第12話 犬ならばせめて犬らしく

―― 俺は和花名の犬になって、和花名を守りたいんだ。


 かつて、自分の目の前で、勢い込んで開口一番にそう言ったこいつ……。

 ああ、こいつには真っ直ぐに進むことに躊躇がないのだなと。

 ただ、羨ましく思った。

 存在の許されないアヤカシモノであるというのに。

 羨ましいなと、そんなことを思った。


――もしかしたら、自分を害するために送り込まれたモノであるのかも知れないのに。


 春日がふと笑ったのを、芹が不思議そうな顔で見た。


――このわんこはどうにも憎めない……憎めないけど……僕は、傷つく訳にはいかないからな……


「安心しろ、お前の分はちゃんと取ってある」

 春日の言葉を合図に、凛子が凉城の代わりに悠希のカップにお茶を淹れる。

 そして、本当についでという感じで、空になっていた春日のカップにも琥珀色の液体を注ぎいれた。

「サンキュ」

「ど~いたしまして」

 返されたのは、色も艶もないあっさりとした言葉だったが、二杯目がことさらに美味しく感じたという事実はどうしようもなく、彼の多幸感を煽る。


―― だからせめて、自分の身は自分で守る。


 そんな決意を胸に、スコーンに手を伸ばし掛けていた悠希の首の輪っかを、春日がぐいっと引く。

「……ルールはちゃんと守ってこそ、その行為に意義が生まれるものだからね」

 言いながら悠希の首から首輪を外して、二の腕に巻きなおす。

「え~」

 悠希は心底ガッカリしたような顔で不満の声を漏らす。


「なんでもあり、なんてお手軽なのは、めっ」

「だってさぁ……犬じゃダメだって言うんだもん……」

「う~ん、そこは盲点だったよなぁ……」

 春日が苦笑する。

「……犬が嫌いだったとはねぇ」

「嫌いじゃないよ。和花名は犬がものすごく好きだったもん」

「ん~まあ、思春期の女の子の趣味嗜好なんて、移ろいやすいものだからねぇ」

「そんなのあんまりだ……」

 頭の上に、しょげて垂れ下がった耳が見えるように、悠希はしゅんとなる。


 それを見た凛子が勢いよく立ち上がり、その鼻先に人差し指を突き付けた。

「聞きなさい、わんこ。女なんてねぇ、好きになったら、犬だろうが化け物だろうが関係ないものよ」

「それはまた、極論過ぎな気も……」

「お黙り」

 春日の反論は、当然のように瞬殺だ。


「春ちゃん、春ちゃん……」

 そこに、ひそひそと芹が耳打ちをする。

「そ~いえば、凛子さん、最近『美女と野獣』のDVDで泣いたって言ってたよ」

 そう聞いて、春日は苦笑する。


――凛子さんって、感化されやすい人だったよなぁ……

 

 納得して互いに頷きあう二人の横で、凛子の演説は続く。

「うじうじ言ってないで、オトコを見せなさいっていうのよ。犬なんて名札下げなくったって、やるべきことをやればいいだけの話でしょう。好きなら好きで、守るなら守る。それ以外になにがあるっての?見返りなんて求めないっ。ストイックに突き進む!それこそが、正真正銘の王子様っていうものよ」

「……凛子さんっ」

 悠希が感動も露わに立ち上がる。


――お~わんこも感化されおったかぁ……ホント単純でいいな……


「俺、大事なコトを見失ってましたっ!俺がここにいるのは和花名を守るためだって」


――って……そうか。


『俺は和花名の犬になって、和花名を守りたいんだ。』


 最初から、答えは目の前にぶら下がっていたのた。自分たちは、難しく考えすぎていたのかも知れない。それが、こいつの存在理由だというのなら、その思いを全うさせてやればいいだけの話なんじゃないだろうか。


「そうだぞ、わんこ。一度断られたぐらいで引きさがってどうする。犬塚和花名が大事なら、押して押して押しまくれ」

「それもどうかと思うけどなぁ~それって下手したらストーカー……んぐぐ」

 ここで反論は認めないと言わんばかりに、春日は芹の口をふさぐ。


(んが~っ。なんだよ、春ちゃんてば~)

(黙ってろってば)


「そうよ、あんたの思いが、嘘偽りや下心のない真っ当で本当の代物なら、きっと彼女にもそれが伝わる筈だわ」


――ちょっ、凛子さんまでわんこを煽るってさぁ……


 ひとり芹だけが、事情を呑み込めずに憮然としている横で、悠希が元気よく返事をする。

「はいっ!」


――しょげかえって、垂れていた耳はピンと上を向き、しっぽは勢いよく左右に振れる、ってか?


