第25話 荒ぶる神様のなだめ方

「和花名さん」

 今度は、凉城が和花名に声を掛けた。

「悠斗さん含め、私たちも色々と手を尽くしましたが、事ここに至っては、あなたに厄介事を引き受けて頂かなくてはならなくなりました」

「厄介事って?」

「あなたに犬神の飼い主になって頂きたいのです」

「どういう……」


 和花名が言いかけた所に、不意にごおっという風の音がして、社務所の窓がガタガタと揺れた。もう日が落ちて暗くなりかかっていたが、窓に打ち付ける雨粒の様子から、外はかなり荒れた天候になっているのが分かった。時折、強い風が吹きつけて、ミシミシと建物が軋む音がする。


「この嵐は、犬神が暴れているせいなんです。主を持たないあやかしモノは、時に、この様に人に災厄をもたらす存在になるんです」

「犬神が……」

「それで、和花名さん。あなたのお母様に確認を取るのに手間取りましたが――」

 凉城の言葉に、和花名は外に気を取られていた意識を目の前の先生に戻す。

「母ですか?」

 どうしてここで母親のことを持ち出されるのかと、和花名は怪訝な面持ちをする。

「ええ。あなたのお母様がこの神社の巫女をしていたという話はご存じですか?」

「……若い頃、おみくじ売ってたって話は聞いたことがありますけど」

「ああ、まあ、おみくじも……売っていたかも知れませんね」

 凉城が苦笑するのを、和花名は首を傾げながら見る。先生が何を言おうとしているのか、微妙に話が見えない。


「あなたのお母様は、生まれたばかりのあなたに『犬遣い』の力があることに気付いて、その力をあなたの中に封印したのだそうです」


――犬遣いの力……?


 先生の説明はさらに、よく分からない方向へと流れていく。

「……何ですか?その犬遣いって」

「簡単に言えば、犬神を従わせることのできる力です。かつて犬塚家が、呪術を生業なりわいとしていた頃に使っていた力です」

 先祖が呪術を生業にしていた。そう聞いても、和花名にはいまいちピンとこない。

「それで、その先祖と同じ力が私の中にあると……?」


――その力を私が持っているってことは……

 

「あなたには、あやかしモノと関わって欲しくない。それが、お母様の願いだったのでしょう。だから、その力が表に出てこない様に封じられた」


――ああ、何となく話が見えて来た。


「つまり、その力があれば、犬神をどうにか出来るってことですか?」

 たった今、外で暴れているあやかしを、鎮めることができる。そういうことだろうか。

「はい。しかし、お母様はその封印を解くことに難色を示しておられます。まあ、親としては当然ですよね。娘さんが危ない目にあうかも知れないんですから」


――危ない目に……そりゃあ、あの過保護なお母さんじゃ、うんとは言わないだろうなぁ……


「……その。母がどうしても首を縦に振らなくて、私がダメな時は、どうなりますか?」

「そうですね。どうしてもダメな場合は、犬神を祓うことの出来る術者を早急に呼び寄せて対処して貰うことになるでしょうか。多少の被害は出るかも知れませんが、それでも数日中には片は付くと思います」


――祓う……?


 その単語に和花名は引っ掛かる。

「あの、祓うって……封じるとは違うんですか?」

「封じるは『出てこない様にする』、祓うは『なかったことにする』、でしょうか」

「なかったことに……する……?」


――あのもふもふが。なかったことに?

