第18話 日直は五十音順なので

 それは、中間テストもなんとか乗り越えて、ホッとした感じの6月の初め。月曜日の朝のことだった。

「あ~俺、何で和花名とクラス別々なんだろう……名残惜しい」

「はいはい。分かったから、早く自分のクラスに行きなさいよ」

 毎朝、教室の前で別れ際に悠希から言われる定番のセリフに苦笑しながら、和花名は教室の前扉を開いた。


 それほど早い時間でもなかったから、すでに教室の半分ほどの席は埋まっていた。いつもの癖で、何気なく視線がぐるりと教室内を一周する。と、そこに普段は見ない姿が目に止まって、瞬間和花名は息を飲んだ。


 普段は部活の朝練があるから、始業ギリギリにならないと席にいないハズの悠斗がそこに座っていた。

「おは……よう」

 向こうもこちらを見ていたらしく、目が合ってしまったので、たどたどしくも挨拶をする。

「ああ……」

 和花名がドア口に突っ立たままなのを悠希が気にして、和花名の肩越しにひょいと中を覗き込んだ。

「あれ、悠斗、今日朝練じゃなかったっけ?」

「朝練は早めに切り上げた。和花名、」

 いきなり名前を呼ばれて、ドキリとさせられる。

「えっ?」

「お前、今日、日直だから」

 そう言って、悠斗は日直の腕章を和花名に差し出した。

「日直……」

 腕章を受け取りながら見れば、悠斗の腕にはすでに同じ腕章が付けられていた。

「もしかして、相方って……」 

「五十音順だからな。犬神と犬塚じゃ、どうやったって避けようがないんだから、そこは嫌でも諦めろ」

「や、別に……嫌とか思ってないし」

「……で、始業の号令は俺、終業はお前でいい?日誌はさっき職員室から取って来たから、お前が書けよ。配布物は昼休みに俺が取りに行って来るから……」

「え……一緒に行くよ?」

「お前、弁当食べるの遅いだろうが。それ待ってる内に、余裕で行ってこれちゃうから」

「えー」


 確かに、そう長くもない昼休みに、今いる三階の教室から一階の職員室まで行って帰って来るのは、ちょっとした運動だ。先月に比べれば、疲れやすさも軽くなってきているとは言え、体育はまだ見学の身なので、気を遣ってくれてるのかなと思う。体育だって、自分では休み休みやれば出来ると思うのに、親のお許しがまだ出ないせいで、いまだ見学させられている。その辺は、ほんと過保護で嫌になる訳だけど。

 

「だから、配布はお前な?」

「分かったけど。放課後の清掃チェックは一緒に回るからね?先に行かないで待っててよ?」

「……っ。面倒くさー。前回は一人で気楽だったのになぁ」

「は?そっちが嫌でも、相方なんだから、諦めなさいよ」

 嫌味っぽく言ってやる。

「……ま、いいけど」

 と、わずかに悠斗の口元が笑った気がした。 

「い~な~俺も和花名と日直やりたい」

「予鈴鳴るぞ、バカ犬」

 悠斗が言った途端、予鈴が鳴って、何か言い返したそうにしながらも、悠希は慌てて自分の教室に向かった。

 それを見送って和花名も急いで自分の席に着く。座った途端、自然にふぅと溜息が落ちた。物凄く緊張した気がする。まともに会話を交わしたのは、あの保健室以来だから、仕方がないと言えば仕方がないのだろう。でも、


――意外と、普通に話せたよね、私。前と同じに……話せた気がする。


 そんな思いについ顔が緩む。

「朝から嬉しそうだね?何か良いことあった?」

 横から藤の声が言う。

「ん。まあね」

「そ。良かったね」

「うん、ありがとう」

 藤に返事を返しながら、いつの間にか悠斗の背中に視線が止まる。

 いつか、前みたいに、戻れるかも知れない。ふとそんな事を思う。


 シオンを失った悲しみを一人で抱え込んでいた時には、どうしたらいいのか分からなかった。遠ざかってしまった悠斗の存在をどうすれば取り戻せるのか。そして半年ぶりの再会で、自分は拒絶されていると感じた。

