第16話 悠斗の希(のぞみ)をかなえるモノ

 数日後――

 鳳神社の神殿で鈴七の父親も同席して、悠斗に憑いている犬神を、依り代となる別の器に移し替える儀式を行うことになった。


 床には術を発動させる為の陣の描かれた大きな和紙が広げられていた。その中心に文字の描かれた、やはり和紙で作られた人形ひとがたが置かれていて、更にその上に犬の首輪が乗っかっていた。

「この人形に、犬神を移し替えます」

 悠斗は鈴七の説明を聞きながら、人形に書かれた文字に目をやった。

「……悠希?」

 そこに書かれていた文字の意味を問うように読み上げる。

「ええ」


 その犬神が、そこまで大きく育ってしまったのは、悠斗自身もはっきりと自覚していない和花名への想いが、きっとシオンの想いと共鳴したから。鈴七はそう確信していた。だから――


「このあやかしを『悠希』と命名しますわ。和花名さんを守りたいという、あなたののぞみを叶えてくれる良き使い魔モノとなるように」

「悠希……」

「その名はまた、あなたが『かのモノ』を縛る鎖……つまり束縛の呪文にもなるものです。その名を呼ぶことで、あなたは悠希を従わせる事が出来る。それは、そういう代物です」



 神殿の灯りを落とした薄暗い中で、悠斗は指示された位置に立つ。すると、鈴七が唯一の光源であるロウソクを移動させて悠斗の影が人形にかかる位置に置いた。

「目を閉じて、リラックスしていて下さいね」

 頷いて目を閉じると、正面に座っていた鈴七の父が祝詞のりとの奏上を始めた。


 ふわりと体に感じる浮遊感。そんな中で、自分の中の犬が走り回っている様子が分かる。外に出られるのがよほど嬉しいらしい。奴の嬉々とした様子が、不愉快なまでに伝わってくる。ホント、いい気なものだ。


――外に出たからって、簡単に和花名に会えると思うなよ。


 そう釘を刺した瞬間に、両の肩に何かが乗った感覚があった。訝しむ間もなく、続けて肩を後ろ足で蹴られた様に感じた。


「和花名はっ?どこ?」


 その声に悠斗は思わず目を開けていた。

「お前……」


 陣の真ん中に、人形が置かれていた場所に、自分と同じような背格好の少年が立っていた。その首には、鈴七の用意した首輪がはまっている。


「和花名、和花名……和花名どこ?会いたいよ、和花名」


「うるさい、黙れ、駄犬」

「だっ、けん、って酷くない?」

「躾のなってない駄犬の分際で、和花名に会えると思うなよ。いいか、『悠希』、まずはお行儀を覚えてから、だからな。ともかく、話はそれからだ」


 そんな二人のやり取りを、鈴七が興味深そうに見ている。


「あの、悠斗さん?」

「ん?」

「少し言いにくいのですが……この悠希さんは、あなたの影を人形に写し取ったモノなのですけど、かなり自我が強いみたいで……」

「それってどういう……?」

「本来なら、姿形はそのまま……つまり、あなたのコピーであるはずなんですけど……その……お顔が全然似てないと言うか」

「似てないと何か不味いのか?」

「ええと、つまり、単なる写しではなくて、既により人間に近いモノとして存在してしまっていると言うことに」

「だから?」

「言うことを聞かせるのは、かなり大変そうですわねっーていうことなんですがっ……ご免なさいっ。わんちゃんの妖力が、ここまで強くなってしまっているとは思わなくて。内側に呪文を刻み込んだ首輪をしている限りは、一応好き勝手はできないと思いますけど」

「……」

 鈴七の説明に、悠斗がげんなりした顔をする。

「ほらっ、その、それだけ彼の、和花名さんへの想いが強かったということですから、そうそう和花名さんに危害を及ぼすようなことはしないと思いますわ。ね?悠希さん」

「そうだよ。俺は、和花名を守るためにここにいるんだから」


 犬が能天気に胸を張り得意げな顔をする。そんな態度はいちいち悠斗の癇に障る。


「それにさ、俺は和花名に謝らなくちゃならないことがあるからさ。だから、すぐにでも和花名に会いたいんだ」

「謝る?」

「うん。犬神の姿の時にさ、驚かせちゃったみたいだから。それに……」 

「まだ何かやらかしたのか、お前は」

「……いらなくなった前のちっちゃな体をね、崖の上から川にポイってしたら、それを和花名に見られちゃったみたいで、和花名はその体を助けようとして、崖から川に飛び込んじゃったんだよ。あの時はホントにびっくりしたよね」

「……それを、お前が助けた。それはそういう話か?」

 悠斗の声が怒気を帯びたことに、悠希は気づいていない。

「だから、あの時はびっくりさせてごめんねって、早く伝えたくて」

「お前、当分、和花名には会わせないから」

「えぇ?何でだよっ」

「お前は、シオンから犬神になった時に、和花名を襲ってんだろうが」

「あれはっ、和花名が探しに来てくれたのが嬉しくて、体かおっきくなってるの忘れて飛び付いちゃっただけだもん」

「そのうっかりで、お前は和花名に怖い思いをさせたんだろうが」

「それは……」

「お前と引き替えに、和花名はシオンという大切な存在を失ったんだ。その喪失感に、和花名がどれだけ心を痛めてると思うんだ。和花名が大事なら、和花名をこれ以上傷つけずに済む方法を考えろ。じゃなきゃ、俺はお前を和花名に会わせる訳にはいかないからな」

