第19話 小鳥さんちはお金持ち
「あのさー私も肩貸すー?」
悠希の肩を借りて前を歩く悠斗に、和花名は思い余って声を掛けた。
悠希の「おんぶ」を、兄の
和花名の提案に、悠希が横からそれに同意する。
「俺もその方がいいと思う。この調子じゃ、うちに辿りついた頃には日付変わってそうだもん」
悠希の発言に、和花名はうんうんと頷きつつ悠斗の横に立った。
「はい、どーぞ、お使い下さい」
長身の和花名は、悠斗と肩の高さもほぼ同じだ。だから、使い心地は悪くないハズ。そんなこと思いながら悠斗を見ると、これまでに見たことのないしかめっ面になっていた。
「……」
「悠斗?」
「……病み上がりに肩借りるとか、あり得ねぇし」
「イヤ、病み上がりって。私、もうそんなにふらついたりとかないし、ほぼほぼ回復してるから、大丈夫だし?」
「あぁ~、和花名さぁ、悠斗の奴ってば、照れくさいんだと思う」
「黙れ、バカ犬、んなんじゃねーわ。女に肩なんか借りられるかって言うの」
「んもう、素直じゃないなぁ。兄の沽券の次は男の沽券?私も、さっさと家に帰りたいんだけど。今日は課題もあるし」
「だったら、お前は先に行け。持ってもらってるそのカバン、うちのマンションの部屋の前に投げておいてくれればいいからっ」
「……ああそう。悠希」
心持低くなった和花名の声に呼ばれて、悠希がキョトンとした顔をする。
「え?」
「そうね、どちらかと言えば、粉砕しやすいのは兄の沽券の方かしら……?悠希くん、遠慮なく粉砕して差し上げて?」
「ああ、そういう……」
悠希はニンマリして肩に回っている悠斗の腕をがしっと掴むと、いきなり腰を落とし、瞬間バランスを崩した悠斗を背負い上げるようにして、そのままおんぶの体勢に持ち込んでしまった。
「ばっ、おま、何してんだよっっ」
いきなり負ぶわれた格好の悠斗は、悠希の背中から下りようともがくが、両の腕をガッチリ掴まれてしまっているので、木彫り熊がよく背中に吊り下げているシャケみたいな状態になっている。
「暴れんなってば。往生際、悪っ!」
悠斗は尚も抵抗を諦めず、悠希の膝裏辺りにげしげしとケリを入れている。
「離せーーー」
そう言いながら足をバタつかせる悠斗のケリに、悠希が堪えきれずによろめく。そこへ、ちょうどやって来た車のヘッドライトが差し掛かかり、暮れかけの薄闇の中にいた三人を照らし出した。
「ちょ、いい加減にしなさいよ、ほら、車来てる、危ないからっ」
言ったそばから、二人はもつれるようにして車道にはみ出してしまった。幸い、スピードがあまり出ていなかった様で、二人をライトで照らしだしたまま、数メートルの余裕を残して車が止まってくれた。
「す、スミマセンっ」
反射的に和花名が頭を下げると、窓が開いてそこから知っている顔が覗いた。
「黄昏時はドライバーも暗さに目が慣れてない刻限で、事故が多いんですから。そんな所でふざけていたらダメですよ、犬神兄弟」
「稲田先生……」
「保健の駒田先生から連絡を頂きまして。犬神君のおうちは今日保護者の方が不在のようだと。悠斗君は病院にも行った方がいいみたいなので、こうして車で追いかけてきたんですよ。さ、乗って下さい。和花名さんも、もう暗くなりますから、お宅までお送りしますよ」
「先生、ありがとうございます、お世話になります」
和花名はホッとした表情でそう言うと、さっさと車のドアを開け、後部座席に乗り込んだ。有無を言わせず和花名が車に乗ってしまったので、残された二人は互いに相手の顔を見やってから、おんぶよりは間違いなくマシなその提案に乗ることにしたのだった。
凉城はまず和花名の家に向かい、そこで和花名を下してから再び車を走らせた。
運転しながら、ルームミラーごしに凉城が後部座席を見れば、和花名がいた時には、スペースの関係もあって隣り合って座っていた兄弟は、今はそれぞれ左右の窓にくっつく形で離れて座っている。それぞれ窓の外に視線を向けていて、会話らしい会話もなかった。
「……先生、病院って、どこの?」
不意に悠斗が窓の外に目をやったまま訊いた。
「ああ、もうじきですよ」
言いながら、凉城は大きな門扉の屋敷の前に車を止め、ポケットからリモコンを取り出して操作する。
目の前の門が自動で開いていく様に、後ろから悠希が身を乗り出して「スゲー」と呟くのに凉城が苦笑していると、
「ここ、病院じゃないですよね?」
と、悠斗が冷静に確認してきた。
「病院ではないですが、お医者様はちゃんといらっしゃいますから、大丈夫ですよ」
「どういう……?」
「ここは、
「小鳥って……」
悠斗が訝しむ横で、
「もしかしてここ、春日先輩の家?スゲーなデケーな、先輩んちって、滅茶苦茶お金持ちじゃん」
と、悠希がはしゃいだ声を出す。
「春日先輩?」
「俺の部活の部長だよ、小鳥春日先輩」
「部活って……王子部のか」
そこでようやく悠斗の中で、「小鳥春日先輩=何かと話題の変な先輩」という図式が思い浮かぶ。小鳥家と言えば、この町の名士で、学園の理事長であり、実質学校のオーナーでもある。
「先生の本来の職場って?」
「私は、そもそもは小鳥家で雇われている執事になります」
――しつ、じっ。
