第20話 消失

 夕食の後、彼らは、ティールームとでも言えばいいのか、ダイニングとは別の少し小さな部屋――とは言っても、マンション住まいの身からすれば、十分に広い空間――に移動した。バーカウンターなども備えられているところを見ると、大人たちはここでお酒を飲んだりするのだろうと思う。

「後で、ゲストルームの方に案内させますが、課題の類などこちらでおやりになって下さっていてかまいませんよ」

 食後のコーヒーを給仕してくれながら、凉城が言う。言われてみれば、明日提出しなければならない課題がいくつかあったのを思い出す。

「うえー課題、めんどくさー」

 悠希がげんなりした顔をしながら、カバンの中からテキストを引っ張り出す。

「悠斗は?何やんの?」

「古文と英語、かな」

「あ、うちのクラスと同じ?ページも??うほ、らっきー……じゃあさぁ、半分ずつやって、後で写しっこしようよ?」

「……お前、馬鹿なの?それここで言う?」

 悠斗に言われた悠希がハッとして顔を上げると、ニッコリ笑顔の凉城と目が合う。

「悠希くん、課題は自己研鑽のためにやるものですからね?」

「あ~はは、はい、そうですね」

 テキストとノートをバサバサと広げ、取りあえず勉強してるよのポーズを取る。

「では、ごゆっくり。お励み下さい」

 そう言い残して凉城は部屋を出ていく。そのドアがパタンと閉じた途端、悠希は「だー」と声を漏らしながら大きく伸びをした。

「だいたいさぁ、元はひとりな訳なんだから、悠斗がやればいいんじゃん」

「お前、人間生活、ナメんな。和花名のそばにいたいなら、真面目にやれ」

「はいはい……あー何か俺、トイレ行きたくなって来た。トイレっ、トイレっ」

「いちいちうるさいぞ。さっさと行ってこい」

 悠斗が不機嫌そうに返すと、悠希はそそくさとドアに駆け寄った。ドアを開いた所で、ちょうど本を片手にした春日とそこで鉢合わせた。

「あ、先輩、トイレ貸してくーださい」

「あ?おお、トイレはだな、ここ右いって突き当りを左、廊下を三本横切った角を右だ」


――おいおい遠いな。


 春日の説明に、悠斗は悠希が戻ってきたら入れ替わりに自分もトイレに行っておこうと思った。慣れない車いすで、そんな遠くまで行かなければならないのなら、余裕を持って行った方がいいに決まっている。そんなことを考えながら、悠斗は課題に取り掛かった。


 そばで春日が本を読んでいる、というので、軽く緊張していたのだろう。悠斗はかなり集中して、課題に取り組んでいた。しばらくしてはたと気づいて顔を上げる。


――あれ?悠希、遅くね?


 悠希が戻ってきたら手を止めようと思っていたのに、悠希が戻って来ないせいで、課題はかなりはかどっていた。いくらトイレが遠くても、そこまで時間か掛かるものだろうか。ポケットからスマホを取り出して時間を確認すると、もうかれこれ三十分近く経っていた。

「そう言えば、ワンコ遅いね」

 悠斗がゴソゴソと携帯をいじり始めた気配に気づいたのか、春日がポツリとそう言った。

「迷ったかな」

「あの、俺もトイレ行きたいんで、ついでにちょっと見てきます」

「あ、そう?じゃ、気を付けて行ってらっしゃい。右に出て突き当り左、三本先の廊下を右ね」

「あ、はい。じゃ、ちょっと行ってきます」

「うん。行ってらっしゃーい」

 にこやかにバイバイと手を振る春日に軽く頭を下げて、悠斗は慣れない手つきで車いすを漕ぎながら部屋を出た。そして言われた通りに右へ、突き当りを左へ進む。そこからは結構長い直線廊下だ。見える所に人影はなかった。

 少し進むと、真っすぐな廊下に直行する形で、左右に抜ける廊下があった。それを三つまで数えた所で、言われた通りに右側へ折れる。その廊下に車いすで乗り入れた所で、悠斗はドキリとして車輪を漕ぐ手を止めた。


――え……何でアレがこんな所に……


 廊下の先に、何かが落ちている。

 それは、掌に乗るぐらい小さくて、丸い輪っかの様なもの。そこまで視認して、悠斗は夢中で車いすを勢いよく漕ぎ出した。まさか違うよな、と思いながら「ソレ」に近づく。そして、足元に落ちているそれをまじまじと見ながら尚、悠斗は信じられない気持ちで身を屈め、それを拾い上げた。そこで初めて自分の手が、小さく震えているのことに気付いた。