――それは、嫌。


「そんな事情ですので、和花名さん」

「はい」

「お母様と話をしてみて頂けませんか」

 しかし、凉城にそう言われて、和花名は項垂れた。和花名には、あの母親を説得出来る自信が全くなかった。

 途切れなくガタガタと軋む窓に、打ち付ける雨音に、和花名の心は追い立てられる。

「……少し……考えさせて貰ってもいいですか」

「それはもちろん。この先の人生を左右する、重大なことですから」

「重大なこと……」

 そうは言われても、あまりよく分からない。現実感がなさすぎて。どう判断するのが正しいのか、分からない――

「無理、しなくていいんだからな」

 隣にいた悠斗にそう言われて、和花名は力なく笑って頷いた。


 自分がやらなくても、他にやってくれる人がいない訳じゃない。選択肢が他にもあるという辺りが、うまい具合に逃げ道になっていて、一歩踏み出す勇気を持つことに対する葛藤を大きくしている気がする。

 

――私、どうしたらいいんだろう。


 身を屈めていれば、嵐はいずれ通り過ぎる。端から無茶振りをされているのだ。顔を上げ、立ち向かう勇気がなくても、和花名を責める者はいないだろう。

 でも――


 何もしなければ、間違いなく自分は、また大切なものを失う。


「シオン……」

 あの、かけがえのない存在を――


「和花名」

 気がつけば、悠斗が心配そうにじっと和花名を見ていた。

「……本当に、無理はしなくていいから。和花名がしたいようにすればいい。何があっても、俺はそばにいるから……」


――ホント。兄弟そろって、私に甘すぎだよ。……ああ、そっか。私はもう……


 そこでふと笑った和花名に、悠斗が怪訝な顔をする。


――私、もう、何も無くしたくないんだ。


 そう気づいたら、あっという間に気持ちは固まった。和花名は心を決めて顔を上げる。

「あの、先生。私、母を説得してみます。……上手くいくかは分かりませんけど――」


 その時だった――

 和花名の決意表明に被さる様に、

「小鳥春日は、こちらかしら?」

 と、よく知っている声がガラリ開かれた社務所の扉の向こうから言った。


 開け放たれた扉から、室内を突風が吹き抜け、雨が勢いよく吹き込んでくる。

「うはー嵐を背負って登場とか、すげぇ」

 その声の主が誰かを知った春日が、愉快そうな声で言う。


「撫子先輩?!」

 嵐の中、傘もささずにやって来たのは、尾花沢撫子だった。

「あら、和花名じゃないの。こんな所で何をしているの?」

「ええと、その。まあ、色々ありまして……」

「まあいいわ。そちらの話は後で聞くわね。ちょっと、急ぎの用件があるものだから」

「はい」

「それで、小鳥春日、少し顔を貸して頂けるかしら?」

「何だよ?こんな嵐の中やって来て、デートのお誘いか?」

「……なっ、馬鹿じゃないの?」

「今更だろ」

「ともかく、外に出て頂くわ。今すぐよ」

「相変わらず、上からだよなぁ、お前。それ、人にモノを頼む態度じゃないだろう」

「いーから、早くなさい。私は、お願いしているのではないの。命令しているのよ」

「えー。尚更やだよ。こんな嵐の中に出るの。服が濡れちゃうじゃないか」

「つべこべ言わない」

「凉城ぉ……あのわがままな女王様、何とかして」

 春日に泣きつかれた凉城が、やれやれという体で撫子の前に立つ。

「尾花沢様、先にご用件をお伺いしても?」

「下僕の出る幕ではないわ。引っ込んでいて下さいます?」

「そうも参りません。主の身の安全を確保するのが、私の仕事ですので」

 丁寧だが、断固とした声で言われて、撫子が舌打ちをして言ったのは、

「……犬の餌が必要なのよ」

 という言葉で――

「は……?」

 撫子が発した言葉を、凉城は思わず聞き返していた。




 鈴七が差し出したタオルで顔を拭きながら撫子は、自分と春日の間に立ち塞がるこの鉄壁のしもべをどうにか納得させて、早急に春日を手中に収めるべく説明を始める。