 悠斗は和花名との間に一線を引いて、彼女をそこに入れないようにしていると感じた。それが哀しくて辛かった。でも、悠希の能天気さに振り回されているうちに、いつの間にか傷ついた心は少しずつ癒されていった。

 そう。もう一度、悠斗の心をこじ開けに行こうと決心出来るぐらいには、和花名の心は回復したのだ。


 ――よし、頑張ろう……にしても、弟をバカ犬呼ばわりって。


 あそこの家の兄弟仲はよろしくないのかしらと思う。一人っ子の和花名には、その辺の感覚はよく分からなかった。




 放課後――

 

 和花名と悠斗が清掃チェック――要するに、当番がきちんと掃除をしていったかどうかの確認の為に、クラスに割り当てられている清掃場所を一巡して教室に戻って来ると、教卓の上にうず高く積まれたノートの山が出来ていた。

 現代文の課題提出のノートの山、クラス全員分だ。


「日誌、もう書いたのか?」

 悠斗に訊かれて、和花名は頷く。

「じゃ、これと一緒に職員室持ってくから、出しとけ」

「何?私も一緒に行くよ?職員室。こんなの一人じゃ持ちきれないでしょうに」

「お前、もう補習の始まる時間じゃないのか?」

「え……」

 言われて時計に目をやると、もうそんな時間になっていた。

「そうだけど、それ言ったら、悠斗だって部活の時間でしょう?」

「俺は、いいの」

「いいって……」

 悠斗は教室の隅に置かれていた段ボール箱を持って来ると、それにノートの山を入れていく。確かに、箱に詰めてしまえば、重いだろうけど一人で持っていけない事は無いのかと思う。和花名が見ている前で悠斗はノートを入れ終わると、

「ほら、日誌出せよ」

 と催促してくる。

「でも……」

「い~から。早くしてくんない?部活の時間減っちゃうだろうが」

 そこまで言われて、和花名が渋々机の中から日誌を出して来ると、悠斗はそれを掴んで箱に入れて、わざわざよっこらしょなんて掛け声を出しながら箱を持ち上げて教室を出ていく。

「急げよ」

 そんな姿を見送っていると、廊下から悠斗の声がそう言った。

「分かってるよ、もう……お、き、づ、か、い、どーもーっ!」

 少し声を張って応えを返す。さすがにもう返事はないと思っていたところに、廊下の向こうの方から、

「……どーいたしまし、てーーっ!!」

 という声が届いた。

 全く何やってんだかと、和花名が笑いかけた所に、「おわっ」という声と、何か重たいものが落下していく音を耳が拾った。


 遠くの方で、「おい、大丈夫か?」という声や、「やべー誰か落っこちたぞ」という声が続く。ざわざわとその気配が大きくなっていく。


――うそ。悠斗……じゃないよね。


 嫌な予感と共に、心臓がズキンと痛む。教室を飛び出して廊下を走り、和花名は階段を下る。踊り場に着いたところで、階下の廊下に散乱するノートの上で意識を失い倒れている悠斗の姿を見つけた

「悠斗っ!」

 和花名は夢中で階段を駆け下りて、その傍らに膝を付く。

「悠斗、悠斗ってば」

 その体を起こそうとした所で、後ろから手を掴まれて他の生徒に制止された。

「動かさない方がいい。頭打ってたらヤバイ。今、他の奴が先生呼びに行ってるから」

「え……」

 そうか、動かしちゃダメなのか。と、呆然としながらそこにペタリと座り込む。

「大丈夫?和花名ちゃん?」

「え?ああ、藤くん……」

 名前を呼ばれてそちらを見ると、自分の手を掴んでいたのは藤だったのだと気付いた。

「これ……大丈夫よね?悠斗……大丈夫だよね……」

 気付けば周囲には人だかりが出来ていて、結構な騒ぎになっているのに、悠斗は一向に目を覚まさない。そこに倒れたままの悠斗の姿が、次第にゆらゆらと揺らめいていく。和花名の目からは、止めようもなく涙が零れ落ちていった。