そういうの、小説とか映画とかのキャラじゃん。と思いながら、悠斗は目の前の執事先生をつい物珍しそうにみてしまう。
「先生、何で先生なんてやってんの?」
悪いと思いながらも、ついつい好奇心丸出しで聞いてしまう。
「あそこの学校は、小鳥の系列ですから、まあ、人手が足りない時とか、たまに出向という形で。私、一応、教員免許持っているので」
苦笑交じりに凉城がそう答える。
「今日は、小鳥家の主治医の先生がこちらに往診の日ですので、捻挫ていどでしたら見て頂けますので」
「主治医ーー?スゲー。THEお金持ちって感じじゃん」
悠希が横ではしゃいだ声を出すのを見ながら、悠斗は軽く溜息を漏らす。そうこうするうちに、凉城の車は車止めに入り、これまた絵にかいたような、大きな扉の玄関に横付けした。
凉城が車を降りると、すかさず運転手さんぽい人が駆け寄って来て車のキーを受け取った。車庫入れはこの人の仕事なのかと思う。悠希が逆のドアから二人分のカバンを持って下りたので、悠斗も自分側のドアを開くとすでにそこに車いすを押したメイドさんが笑顔で彼を出迎えてくれていた。車を下りようとすると、間髪入れずに凉城の手が差し出される。
――手際の良さが半端ないな。
そんなことに感心しながら、遠慮なくその手を借りて、悠斗は車いすに腰を落ち着けた。
玄関の大きな扉がゆっくりと開かれていく。扉を開いているのも、何だか正装した執事っぽい人で、この人は扉係の人なんだろうかと思いながら見ていると、扉の向こうには、更に数人のメイドさんが頭を下げて並んでいた。小鳥家が噂通りのお金持ちであるのはどうやら間違いないようだ。
「……あ」
悠斗が車いすで運ばれて行きながら屋敷回りのあちこちに目奪われていると、ちょうど玄関に足を踏み入れた所で、横を歩いていた悠希が短く妙な声を発した。
「?……どうした?」
「え?あ……あぁ、何か目がパチッとした感じがして……」
「パチ?」
「停電した時みたいに、一瞬、目の前が暗くなったっていうか……そんな気がしただけ。多分気のせいだと思うけど……」
そこまで言いかけて悠希は言葉を切ると、わざわざ身を屈めて悠斗だけに聞こえる小声で耳元に囁いた。
「……ていうか、ここんち、何だか空気が重い感じがする」
――空気が重い?
そう言われても、悠斗は別に何も感じないから、それがどういう感じなのかもよく分からなかった。屋敷のゴージャス感に圧倒されているってことだろうか。確かにそこここに、高そうな調度品が置かれている。犬にその価値が分かるのかどうかは甚だ疑問な訳だが。
学校でいう所の保健室――これだけ使用人がいるのならば、さしずめ職場の医務室か――といった感じの一室に連れていかれた悠斗は、そこにいた好々爺といった感じの白衣の先生の診察を受け、足の湿布を貼り直して貰った。MRIもあるよとその先生がさも得意気にいうので、物珍しさも手伝ってそんな検査まで受けてしまった。
診察の後で、そのままメイドさんに運ばれるままに任せていると、悠斗はリビングのような場所に案内された。テーブルの上にはすでに夕食の用意がされており、その席のひとつに悠希がちょこんとお行儀よく座っていた。
「先生が、どうせ家に帰っても、誰もいないんだから、今日は泊まっていけってさ~ 俺、待ちくたびれてお腹空いたよ、もう。早く食べようぜ」
「お前なぁ……流石にそこまで世話になるって、どうなの?」
悠斗が言う間に、メイドさんが悠希の向かいの席に車いすを止めた。テーブルに並ぶ豪勢な料理が目に入り、途端、意図せずぐぐぅとお腹が鳴った。
「悠斗だってお腹空いてんじゃん」
すかさず突っこまれて、言い逃れの仕様がない。悠斗が気まずさに赤面していると、そこに悠希に輪を掛けた能天気な声が乱入した。
「ごはーん」
「あ、先輩、お帰りなさい、お邪魔してます、お世話になってます」
「おお、ワンコ。丁寧な挨拶痛み入るぞ」
にっこにこしながら部屋に入って来たのは、小鳥春日先輩だった。
「さー食うぞー。今日は色々あったから、お腹ペコペコだよぅ、あ、そっちがワンコの双子のお兄ちゃん?へぇー双子でも似てないんだねー」
「あ、どうも、初めまして。お邪魔してます。弟がいつもお世話になってます」
「あ、うん、お世話してます、されてます。はい、お兄ちゃんも食べて食べて。僕もいただきまーすっ」
そう言った瞬間に、春日先輩はもう口の中に肉を頬張っていて、「んま」なんて感嘆の声を漏らしている。お金持ちにしては、気取ったところがなくて開けっ広げな人だなぁ、などと思いながら、つられて悠斗も食事を始める。向かいに座る悠希も、ご機嫌な様子で、先輩に負けない食欲を見せながらモリモリ食べている。
その時の自分たちは、空腹が満たされていく安心感に、気持ちが緩んでいたのだろう。小鳥家という大きな存在が、自分たちのような小さな存在にあえて接触してきたという事実を、取り立てて不自然に思うこともなかった。
だから、その瞬間が来るまで、悠斗たちはこの屋敷に張り巡らされた「仕掛け」の存在に全く気付かなかったのだった。
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