 悠斗の宣言に、悠希は見るからにしょんぼりとした。




 それから数か月、悠希はおりこうだった。

 和花名に会いたい一心で、悠斗の言いつけをきちんと守る模範犬だった。だから、和花名が学校に戻って来るという日に、ようやく会うことを許したのだ。


――まあ、その結果があのひと騒動になった訳だが。


 悠希という犬は、平素大人しくしていても、嬉しくなると感情のコントロールが効かなくなるのだという事を思い知らされた。


――だく、犬かよ


「……ああ、犬か……マジ面倒くさ」

 奴が和花名を守る番犬となるならば、良しとする。もしその道を外れるようなことになったら、再び、この身に封じてもらうなりなんなりして、全力で排除する。悠斗はそう決めていた。




「それで、共犯者って?」

「和花名さんの体調がいまだ不安定なのは、やはり川に落ちた時のショックが大きかったのだと思うんです。正確には、『あなた』がシオンを川に投げ捨てたという『事実』が」

「そこなぁ……犬神のことを明かせない以上、嘘を付かずにその事実が真実じゃなかったっていう説明をするのは無理だろう」

「嘘をつくのはお嫌ですか?」

「それは……」


 和花名に対して誠実でありたいと思うのは、自分のエゴでしかない。一つの嘘で和花名が救われるなら、嘘をつく後ろめたさを抱え込むぐらい何でもない筈だ。

 考えこんだ悠斗の前で、鈴七がクスリと笑みを漏らした。


「悠斗さんは嘘が下手そうですものね」

「はっ?」

「そうですね、下手な嘘は和花名さんを余計に傷つけることになりかねませんわね。この案は却下……であればいっそ、本当のことを話してしまいましょうか」


「本当のって、犬神の話をか?それは、和花名を今回のドラブルに関わらせるってことだろう?そんなことをしたら、和花名が初呪を使ってしまう可能性が高くなってしまうんじゃないのか」


「ですから、悠希さんが犬神ではなく、犬としていられる様に、あなたの力が必要なんですわ」

「どういう……」

「いっそ、悠希さんと和花名さんをくっつけてしまえ、という話です」

「は……」

 一瞬、二人が仲良く並んで歩く姿が頭に浮かび、悠斗の心は言いようのないもやっと感に苛まれる。そんな悠斗の様子を鈴七はあえて気付かないふりをして、話を続ける。

「シオンがいなくなって、和花名さんの心にぽっかり空いた穴を埋めるのに、悠希さんはうってつけだと思いませんか?」

「それは……」

「魂レベルの話をすれば、シオンと悠希さんはそもそも同じ存在なんですから」

 そう言われればそうだが、悠斗の、心の中のもやもやがすんなり肯定の答えを出すことを良しとしない。

「あれは、あやかしなんだろうが。いつ和花名に危害を加える存在になるとも知れない。そんなものを、和花名の側にって……」

「シオンだって、あやかしでしたでしょう?それでも、和花名さんの心癒す存在だった。違います?」

「そりゃそうだけどさ、」

「そんなに心配なら、あなたも悠希さんと一緒に和花名の側にくっついていたらいいじゃないの」

「……簡単に言ってくれる」

 そんなことが出来る程、今の自分と和花名の距離は近くない。それに、悠希に振り回されていたこの半年、そして悠希のしでかしたことの後始末のせいで、和花名との関係は、現状最悪だと言っていい。


――悠斗さんは嘘が下手そうですものね。

  下手な嘘は和花名さんを余計に傷つけることになりかねません……


 鈴七の言う通りだ、自分はすでに下手な嘘をついて和花名を傷つけた。


――よりによって、シオンを殺したなんて。


 もっと他に言いようがあっただろうに。眠っていると思っていた和花名にいきなりシャツを掴まれて、自分は動揺したのだ。だから、悠希がシオンの体を捨てた上手い言い訳が咄嗟に出て来なかった。


――泣かした……よな。


 あの時。和花名は多分泣いていた。自分が和花名を傷つけて泣かせたのだ。その事実に、愕然とする。自分が和花名を泣かせる日がくるなんて思いもしなかったのに。それが鈴七にバレたら、どんなにか怒られることだろう。


「ともかく、悠希さんの鎖を持っているのはあなたなんですから、今更、無関係という訳にいかないのは、理解して下さいね、犬神悠斗さん」

「……分かったよ」

 悠斗がかなりの逡巡の後に、力なくそう答えたのを、鈴七は頷いて笑みを見せた。本心を明かせば、悠斗のことなどどうでもいいのだ。和花名の笑顔が戻るのであれば。目の前の優柔不断で繊細な少年が、傷つこうがどうなろうが、鈴七の知ったことではなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る