第11話 残念な僕たちと犬のあやかし

―― 犬神悠希は、『犬神』である。

 つまり、人ならざるモノ――あやかしだ。


 その存在の不可解さに初めに気付いたのは、あやかしモノを、その妖力を含め完全に見切ることが出来る能力を持つ凉城だった。ちなみに、凉城はこの辺りのコトを民俗学的に研究していて、この地の術者の系譜とか伝承の類にも詳しい。


 本来は人に憑依することでしか、この世界に存在することの出来ない犬神が、人の姿を成して歩き回っている。


 それが、他のどこでもなく、この街に――小鳥春日の前に現れた。

 そこに凉城が引っ掛かった。


 凛子の予知のこともあって、その動向を見張るために凉城は、中等部に教師として潜り込んだ。誰が何のために犬神を使っているのか、それを探り、春日に害が及ばないようにする。それが彼の目的だった。


 だが、犬神悠希は、ただ悠希として、まるで実在の人間のようにそこに存在し、凉城の話では、その背後に邪な思いを抱く術者の気配など、微塵も感じられないという。取り敢えず実害はないようだから、しばらく様子見だろうか。そう話していた矢先だった。


 目の前の春日が傷だらけで呑気に紅茶を飲んでいる姿に、凛子は戦慄し憤りを覚えた。この主はどうしてこう厄介事を引き寄せるのか。多感な少女に、血だらけの姿を晒すなんて、無神経もいい所だと思う。その無神経さ故に、こいつは怒られて当然なのだ。

 和花名の復帰と共に、事態は間違いなく厄介な方へ傾き始めている。


――彼が、あたし以外の誰かと二人きりでティータイムなんて……由々しき問題なのよっ。


 問題なのは、災厄を予知し、あやかしを見切る力があっても、最終的にそれを封じるか滅するかする力がなければ、相手が殴り疲れて諦めてくれるまでひたすら待つしか出来ないのだという事。ちなみに、凛子はまだお目に掛かった事はないけど、芹の能力は『盾』のようなものだと聞いている。


「こういう時に、封印術使える人がいれば便利なんだよなぁ……」

 芹も似たようなことを考えていたのだろう。そう言って、春日に何かをねだるような視線を向けた。

「ホントよね。このチームには色々足りない部分があるわ」

 そう言いいながら、凛子は春日に不機嫌そうな視線を向けた。


 二人から視線を向けられた主は、能天気な顔をしてスコーンをくわえていた。その間抜けな顔に芹は思わず吹き出す。


――あんだけやいのやいの言われても、ぜんっぜん堪えてないんだよな~春ちゃんて。


 心が広いのか、単に鈍感なだけなのかは分からないけれど。要は育ちがいいということなんだろうと思う。芹がこの友人から負の感情を感じた事は一度もない。わざわざそうとは言わないが、そういう部分は密かに尊敬している。


「話、聞いてた?春ちゃん」

「……んぁ?(もぐ)……んまぁ……(もぐもぐ)聞いてたけどさぁ……」

「訳が分からないものは、有無を言わせず封印してしまえば、厄介事だけは回避できる、よね?とりあえず」

「うん(もぐ)……まあ(もぐ)……そうだねぇ……」

「じゃ、なんとかして?」

 凛子が傍目にも一目瞭然の完全に作りこまれた愛想のよい顔をして、少し甘い声を出す。が……

「それは無理」

 凛子のお願いごとなら、二つ返事でOKのはずの春日が首を横に振った。

「僕はもうこれ以上、しもべの契約はしない。そう決めてるから」


 彼らと契約を交わした時、自分はまだ幼すぎて、その意味を知らなかった。

 だが、その意味を知って、契約の重みはそのまま心の重みになった。


 何かあれば、望むと望まざるとに関わらず、しもべたちは自分を守る盾となり、自分の代わりに傷つく……そんな契約に、金輪際、自分の大切な人たちを巻き込まない。そう、決めているから ――


「ケチ」

 不満げな声を出した凛子に、春日はにこりと笑って「うん」と応じる。

 そんな彼の天然さ加減に、彼女は気を削がれたように長椅子に寄り掛かった。

「あの犬神が召喚されたあやかしモノならさぁ……(もぐもぐ)本来は術者の支配下にある……(もぐ)……存在なんだよね」

「……喋るか食べるかしなさいよ、お行儀の悪い……で?」

 凛子に怒られて、春日は慌てて紅茶をすすり、口の中のものを流し込む。


「うん。だから、術者ありきの存在であるハズで。普通は術者の方を押さえれば、あやかしも何とかなるハズなんだけど……凉城が言うには、今度のは術者の特定ができない……っていうか、アレを使役している術者自体がいないと」


