第21話 その花はいい匂いがする。
犬塚家はその昔「
初期の頃、数種の薬草を調合して出来る犬遣いの門外不出の秘薬を服用することで、彼らはその匂いを体に纏った。しかし、秘薬を服用し続けたことで、代を重ね数百年を経る頃には、犬遣いの血、それ自体が犬のみならず、数多あやかしの好む匂いを纏うようになっていたという。
「つまり、和花名ちゃんは、あやかしを引き寄せるいい匂いがするってこと?」
「犬塚の家の者、全員がそうなのだとは思いませんが、和花名さんの母親は鳳神社の巫女だったといいますから、そちらの血のお陰で、術者の素養を強く引き継いでいる可能性はあります。でなければ、犬神があそこまで懐く理由がありません。犬塚和花名には、元々犬を遣う能力があった。しかし、何者かの手によって、今はその力を封じられていると、そう推察されます」
「何者か、ね……なあ、五形、やっぱ自分の子供が厄介な力を持って生まれてきたりしたら、封じてしまいたいと思うものなの?親としては」
「犬塚さんのように、あやかし事とは縁を切りたくて、かつての名を変名している家ならば、あるいはそうかも知れません」
「五形さんちは違うんだ?」
「私はこの仕事、誇りを持っておつとめさせて頂いておりますので」
「僕も、そんな五形さんを誇りに思ってるからね」
「恐縮です」
「で、凉城。和花名ちゃんのその封印、解くべきなの?」
それは、犬塚和花名をこちら側の世界に引き込むということだ。あやかしと隣り合わせの、普通とは少し違う世界に。彼女の日常は、これまでとは想像もつかないものに変貌することだろう。
「致し方無いでしょうね。犬神がすでにここに存在する以上、それが引き寄せる災厄を避けるためには犬遣いが必要です」
「そっか。結論が出たな」
「ちょっと、待って下さいよ」
剣呑な方向へ進んで行く話を、悠斗が引き戻す。
「その封印とやらを解いたら、和花名は初呪を使えるようになるってことだよな。それで、誰かを傷つけてって、そんな悪意を持った奴の思惑通りにさせていいのかよ」
「あ、まあ、傷つくのは、多分、僕なんで」
「はい?」
「大丈夫。恨まれているのは、彼女じゃなくて、この僕だから」
「ええ、その悪意の主のターゲットは、殺しても只では死なない、この『小鳥春日』なんですよ、悠斗くん」
「は……?」
「我が愚主のせいで、とんだご迷惑をお掛けしている訳ですから――」
「お前ねぇ、ここぞとばかりに愚弄しなくてもさぁ」
「和花名さんは、我々が全力を挙げてお守りしますので、どうぞご安心下さい」
「はぁっ?」
何だか雲の上のほうの権力闘争的な何かに、巻き込まれた庶民である少年は、あんぐりと口を開けて間抜けな顔を披露することしか出来なかった――
――雲上人、訳ワカンネーーー てか、そんなくだらないことに、庶民様を巻き込むんじゃねーよ。
という悠斗の心の叫びは、引きつった笑みの中に押し込めるしかなかった。
「こんにちは~」
和花名が服飾研究部の活動拠点である被服室を覗くと、中にいた副部長の
「あ、和花名さん来た来た。ごめんね~忙しいのに」
「いえぇ。こちらこそお任せきりで申し訳ないやらなんやらで……撫子先輩は、生徒会の方ですか?」
「そう」
萩緒先輩が軽く肩を竦める。撫子先輩こそ、あちこちに役職を持っていて忙しい。前回はたまたま顔を見ることができたが、撫子先輩は部室には滅多にいない。その辺は頼りになる副部長の萩緒先輩が上手く采配を取ってくれているので、私たち後輩はつつがなく部活動に勤しむ事が出来ているのだ。
「でね、今日は色目の相談をしたいと思って。写メで送ってもよかったんだけど、何しろ大量だし、実物見てもらった方が話が早いかなって」
「うわ~
