第13話 女王様の胸の内

 コンコンとノックの音があって、おもむろに開かれたドアから、メイド服姿の可憐な美少女が顔を覗かせた。


「スミマセン、こちらに犬塚和花名さん、いらしてますか?」


 凉城は職員会議で、春日と凛子は茶器類の後片付けに家庭科室へ行っていたから、その可愛い女の子の応対をしたのは芹一人だった。


「和花名ちゃんなら、もう帰ったけど?」

「えーそうなんですか~あ、僕、服飾研究部の者なんですけど、部長に言われて和花名さんのお迎えに来たんです。そろそろ補習終わる頃かなって。終わったら部の方に顔出すって聞いてたから、迎えに来てみたんですけど」

「ああ……何か、今日は久しぶりで疲れたみたいだったから、先生にこのまま帰りなさいって言われてさ。それで帰ったっぽいよ?」

「そうでしたか~久しぶりに会えるかな~って思って、僕、楽しみにしてたんだけどな~」

「それは残念だったね」

 ニッコリ笑ってそう言ってやると、相手も同じ様にニッコリ笑みを返してきながら、

「失礼しました~」

 と、何事もない様な顔をして、パタンとドアを閉めた。パタパタと廊下を走り去っていく足音が小さくなったのを確認してから、芹は緊張を解いてふうと大きなため息をついた。


「……おっかねーーーー」


 久しぶりに自分の能力が発動した。芹の能力――それは、あるじである春日に悪意を持つ者を感知するセンサーのようなものだ。もしその悪意が春日に直接向けられることがあれば、それを漏れなく弾く。春日はそれを、『鉄壁の盾』と呼ばわっている。


 さっきのメイド服は、そのセンサーに思い切り引っ掛かった。服飾研究部の部長と言えば、春日を鬱陶しく思っている筆頭の、尾花沢家の長女、尾花沢撫子おばなざわなでしこその人である。彼女の使いだという人間が、悪意を持ってやって来た。それってつまり……


「敵情視察ってことなのかなぁ……くわばらくわばら」


 つまり、やっぱり今回の件は尾花沢絡みということなのか。凉城のサーチをかわす何か特別な方法でも編み出したんだろうか。だとしたら、思い切り厄介なんじゃないだろうか。そもそも和花名が服飾研究部に在籍しているのも、たまたまなんだろうかとすら思わされる。芹は思わず小さく身震いした。