 これまで、売られてきた喧嘩は、その術者を特定することで、最終的には小鳥家の財力権力に物を言わせてケリをつけて来た。それが防御の力しか持たない春日流のやり方だった。今回の件に尾花沢が絡んでいるのなら、術者の特定はもっと簡単だ。レベルの高い術者になればなるほど、凉城の目に留まる。奴の力はそういう力なのだから。


「でも、本来いるはずのないモノがいるってコトは、やっぱり誰かが呼び出した訳よね?動機はともかく、尾花沢さん以外で可能性があるって言ったら……犬神悠斗くんとか?犬神家って、犬神下ろしに関わってきた家系なんでしょう?」

「いや~彼だって術者じゃないし、そもそも犬神家っていうのは、神様をその身に宿す依代の役を負っていた巫覡かんなぎの家系だからなぁ……」

 そこで春日が何かを言い淀むように言葉を切ったのを、芹が後を引き取った。

「で、その犬神の力を宿した彼らを使役して、主に呪詛を行ってきたのが、『犬遣いぬづかい』と呼ばれていた一族。今ではその名は忌み名として封じられてて、『犬塚』って言ってるみたいだけど」

「……呪詛じゅそって穏やかじゃないわね。そっか……だから和花名さんが第一候補だったのね……」


 なら、最初からそう言ってくれればいいのに、と思う。凉城が、何かにつけて犬塚和花名を気に掛けていた理由が、ようやく腑に落ちた。凛子はそのことに納得しながらも、少し腹立たしい。


 それは、凛子をなるべく厄介なことから遠ざけておきたいという凉城の気遣いなのだろう。春日の災厄を予知することで、見たくないものを見てしまう凛子の心情を彼は分かってくれている。


――どっかの無神経男と違ってね。


 そんな風に守られるのは決して嫌なことではない。ただ、話しておいてくれれば、自分はくだらないヤキモチなど焼かずに済んだのだ。そして、やはり自分は子供扱いされているのだと思う。十という年の差は時々、大人である凉城を、凛子にもの凄く遠くに感じさせる。


「でも、犬塚さんだって、術者って訳じゃないんでしょう?それに何も事情を知らないみたいだって……」

「まあそうなんだけど。でも、何故かわんこは彼女に懐いてるからな」

「それって、彼女、潜在的に犬遣いとしての能力を持っているのかも知れないってコト?」

「その辺は、凉城の判定待ち」

「……にしても、使役している者がいないなら、そもそもアレを式神とは言わないんじゃないの?」

「そうなんだよなぁ……」


――では、アレは何なのだ。


 犬神とは、本来、誰かを呪う為に召喚されるあやかしだ。


――考えうる最悪の事態は、その呪詛があなたに向けられるということですが。


 そんな凉城の懸念が、凛子の予知によって、ぐっと現実に近づいて来ている。


――痛いのは……まあ、もちろん、嫌は嫌なんだけど……


 もしも、自分がそんな状況に陥ったりしたら、しもべたちにも少なからずダメージを負わせることになる。主として、それだけは何としても回避したいのだ。例え、死ぬほどの傷を負ったって、自分の大切な人が苦しむ姿など、誰が見たいものか。


――どうして、逆なんだろうなぁ……


 春日は首輪に指を引っ掛けて、その感触を確かめるようにぎゅっと握る。

 自分を守られる側の方に振り分けた宿命にやり切れない思いを抱く。大切な人を守るためにさえ、自分は無茶をすることが許されない。無茶をすれば、それはそのまま大切な人を危険に晒す。


――ったく……面倒くさい宿命背負わせやがる……


 春日は心の中で、先祖の残した因縁に恨みごとを吐いてから、脱線しかかった思考を切り替えるために、残っていた紅茶を一気に煽った。凛子も芹もそれぞれに、思案顔で紅茶を飲んでおり、そこに束の間の静寂が下りる。


 そこへ――

「あ~何かおいしいものの匂いがするっ~」

 その静けさを破って、話題の主が乱入してきた。

 

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