「大丈夫だから」

 そう言って藤が、和花名を自分の方に引き寄せて、その顔を自分の肩に押し付けた。


 

 悠斗は駆け付けた先生に保健室に運ばれて、そのまま眠っていた。保健室の駒田先生は脳震盪じゃないかしらと言っていて、悠斗の家に連絡は入れたみたいだけど、もう少しして意識が戻らないようなら救急車を呼ばなくてはならないかも知れないと言った。

 藤は和花名と一緒に保健室まで来てくれたが、悠斗がいっこうに目を覚まさないので、気が付いたら教えてと言い残して部活に戻って行った。大会が近いから、部活もそうそう抜けられないのだと、申し訳なさそうにしながら。


 大会が近いのに、自分の補習の方を優先してくれたのかと思うと、和花名は申し訳なさで一杯になる。それに、もし自分が一緒にノートを持って行っていれば、悠斗が階段を踏み外すこともなかったのかも知れないと思うと、申し訳なさは更に増していく。


――このまま目が覚めないなんてこと、ないよね。


「……悠斗」

 思い余ってその名前を呼ぶ。すると、握っていた手に、ピクリと反応があった。

「悠斗?」

 もう一度呼ぶと、悠斗の手が、今度ははっきりと和花名の手を握り返して来た。

「……か……な」

「悠斗っ!」

「……や、聞こえてるから……耳元でそんな大声出すなって感じ?」

 目は閉じたまま、悠斗の口が動いてそんな文句を零す。意識が戻ったという安堵感に和花名は張り詰めていたものが切れて、また涙が込み上げた。

「ゆっ……とぉ……」

 こらえたつもりだったのに、発した声は思い切り涙声になっていた。すると、そこでぱちりと悠斗の目が開いた。

「何?泣いてんのか?」

「だってぇ……このまま、目が覚めなかったらとか……死んじゃったらとかっ……考えっ……」

 そこでこらえきれなくなった涙が、盛大に目からダーッと流れ出した。


――ああもう、泣き顔みっともないから、見られたくないのにっ。


 忌々しくそう思うのに、涙は止まってくれない。

「大丈夫、死んでない、生きてるから……」

 言いながら、悠斗の手が子供をあやすみたいに和花名の頭を軽くポンポンとたたいた。

「つーか、勝手に殺してくれるな」

「そうだけどぉ……せんせー、目ぇ、覚ましましたーーーー」

 和花名がいたたまれなくなってそう声を張り上げると、悠斗は苦笑しながら手を引っ込める。

「犬神くん?頭痛は?吐き気とかは?」

 カーテンを開けながら、駒田先生が聞いて来る。

「特には……」

 悠斗が額に手を置きながらそう応える。

「他に痛い所とかない?」

「……あー、言われれば足痛いかも……」

 悠斗の申告に駒田先生が布団をめくり上げて足を確認する。

「ああ、捻挫してるわね、これ。取りあえず湿布貼ってあげるから、おうちの人が来たら、病院に連れてってもらいなさい」

「はい」

 悠斗が答えた所で、保健室のドアが開いて、そのおうちの人が姿を見せた。


「あー、和花名ここにいたのかー。補習に来ないからどうしたのかと思ったら」

「ええと?」

 駒田先生の訝しむ顔に応えて、悠希が言う。

「犬神悠斗の弟の悠希です。父は本日遠方に出かけているので、俺が兄を担いで帰ります」

「ああ、おうちの人……って、大丈夫?担ぐって。おうちの人が来られないなら、先生が車で送ってあげるけど?」

「大丈夫、です。俺、頼りになる弟なのでっ。任せて下さい」

「そう?」

「はいっ」

 どういう訳かゲンナリしている感じの悠斗を尻目に、そういうことで話は付いたようだ。

 悠斗が湿布を貼って貰っている間に、和花名と悠希は教室に荷物を取りに戻り、その日は図らずとも三人で下校ということになった。

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