 メイド服の美少女は、3階の渡り廊下の窓辺に佇む尾花沢撫子の姿を見つけて真っすぐにその傍らに走って行った。

「お帰りなさい、直海なおみ

 慣れた仕草で自分の傍らに跪いた2歳年下の少年――葛生くずう直海に、撫子は微笑みかける。美しいものは好きだ。可愛いのなら尚更――

「やっぱり、リボンは赤色の方が良かったかしら……」

 自分を見下ろしながらそう呟く撫子を、直海は嬉しそうに見上げている。

「ああ、でもこの服、直海に本当によく似合っていてよ?素敵だわ」

「撫子にそう言って貰えて嬉しいよ。リボンの色はもう少し考えてみる」

「そう?」

「うん。それで、和花名さんだけど、もう帰った後だった」

「そうみたいね……ついさっき、犬を連れて帰っていく姿がここから見えたわ」

「犬を?」

「春日くんが、色々試行錯誤してるみたいなのよね」

「試行錯誤というよりあれは、悪あがきというのでは?……すでに発動してしまった術は、もう止めようがないんでしょう?」

「まあそうなんだけど。あそこの防御は特別に強固だから……」

 撫子がフッと笑って視線を廊下の反対側に向けた。

「……結果が出るまでは、どちらに転ぶか分からないのよね」


 撫子の視線の先に直海は、能天気な顔をしてこちらに歩いて来る小鳥春日おどりはるひの姿を認めて顔を顰め、撫子に一礼してそこから立ち去った。




「ごきげんよう、春日くん」

 撫子にそう声を掛けられて、春日はキョトンとした顔になる。

「あんたの顔なんか二度と見たくない。って、前に言われた気がするんだけど」

「二度と見たくないは、今でも継続中よ?それでも、偶然、たまたま、こうして行きあってしまうこともあるわ」

「……偶然……たまたま、ねぇ……あのさ、お前、何かした?」

「何の話かしら?」

「偶然、たまたま、この辺りに犬を放したりとか、さ」

「偶然、たまたまで、そんな面倒くさいことすると思うの?」

「んーとさ、お前が僕を嫌いだろうが憎もうが構わないよ。けどな、お前と僕のいざこざに、関係のない奴を巻きこむなって話なんだけど」

「あら。もし私が、人様を憎んだり、呪ったり、なーんていう真っ黒な感情をどうにかするとしたら、そこは気合を入れて、用意周到にキッチリやるわよ?そしたらあなた、今頃ここにはいないと思うけど……ふふふ」


――う~ん。これはどっちかなぁ~

 

 本音をはぐらかす撫子の会話のその真意を読み取るのは、結構至難の業だ。犬の存在は知っている感じだ。だが、それを彼女自身がやったのかどうかという辺りは、どうにも藪の中だ。本人が言う様に、彼女が本気になれば、自分なんかもう一瞬でどうにかされていると思う。


 小鳥家と尾花沢家。

 この両家は、古の時代から激しく争ってきたライバル関係にあった。だが時代も変わり、状況も変わっていく中で、共にこの地に根を下ろした両家は、ある時、和解の時を迎える。そしてその和解の証として、互いの嫡子が異性同士だった時は、その能力維持の為に、両家の血統を合わせるという決まり事を作った。それすらも、もう百年単位昔の話である。そして現在――


 その決まり事に則り、春日と撫子は生まれた時からの許婚だった。ちなみに、二人が険悪な関係になった現在においても、許嫁の解消はされていない。家長である父からは、二十歳になるまで待て。と言われている。なので、彼女との縁はあと三年は切れずに続く。


「……ま、どのみち、尾花沢ごときが、小鳥と肩を並べられるなんて悪い夢は見ない方がいいと思うぞ」

「……私は、あなたのそういう、天然なくせに不遜なもの言いをするところが大っ嫌いなのよ。結構だわ。そんなに偉い小鳥さまなら、どんな事態が起ころうと、迅速な解決をして下さるって事よね。楽しみだわ。せいぜい高みの見物、させて貰うわよ」

