第27話 彼女はそれを放っておけない

 体のあちこちに巻かれた包帯のせいか、体が妙に強張っている感じがする。体中に、じんじん疼く痛みが残っているからか、何だか落ち着かない……というか――


――なんだろう。この、スッキリしない感じ。


 凉城の報告を、頭のなかで反芻しながら、春日は自分が何に引っ掛かりを覚えたのかを考える。


――このまま放っておけば……

  数日中には……

  自然消滅する――


「このまま放っておけば……って、凉城。まさかそれ、放って置かない場合もあるってことじゃないよな?」

「……そんなに心配しなくても、あなたを食べに来たりはしませんから、大丈夫ですよ。そういう約束になっていますから」

「待て。約束って、お前、誰と何の約束を……」

「和花名さんです」

「和花名ちゃん……?」

「犬神の主になりたいと、そうおっしゃられて。ちゃんと面倒も見るし、こちらに迷惑が掛かるようなことはしないので、許して貰えないかと」

「それは、和花名ちゃんが、封じられている力を解放して、こっちの世界に足を踏み入れるってことか?このまま放っておけば、犬神は消滅するっていうのに?今更、厄介事を背負い込むって、どーしてまた……」


 同じように、望まない力を無理矢理に持たされている身としては、何でわざわざそんな馬鹿な選択をするのかと思う。そんな春日に、凉城は苦笑しながら答える。

「犬が好きだからですかね」

「意味が分からないんだが」

「まあ、そうでしょうね」

 そう言って、凉城はその時の事を思い出し、温い笑みを浮かべた。



 あの後、嵐が過ぎ去った後のこと――

 和花名は撫子に、自分があの犬神の主になっても構わないだろうかと言い出した。撫子は、驚いた顔をして、和花名の意思を確める様に話をした。


「犬神を従わせるには、あなたの封じられている術師としての力を解放しなければならないのよ。そうしたら、和花名。あなたはこの先、犬神だけじゃなく、様々なあやかしたちと一生付き合っていかなくてはならないのよ?中には危険なあやかしもいるわ。そんなものと関わっていく覚悟があるの?」


 撫子の話を聞いた後で、しかし和花名は、笑顔でこう言ったのだ。


「あります。それにシオンがいてくれるなら、大丈夫って思います」

 もうすでに、和花名とシオンの間には特別な絆があるのだ。そこにいた誰もがそう思った。撫子もそのことに気づいたのだろう。表情を和らげて、静かに微笑んだ。

「そう。ならいいわ。私の犬鬼、あなたにお任せするわ。かわいがってあげて頂戴ね」

「はいっ。……因みに先輩?もしかして、犬鬼の名前って、『あずき』だったんですか?」

「そうよ。あの時に召喚した子たちは、確か、豆シリーズで名前つけたのよ」

「豆シリーズ……?」

「小豆とか、大豆とか、ね。あの子は、肉球が綺麗な小豆色だったの。だから、銘は『あずき』」

「なるほど……」


 本当は、撫子も召喚したあやかしたちが好きだったのだろう。許されるなら、自分の手で育てたかった。命名の話を楽しげに話す撫子を見ていて和花名はそう思った。

 だから、その命をこのまま消してしまっていい筈がない。その命をつなぎ止めることが出来るのなら……自分にはそれが出来るのだから、何も迷うことはないのだと思った。




「僕が寝ている間に、そんなことが。でもそれは、和花名ちゃんが力を手にする前提での話だよな。犬神が消えてしまうまでに、あの母親を説得するのは、結構大変だと思うぞ」

「まあ、それは頑張るしかないというか……でも、何とかなるんじゃないですかね」


 何かを手に入れようと思ったら、乗り越えなければならない障害のひとつやふたつ、あって当然の話だ。それでも、どうしてもそれを諦めたくないのなら、頑張るしかないのだとそう思う。もっとも、凉城自身は、そんなに心配はしていなかった。


