備が……」


 ノーラ以外の者たちも何も聞かされていなかったのだろう。おずおずと口出しをした年かさのメイドに、そのあるじは冷たい含み笑いをしてもう一度首を振った。


「知っているだろう、俺は面倒な儀式は嫌いなんだ。第一この家でわざわざ聖堂を使い、約束された翼に誓いを立てたところで何になる」


「約束された翼」とは、〈翼の祈り〉教で婚儀の際に使われる聖句の一つだ。自分を至高き国へと運んでくれる死後の翼にかけて永遠の愛情と貞節を誓う、というものだが、語るカシュヴァーンの瞳は冷ややかだった。


「幸いにして我が花嫁は、大層物の分かった方のようだからな。ならさっさと済ませてしまった方がいいだろう?」

「ええ、そうですわね」


 アリシアとしてもまた重たいドレスを引きずって長々と歩かされるのはできれば避けたい。カシュヴァーンもそうかそうかと適当に笑い、近寄ってきた彼女を自分の真横に立たせた。


「では、この場にて誓う。この俺カシュヴァーン・ライセン強公爵は、アリシア・フェイトリンを妻として迎える。以上」


 時間にすればまばたきを五回ほどするに足るものだったろうか。軽く手を挙げすらすらと述べた、それがカシュヴァーンにとっての婚儀の全容であるらしい。


「さあ、あなたも」


 うながされ、見よう見まねでアリシアは手を挙げて同じように誓った。


「アリシア・フェイトリンはええと、強……強公爵カシュヴァーン・ライセンを夫とすることを誓います」


 考えてみれば、この〈強〉公爵という名称も彼が使用しているもので初めて知った。色々な爵位があるものなのね、と思っているアリシアのたどたどしい誓いにもカシュヴァーンは特に文句はないようだ。


「あなたの後見人殿の署名は頂いているからな。さて、これで婚儀は終了だが……ああ、一応やっておくか」


 さすがにあつに取られている使用人たちの注目の中、続いて彼はアリシアのあごをくいと持ち上げる。同じく呆気に取られている、というより単にきょとんとしていて眼を閉じようともしない彼女に構わず、カシュヴァーンはそのまま身をかがめて来ようとした。


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