「……お前もさぁ、大概性格きっついよな。凛子さんと良い勝負だ」

 凛子の名前を出した途端、撫子の顔が曇った。

「……何で……」

「え?」

「何で、あたしはダメで、凛子さんならいいの?」

 凛子という少女は、自分と同じタイプの女なのだ。これが正反対に優しくて穏やかな性格なんだと言われれば、まだ納得が出来る。それなのに……


――性格の悪さなら負けてないのに。顔だって。


「えぇー何でとかってなぁ……それが分かれば、人生悩みねぇよな。結局あれも、今や人のもんだし」

「え?何それどういうこと?」

「凛子のことはさ、僕、完璧に片想いだからさ」

「……ばっかみたい。このあたしを振っておいて、振られたですって?」

「うん、そう。ホント馬鹿みたいなんだけどさ、それでもまだ、好きなんだよなー僕。トコトン報われないっていうか、ホント馬鹿」

「ホント馬鹿ね」

「うん馬鹿なの、僕」

「……馬鹿じゃ、馬や鹿に失礼だわ、あんたは阿呆よ」

「阿呆ついでに聞くけど、この辺で犬神が封印できる術者、紹介してくんない?」

「はっ?知ってたって、あんたに教えると思うの?」

「だよなーハハハハハー」

 妙な笑い方をしながら春日は廊下を去っていく。その姿を少しだけ見送って、撫子はすぐに長い髪を優雅に揺らしながら踵を返し、廊下を逆の方へ向かう。

「……ホント馬鹿」

 そんな馬鹿を諦められない自分も、大概馬鹿なのかも知れない。




「……具合、大丈夫?」

 そう訊かれて俯いていた顔を上げると、数歩先を歩いていた悠希が足を止めてこちらを見ていた。

「……え?……ああ、うん……大、丈夫……だけど?」

「何だか、息苦しそうだよ?」

「え?そう……かな」

 言われれば、確かに少し息苦しい気がする。 

「ホンっト、和花名の大丈夫は当てにならないよな」

「そんなことないよ……具合悪いって言ったって、体力が落ちてるせいで疲れやすいだけだからさ……」

「あのさ、そういうのを、客観的に具合が悪いって言うんだよ?」


――お……おぉ。そうなのか。


「ん」

 悠希がその場にしゃがみ込んで、肩越しにこちらを見上げる

「ん?」  

 和花名が首を傾げると、

「おんぶ」

 というシンプルな単語を返された。

「いや、流石にそれは……」


――恥ずかしいというか。なんというかで……


「いっいいよ。全然歩けるしっ」

「んっ」

「や、無理だから」

「んーーっ」


――ああ、日本語が通じないーーー拒否り方が分かんなーーいっ。 


 悠希はこちらに背中を向けたまま、動こうとしない。

「はーやーくー」


――困……った。


 悠希の背中を見詰めたまま、和花名はその場にフリーズしてしまった。頼んでもいないのに、心臓は無駄に心拍数を上げていく。


――こっちの方が、体に悪そうだよ?もう。


 困惑の中、悠希を傷つけないような上手い言い方を思案していると、そこへ救いの神が現れた。

「おぉーーい、和花名ちゃーーんっ!やっほーっ」

 後方から割り込んで来たのは、藤の元気な声で。藤が第一声を発した場所はだいぶ遠かったはずなのに、流石に陸上部だ。みるみるうちにすぐ側まで走って来る。その様子を見て、悠希はつまらなそうな顔をして立ち上がった。


――助かった……


 そんなホッとした思いのせいで、藤に応じた声が否応なしに少し弾んだものになる。

「ランニング、お疲れ様」

「今帰り?」

「うん。藤くんはまだ部活中?」

「そ、学校まわり、あと三周したら上がるよ。待っててくれたら一緒に帰れるのになーっ」

「えーだって、三周でしょ?そんなに待つのやーだ」

「俺、そんなに足遅くねぇからっ。陸上部ナメんなー」

「えーえへへ……」

 足踏みしながら和花名と話す藤の横を、同じ陸上部の部員が次々に通り過ぎて行く。何となく、悠斗もやって来そうな気がして、和花名は藤の肩越しに、チラチラと目線を泳がせる。

「……もしかして、悠斗、探してる?」

「え、別にそんなこと……ないよ」

「悠斗の奴はぁ、今日はもう帰ったから、見てても来ないよ。何か用事あるとか何とか言ってたから。なあ?犬神弟?」

「俺は、悠斗の予定なんか把握してないし……」

 どこか不貞腐れたように、悠希が言う。


「袴田、サボってんじゃねーぞ」

「ふぁーい。じゃ、和花名ちゃん、またね」

 先輩に注意された藤は、にこやかに手を振りながら走っていく。が、

「今度デートしよーーねーー」

 という言い逃げのセリフを、藤は抜け目なく置き去りにしていく。お陰で、その後ろを走る何人かが、冷やかしにヒュウヒュウと口笛を鳴らしていった。恥ずかしさで頬が火照る。

「もーあいつはー。断る暇ぐらい与えていきなさいよって言うのよ」

「……何か、嬉しそうだな」

 見れば悠希がふくれっ面でこちらを見ている。

「うれっ……嬉しい訳ないでしょうが。からかわれてるだけだもん……さぁ帰ろ帰ろ。もたもたしてたら、本当にデートする羽目になっちゃうわ」

 そう言って歩き出した和花名のカバンを、悠希がぐいと引っ張った。

「ん?」

「持つから」

「あ、うん。ありがと……」

 そのぐらいなら、お世話になろうかなと思う。素直に荷物一式を渡すと、悠希の機嫌が少し直った。


――そっか。頼られると嬉しいのか。


 ふと、そんなことに気付く。今日会ったばかりで、いきなり変な告白されたり、お姫様抱っこされてしまったり、色々あったけど、まだ隣に並んで歩く程には、二人の距離は近くない。だからだろうか。悠希は和花名の隣ではなく、あえて数歩前を少し離れて歩いている。油断していると、不意にぐっと距離を縮められたりして、びっくりさせられることもあるけど――


――気を、遣ってくれてるんだよね、きっと。


 そんな悠希の優しさに、不安でぎゅうぎゅうだった和花名の心は、気が付けば少し楽になっていた。

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