――何しろ、恋する女の子は、強いですから。


 あの子は、そんな障害物など、軽々と越えて行くだろう。

「……ああ、そう言えば、あなたに撫子さんから、伝言がありました」

「伝言?」


『和花名は尾花沢のしもべ筋である犬塚の娘……つまり、こちらの陣営の人間になるのだから、今後一切、手を出さないで頂けるかしら』


「だそうです」

「何だよそれ。母方は、うちの系譜じゃん」

「先手を打たれてしまいましたね」

「頭くるー」

 春日が膨れっ面になると、カップ麺を完食した芹が、早速そこに爆弾を落とした。


「まあ、でもさ。将来的に春ちゃんが、取り決め通りに撫子さまと結婚すればさぁ……戦力として使えそうな犬塚さんとか、封印術使える撫子さまとかがさ、うちらの味方ってことになる訳じゃん?足りない戦力補いまくりでお釣りだってくるよ?」

「お前……なんて恐ろしいこと言うんだ」


 あんなおっかない女王様をこちらのテリトリーに招き入れるなんて、冗談ではない。


――ぜーぇったい、尻に敷かれるじゃん。


 それはあり得ない。絶対に、あり得ない。

 そんな未来を想像しただけで、何だか寒気を感じて、春日は布団に潜り込んだ。




 翌朝、朝食の支度をしていた母親の背後に立ち、和花名は心を落ち着かせるように、ゆっくりと大きく息を吐き出した。

「ねえ、お母さんっ……」

「え?何いきなり、大きな声でビックリするじゃないの」

 気負っていたせいか、思いの外、大きな声が出てしまったようだ。

「ああ、うん、ごめんなさい」

「早くしなさいよ、遅刻するわよ」

「うん……」


 昨夜の騒動の件は、和花名を送ってくれた凉城から聞いて知っているのに、母の態度は何事もなかったかの様に、いつもと変わらない。

 というか、母の中では本当に、それはなかったことにしているのではないか。和花名には、そんな風に感じられる。


 娘が、あやかし絡みのゴタゴタに巻き込まれたという事実。それは、和花名を守ってきた母にとって、あってはならないことだからだ。


――それでも、お母さん。私は、なかったことになんて出来ないから……シオンを諦めることなんて、出来ないから……


「ねえ、お母さん。私、また犬を飼ったらいけないかな?」

 和花名の言葉に、せわしく動いていた母親の手が止まった。その犬が、ただの犬ではないことを、母親も分かっているのだ。

「……」

 キッチンに沈黙が下りる。 

「……ちょっと普通より大きな犬で、エサ代が少しかかってしまうかも知れないんだけど……だめ……かな……」

 逡巡するような間のあとで、母親がようやく口を開く。

「……神社の五形さんから、あなたの封印を解いてやってくれって、話は来てるの。あなたには、犬塚の血が濃く出ているから、この先も、あやかしに絡まれることがあるかも知れない。だから、むしろ身を守る為に、力を持たせた方がいいだろうって……」


――あの犬神は、きっと和花名さんを守護してくれる存在になると思いますよ。


 五形が言った言葉に、自分の力だけではもう、娘を守り切れないのだという事実を突き付けられた。娘は、自分の手を離れて、外の世界へと飛び立って行く。もう、見守ることしか出来ない。その事が言いようもなく、寂しかった。それでも――


「それって……」

「……好きにしなさい」


 自分が手を離すべき時期が訪れた。その事を認めない訳にはいかなかった。


 手を伸ばして、和花名の眉間に人指し指と中指を二本当てて気を込めた。

 いつの間にか、自分より高くなっていた背丈に、娘の成長を思う。


――本当に、大きくなった。


 その事が嬉しくもあり、寂しくもあった。

「はい、終了」

 そう言うと、和花名がパチッと目を開いた。それはもう、人ならざるモノを映す目だ――


「お母さん、ありがとう、大好きっ」

 弾けるように身を翻し、和花名はカバンを掴むとキッチンを出ていく。

「ちょっと、朝ごはんは?」

「今日はいいー」

 その返事はもう、廊下からだ。

「慌てて転ばないようにしなさいよー」

「はーい」

 という声に、ドアを開閉する音が続いて、家の中は静寂に包まれた。




 彼女が息を切らして走っていく。その顔は傍目にも幸せそうだ。

 『彼』がそこにいる。その気配が分かる。その事が本当に嬉しくてたまらない――


 登校時間には、まだ少し早い。

 人もまばらな校門の前に、彼はどこか所在なげに座っていた。


 脇を通りすぎていく生徒たちを、いちいち目で追い掛けながら、自分の存在にまるで気づいていない彼らに、失望したように項垂れる。その姿はまるで、捨てられた犬のよう。そんな彼の姿に、和花名の気持ちは更に急く。