萩緒先輩が机の上に広げている、小さな布切れが貼られている生地見本はそれだけでも充分に美麗だ。ぱっと見同じ色に見えても、織り込まれている文様が違っていたりして、光の加減でそれが浮き上がる様もなかなかに素敵である。
「
「はい」
「ちなみに、単と、五つ衣って呼ばれてる
「ん?ひいふうみぃ……十枚でおしまい?十二枚じゃないんですか?」
「十二はたくさんという意味で、十二枚着てなくても十二単と言うらしいわ」
「へぇ。そうなんですね」
「で、単と五つ衣の組み合わせで、季節感を出すというのが平安時代のトレンド?みたいな感じなんだけど、その伝統の組合せが決まってて、それを色目と言うんだけどぉ……大丈夫?付いて来てる?」
「あ、はい~ぃ」
「和花名さんの意見も聞きたくて、ご足労願いました。という訳で、色目見本~」
「うわ~。色々ありますねぇ」
「発表会は秋だから、現実の季節に合わせるならこの辺りの紅葉とか?なんだけど、その辺はパフォーマンスの舞台設定でどうにでもなるから……私的には、和花名さんにはピンク系着せたいかな~と」
「紅梅とか、この辺です?梅重ね、かぁ……」
――あ~確かにかわいい感じ。私に似合うかどうかは置いておいても。
私は先輩たちからは、やたらカワイイ連呼されるんだけど、自分的には、カワイイの範疇に入っちゃってていいんでしょうか?と常々思っている。無駄に身長も高いしで。
「あ~この雪の下って、何か好きかも」
白色が入った分、ピンクピンクしてなくて、がっつりカワイイって感じではなくなった分、申し訳なさみたいなものが薄らぐ気がする。
「ああ、それは紅梅に雪が積もってるって設定らしいわ」
「わぁ、
「分かる分かる。それシックでいいよね~」
「……あの、萩緒先輩。今更ですけど、ホントに私でいいんでしょうか?」
「ん?撫子はねぇ、あれもこれもで忙し過ぎるから。それに、来年のことを考えたら、私たちはもう引退してる訳じゃない?次世代の
「う、何か肩に変な重みを感じます」
「和花名さん、がんばー」
「……はぁ」
撫子先輩のいない部活なんて、考えたこともなかった。この学校は幼稚園から大学までエスカレーターだから、和花名は来年、そのまま高等部に入る。先輩だって、そのまま上の大学へ行くのであれば、引退後でも遊びに来てくれたりするのかも知れない。でも、多分、撫子先輩は東京の大学に行くのだろうなという気がしている。先輩には、もっと広い世界が似合うと思うから。
「そう言えば話変わるけど」
「ええ……」
「和花名さんが行ってる補習室に、妙な輩いない?」
「妙、ですか?」
言われて浮かぶのは、失礼ながら王子部――あ、いや、歴史研究同好会だっけ――の人たちの顔だ。
放課後、和花名が顔を出すと、彼らは大抵、いい匂いを漂わせての三時のお茶を飲んでいる。何故か悠希はそこの部員で――それで、犬、犬、騒いでいたのかと和花名は納得した訳だが――三日に一度は、和花名もそのお茶会に参加させられてしまう。お茶と一緒に出てくる稲田先生お手製のスイーツが妙においしいので、断固断るという方に和花名の気持ちが行き切らないせいだ。
――たまに、課題プリントの分からない所を教えてもらったりもしてるんだよなー。
小鳥先輩も見かけ変な人だけど、頭は良いらしく、歴研の人には、すっかりお世話になっている感じだ。今では違和感なく馴染んでしまっている和花名であるが、
「……まあ、妙と言われれば、妙ですね」
改めて言われて、冷静に客観的に見れば、やはり妙なのだろうという結論に行きつく。
「特にあそこの部長さんは、だいぶ個性的……ですよね。小鳥春日先輩」
「言葉、選んだわねぇ」
萩緒先輩が苦笑する。
「あれは、シンプルに変態でいいのよ、変態で」
「ははは」
「ホントにもう、あんなのが撫子の許婚かと思うとあり得ないっていうか……」
――んんっ?
「え?い、いい……」
――いいなずけーー!?