「うそ……だろ……」

 背筋を冷たいものが走る。

 それは、悠希が腕に巻いていた首輪だった。すぐ側の床には、上下に分断された紙の人形ひとがたが落ちていた。


――何これ……どういう……


 まさか悠希は消えてしまったのか。どうして……こんな事に。呆然としながら、悠斗はポケットのスマホを取り出して、その答えを教えてくれるであろう人間に電話を掛ける。


「もしもし?悠斗さん?どうしました?」

 耳元で鈴七の声がする。

「あ、と、そのっ、悠希が……消えた……っていうか」

「消えたって、どういうことですの?」

「ええと……その、首輪だけ残ってて……でもあいつの姿は無くてで……」

 情けなくも自分は狼狽えているのかと思う。たどたどしい説明しかできない。

「それでっ……」

 言いかけた所で、手の中のスマホがいきなり抜き取られた。

「え?」

『もしもし、悠斗さん?』

 鈴七の声が自分から引きはがされていく。悠斗が振り向くと、そこに春日と凉城が立っていた。

「え……何で」

 春日はチラリとディスプレイに表示されている名前に目をやって、そのままスマホを耳に当てた。

「黒幕はお前か、五形ごぎょう鈴七」

『え?何?あなた、どなたですの?』

「小鳥春日。お前の家から見たら、主家筋の者になる訳だが」

『え、小鳥様っ!?』

「ともかく、こってり説教してやるから、即刻、小鳥の本邸まで来い。いいな?」

 普段のチャラさなど微塵も感じさせない上からなモノ言いに、凉城は春日がめずらしく怒っているのだと気付く。

 そのまま電話を切った春日は、悠斗にスマホを渡ししな言う。

「折角ここまで来たし、トイレ、行っとく?長い話になりそうだから」

「え……えと、はい。そういうことなら、行かせて、頂きます」

 悠斗的には、そう答えるしかなかった。ともかく、悠希が消え、その件で鈴七がここに来る――春日の口調では、叱られに、だ――ということは分かった。


――神社の五形の主家筋って、一体、どういう人たちなんだろう。


 用を足しながら、悠斗はそんなことを考えていた。




 小一時間ほどしてやって来たのは、五形鈴七だけではなく、その両親に妹の七紘と、一家総出での小鳥家訪問となったようだ。主家筋からお叱りを受けるというのは、彼らにとってそれ程の事なのだということなのだろうか。


「この度は、この私の不徳の致すところ。まことに申し訳なく……」

 部屋に入るなりそう言って頭を下げた双子の父親に、春日は軽く肩を竦め、その謝罪の口上を遮った。

「お詫びとかは、取りあえず良い。けど、一つだけ言っておくと、鳳神社はうちの管轄なんだからさ、犬神を扱うなんていう大事が発生したんなら、うちに知らせてくれなきゃ困るじゃん、ってことなんだけど」

「……主家のお手を煩わせるまでもないことと、軽く考えておりました。私共は、そのためにこの地に呼ばれた訳ですから、あやかし絡みの厄介事など、目に触れぬうちにこちらで対処すべきことと……浅慮にございました。申し訳ございません」

「五形さんの凄いのは分かってるし、頼りにもしてるし、役に立って貰ってもいるし、この先もお世話になりたいと思ってるから」

「勿体ないお言葉、痛み入ります。今後はこの様なことのない様、重々気を付けますし、娘たちにも充分含み置きいたしますので」

「うん。分かってくれれば、それでいい」

 春日のその言葉で、どうやら時代劇タイムは終了したようだ。何というか、小鳥家がこの界隈ではとんでもない権力者なんだということが、よーく分かった――悠斗にとっては、そんな一幕だった。

 

 そこから、悠斗が犬神に憑かれた時の話や、犬鬼のこと、悠希の実体化の経緯をひとしきり事情聴取された。

 五形家の中で、霊力が弱いせいでひとり蚊帳の外だった七紘が、横で話を聞くうちに酷く不機嫌になってしまったのは、当然と言えば当然のことで、それに関しては、悠斗は後で自分がフォローしてやらなければならないと思った。

 厄介事から遠ざけて置いてやりたいという親心や、妹を想う姉心を分かっていても、それを素直に消化するには、まだ自分たちは余裕で子供なのだ。


 

「それでさ、これなんだけど」

 ひとしきり事情説明が終わった所で、春日が手にした首輪を五形さんに渡す。

「こいつ、五形にお願いして屋敷のあちこちに仕掛けてもらった結界札踏んじゃったみたいでさ……」

「ああ……成程」

 首輪を受け取りながら、五形さんが納得した様に応える。

「……ええと、これをもう一度、実体化させても構わないという話でしょうか?」

「まあ、このまま封じておければ問題ないけど、そうも行かないんでしょ?これ」

「そう、ですね。このモノは外に強く執着するものがある様子なので、下手に閉じ込めますと、狂暴化し暴走する恐れがある様に思います」

「だってさ、凉城」

「仕方ありませんね。まあ、そうだろうなとは思っていましたが。これで振り出しですね」

「そうでもないぞ。犬神が人の姿を成してウロウロしている理由は分かったじゃない。あとは、犬鬼を使って犬神下しをした術者を特定できれば、この件はおしまいじゃん?」

「じゃん、て軽く言いますけどねぇ」

 そこが一番、デリケートで厄介な所だろうに。

「で?凉城。今後の方針だけど、どうなの?」

「……こうなってしまっては、犬塚和花名に話を聞くしかないかと」

 凉城がそう言うと、悠斗が身を乗り出して反論する。

「待って下さい、先生。和花名は、やっと去年のことから立ち直りかけてるんですよ。また変なことに巻き込んで、辛い思いをさせるのは……」

「これ以上、彼女を厄介事に巻き込ませたくない。というのは分かるし、私だってそう思ってます。でも、今回の事は、そもそも和花名さんの存在ありきで計画されてるんです。彼女が全ての中心にいる。彼女は最初からすでに巻き込まれているんです」

「最初からって……」

「和花名さんが犬塚家の血筋であるという所からです」


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