――待ってて。今行くから。


 他の誰かに拾われないうちに、誰よりも先に、自分が声を掛けるから――


――だから、私を待っていて……




 自分の目の前に立った気配に気づいて、彼が顔を上げた。息を切らせながら、彼に目を合わせて。その柔らかな声で、彼女は少し早口に言った。


「犬神様、あなたを拾っていいですか?」


 心臓がドキリと跳ね上がる。一番望んでいた人に声を掛けられて、それでもまだ信じられない思いが、そのまま戸惑った様な声になった。


『……俺が分かるのか?』


 すると彼女はにっこり笑って、彼のもふもふの首に抱きついた。


「ああもう……もふもふって、罪よね」

『和花名……』

「犬神様?どうか、私の犬になって下さい」


 彼の大好きな声が、再びそう言った。


――こんなの……嬉しすぎて、どうにかなりそう。


「ダメかな?」

『だっ、ダメなわけないっじゃんっっ』

「じゃ、いい?」


 そう言われて、下から顔を覗きこまれる。上目遣いの和花名が、超絶可愛くて、もう心臓はバクバクだ。


『そんなの、いいに決まってるっ』


――もー犬の姿で良かったー。今、俺、きっと顔とか真っ赤だもん。


「良かった。では、悠希。あなたの、その銘を以て、我と主従の契約を成すものとする」


 和花名の言葉が空気を揺らし、小さな鈴の音のような澄んだ音が、悠希の体にふわり降り落ちる。


――ああ、和花名の呪は、優しくて心地がいいんだな。


 そんなことを思いながら、悠希の体は光に包まれて、犬神の体から人のそれに戻って行く――


「……何時如何なる時も、俺は和花名を守るよ」

 その耳元にそっと囁くと、和花名が体を離し彼の顔を見上げて微笑んだ。

「ありがとう、悠希。今日からあなたは、私の犬よ」

「うん」

「……」

 と、和花名の視線が悠希の頭の上の方に止まる。

「うん?」

「これって、このまま?」

 言われて伸びた和花名の手が、悠希の頭の上に鎮座する耳を、もの珍しそうにもふもふする。

「それに……こっちも」

 耳をもふもふされて、それに反応してぶんぶん大きく揺らしてしまった尻尾の存在にも和花名が気づく。


――私的にはもふもふ出来て嬉しいけど、人前でこの姿はまずいんじゃないのかしら。


「あーこれは、見える人にしか見えないから大丈夫」

 悠希いわく、これは術者の力のあるものにしか見えないという。


「和花名ちゃーーん、おっはよーう」

 道の向こうから、藤の相変わらずの押し気味の声がして、そちらを見れば、その頭の上には、猫耳が乗っていた。

「お、おはよう、藤くん」


――そっか。藤くんはぁ、猫の家のひとだったのか。


 稲田先生が言っていた。かつて術者の中には、霊力を高めるために、あやかしと交わった者もいたといい、その血筋の者は、あやかしとしての力はなくても、本能的にあやかしの特性を持つ人もいるとか。


 改めて見回すと、そこかしこに色々な獣の耳を乗っけている生徒がちらほらと目に付いた。


――これまでとは、世界が違って見える筈です。


「ほえぇ……こういうことかぁ……」

 悠希を取り戻すために、和花名が手にした力は、この先、和花名に見たくないモノを見せることもあるのだろう。それでも――


「和花名。ぼぉっとして、大丈夫?」

「あ、うん、大丈夫」


――だって、私には頼もしい番犬が付いているから。


 新しい世界も、満更でもないと思う。

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