「春ちゃん……いいのこれ?」

 どこか納得がいかないという風に芹がひそひそ声で訊くと、春日が親指を立ててOKサインをしてみせる。

「わんこは存在する理由があってここにいる。それだけだ」

「それだけ……ねえ」

「それがあの子を守ることなんだって言うんなら、その望みを叶えさせてやれば、間違いない。成仏するはずだ」

「成仏って、あれ、幽霊とは違うでしょ?」

「そう、ただの犬神とも、式神とも微妙に違う。何なのかは分からないけど、その願望が満たされれば本来あるべき場所に戻る……んじゃないのかな~と。ま、どこに戻って行くモノなのかも分かんないんだけどな~」

「……それって、成り行き任せってこと?」


 どんな大層な理由があるのかと思えば、あまりに適当なその主張に芹は思わず顔を顰めるが、春日はしれっとした顔であっさりと言う。


「だって僕たち、術者って訳じゃないし。封じるだの祓うだの出来る訳でもないんだからさぁ。そこは仕方ないっていうか……」

「そりゃ~そうだけど……」

「それに、わんこみたいなタイプは、惚れたオンナの言うことならきっと聞く」

「それは、やっぱり犬塚さんに何とかしてもらおうってコト?」

「まあ、そういうことだね」

 最終的に、思い切り他力本願なのが笑えた。


 まあ、自分たちの力は、この春日に火の粉が降りかかって初めて、それを払うコトができるという防御特化型なものだから、そこは仕方がないのかと芹も思う。凉城はああ言ったが、例え、犬塚和花名に特別な力がなくても、リードを持つぐらいのことは出来るんじゃなかろうか。


――ていうか、ここまでわんこに懐かれてるっていうんだって、立派な才能の様な気がする。


 それで、状況が好転しなければ、凉城は予知回避のために、神社の神主さんに屋敷に結界でも張ってもらって、春日を軟禁するぐらいのことはするだろう。


――春ちゃんは、死ぬほど嫌がるだろうけど。


 それにしても、普段はさんざん鬱陶しがっているくせに、こういう時になると、こうも呼吸が合う二人に、可笑しさが込み上げる。結局、春日と凛子は似たもの同士なのだ。そんなことを言えば、確実に殴られるから、そこは言わないでおくけれど。


 芹の目の前では、残り少なくなってきたスコーンを巡って、春日と悠希が本気で争奪戦を始めた。

 それを凛子が行儀が悪いと叱りつけ、更に年少の悠希に肩入れをするものだから、春日は例のごとくいじけモードになる。そしてまた、凛子に鬱陶しがられるというお決まりのコースに、芹も失笑せざるを得ない。

 そして、和やかに過ぎゆく午後のティータイム――



 補習を終えて小部屋から出て来た和花名は、先輩たちと和気あいあいとお茶している悠希に気付いて、嬉しいと困ったが混じったような複雑な表情を見せた。


「和花名ちゃん、王子様がお迎えに来てるよ~」

 春日が能天気な声でそう言うと、和花名は小さく溜息をつく。

「私、犬は拾ってませんけど」

「うん、だから、犬じゃなくて普通の王子様」

「王子様って時点で普通じゃない気がしますけど、王子様も拾ってないハズですが……」

 春日と和花名の微妙な会話に凛子が割り込む。

「話をややこしくすんじゃないわよ、馬鹿春日かすが。清く正しく、ここはまずはお友達からで、とりあえず一緒に帰ろうってことよ。そうよね?わんこ」


 結局、犬なんかい、とそこにいた全員が心の中で突っこんた空気に、凉城が笑いをこらえながらフォローする。


「和花名さんは、久しぶりの学校の上、補習までも受けられて、お疲れになったでしょう?それで下校中に倒れられたりしては大変ですので、体力のある男子生徒と一緒に帰って頂くというのは妙案だと思いますよ。さしずめ、ボディーガードと言ったところでしょうか」


 そう言われて、和花名がチラリと悠希を見る。確かに疲れてはいる。途中で倒れないとも言い切れないあたり、先生の提案を退ける理由が思いつかない。自分の体はまだ、自分の思うように動いてくれていないから――


「……分かりました」

 瞬間、小さくガッツポーズをした悠希に、和花名が僅かに口元を緩めた。


――これ、案外、脈ありなのでは?


 部屋を出ていく中学生二人を見送りながら、彼らは一様にそんなことを考えていた。



 本来、そこに存在する筈のない人外のモノ――アヤカシモノ。

 彼らはまだ、その存在の意味を正しく理解していなかった。どちらかと言えばそれは、ヒトの負の感情が引き寄せるモノなのだということを ――


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