「二人、許婚同士なんですかっ?」
「ね~?ビックリでしょう?」
「は~そうなんですね~」
――って、あれ?小鳥先輩って、凛子先輩のことが好きって。
「それなのに、他の女の子にちょっかい出してんのよ、許せなくない?」
「あ~そうなんですね~」
そういう事だったのか。というか、そうすると撫子先輩の片想いという事になるのだろうか。
――あの撫子先輩を袖にする人がいるって……
世の中にはそんなことも起こるんだなぁ。というのが、和花名の率直な感想だ。まあでも、許婚同士とは言っても、本人の意思じゃないところで決められたのだとすれば、撫子先輩が必ずしも小鳥先輩のことを好きだとは限らない訳で。将来的に本当に二人が結婚するのかという辺りは、誰にも分からない。
「コンコン、和花名いますか~?」
許婚とか結婚とか、馴染のない単語に和花名が翻弄されていると、外から悠希の声がして、被服室の前扉が開いた。
「あ、和花名、見~つっけ」
「よくここだって分かったわね?」
「ああ、うん。何となくだけど。俺、鼻が利くから……」
「あら?忠犬ワンちゃんのお迎え?」
萩緒先輩にそう声を掛けられて、悠希がそちらの方に顔を向けた。
「……」
人懐っこくて誰とでもお友達タイプの悠希が、萩緒先輩の顔を見たまま、何も言わずにその場に立ちつくしている。
「悠希?どうしたの?」
「……あ、いや、何でもない」
「じゃ、和花名さん、今週中で構わないから、考えまとめておいてね」
「あ、はい」
「よろしく~ワンちゃんもお迎えご苦労様。またね」
ニコニコと手を振る萩緒先輩に、悠希はやっぱり無言で軽く会釈をしただけで、そのまま廊下に出て行ってしまった。
「ちょ、悠希。迎えに来たのに、先に行くってどういう。あ、それじゃ先輩、失礼します」
和花名は萩緒に挨拶をして、慌てて悠希を追いかける。廊下に出てみると悠希の姿はもう廊下の曲がり角に消える所だった。
「ちょっと、待ってってば……」
何となく悠希の様子がおかしい。
――ええと。何か、機嫌が悪い?
それって、自分のせいなのか。補習の前に、部室に顔を出すからと、悠希に伝えていなかったからなのか。良く分からないけど、こんな悠希は初めてで、和花名は困惑する。いつも、こう言ってはなんだけど、能天気で明るい。自分はそんな悠希しか知らない――
そんなことを考えながら、和花名は悠希の背中を小走りに追いかけて、悠希の消えた角を勢いよく曲がった。
「うぁっ……」
曲がった途端に、誰かにぶつかったらしく、結構な勢いで体を抱き止められた。
「すっ、スミマセン……」
慌てて体を離そうとするものの、相手の腕ががっちりと和花名の体を抱き込んでいて、身動きが出来ない。
「あ、あのっ」
困惑した声を出すと、その体が微かに揺れて、頭の上から押し殺した笑い声が聞こえた。
「……悠希?」
「あ~何か癒される」
「も~何してんのよ。離しなさいってば」
「何か和花名いい匂いする」
「なっ。離せ、変態」
その腕の中で激しく身じろぎするものの、悠希の拘束は緩まない。
「……ゴメン、和花名。も少しこのまま」
そう言って悠希は、和花名の頭の上でふうと深い溜息をひとつ落とした。やっぱり、何か様子がおかしい。
「……どう……したの?」
「うん……」
答えの代わりにスリスリと髪に頬ずりされている感触に、否応なしに心拍数が上がる。
「ゆう……き……?」
困惑混じりの小さな声でその名を呼ぶと、ふっと腕が緩んだ。
「パワーチャージっ」
そう叫んで、悠希がいきなり目の前で変身ポーズみたいな変なポーズを取る。
「あれっ?どうしたの?和花名、顔真っ赤だよ?頭もぼさぼさ」
「……あんたのせいでしょうが」
「え?それはゴメンなさい」
言いながら、手櫛で髪を直される。
――悠希、あんた間違ってるわ。これ、髪は直るけど、顔の赤いのは更に酷くなる奴よ?
それでも、鼻歌交じりに手を動かす悠希は、もういつもの悠希で。そのことに思いの外安心した和花名は、しばらくされるがままに、悠希の指の心地よい感触に身を任せていた。
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