――大丈夫。このしもべの弱点はすでに把握済みだもの。


「あの犬神を召喚したのは、我が家のしもべ筋に当たる衣縫家の萩緒という者です――」

「どうして萩緒先輩が……」

 和花名の呟きを聞き止めて、撫子がそれに応える。

「和花名、あなた、萩緒から子犬を譲り受けたのよね?」

「はい」

「そもそも、その子犬があやかしだったの。萩緒はあなたが育てたその犬を使って、犬神を召喚した。そこにいる小鳥春日に呪祖を仕掛ける為にね」

「へー。だいたい凉城の見立て通りってことか。しっかし、改めて聞くと、ひでえ話だよなー」

 春日が撫子の話を聞いて身震いをする。そんな春日の姿を、撫子はどこか冷めた目で見据えていた。


――あなたが、小鳥春日に蔑ろにされているのが、我慢できなかったんです。


 そう言った萩緒の、悔しそうな顔が脳裏に過る。自分では、もうとっくに絶ち切ったつもりだった。だけど、捨てきれずに残っていた僅かな未練が、萩緒の目にはそんな風に見えていたのかと、愕然とした。


 萩緒の凶行を誘発してしまったのは、そんな自分の甘さに他ならない。だから今日、自分は全てを終わらせる。こんな馬鹿げたことが、二度と起こらない様に。


――小鳥春日を甘く見てはいけないわ。彼を簡単にどうこうできる人間は、そうそういないのよ。小鳥家の創始であった陰陽師の力はそれほどに、余人には計り知れないほどに強大で、彼が子孫を守るために残した守護結界は未だに残っているのだから。


 そう萩緒に諭した自分の言葉を、撫子は改めて噛みしめる。この男は、生半可な術者が手を出していい存在ではないのだ。


「萩緒は、あなた方が封じた犬神の封印を解いたと言ったわ。でも、まあ、この嵐の状況を見る限り、彼女は解呪を失敗したってことよね。それから、もうひとつ。萩緒がいちばん最初に命じた呪が、消えずに残ってしまっているみたいなのよね――つまり、春日、あなたに対する呪いの部分が、ってことね」

「うそだろー」

「それを何とかしてあげるから、この私に協力なさいって言っているの」

「……つまり、それは何?お前が犬神を祓ってくれるってことなの?」

「そうよ」

「なんで?お前は、僕を殺したいほど嫌いなんだろ?あ、もしかして、嫌よ嫌よも好きのうちってやつかぁー?」

 春日が、によんとした顔をする。こういう所は、問答無用で抹殺してやりたいと思う。

「馬鹿言ってんじゃないわよっ。あなた以外に危害が及ぶのが看過できないって言ってるの。その辺、勘違いしないで頂戴。それに、今回はうちのしもべ筋の不始末な訳だしっ」

「ま、力を貸してくれるって言うんなら、有り難く借りておくけど……」

「そう?なら、犬神をおびき寄せる餌になってくれるのね」

「え?餌?なんで僕がーっ?」

「言ったじゃない。萩緒の呪が残ってるんだって。犬神を祓うには、犬神を近くに呼び寄せる必要があるのよ。呪であの犬神と繋がっているあなたなら、あれを引き寄せられるはずだから……そういうことなので、ご協力頂けます?凉城さん。あなただって、こんな厄介事、さっさと終わらせたいのでしょう?」

「……そうですね。早いに越したことはないですが」

「う……凉城っ?」

「せめて、ダメージが少ない方向でお願いできますか?」

「ええ、それは勿論、善処いたしますわ」

「え、嘘だよな?凉城っ」

「大丈夫ですよ、春日様。尾花沢様の腕なら必ずや、あなたを犬神から守って下さるでしょうから。尾花沢様、よろしくお願いいたします」

「う、裏切り者~~~」

「……残業代、ケチるからだよ、春ちゃん」

 気の毒そうにそうは言うものの、芹はすでに傍観モードだ。

「ほら、行くわよ」

 首根っこを掴まれた春日は、ドナドナよろしく、撫子に引っ立てられて行く。そして二人の姿は、嵐の中に消えて行った。


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