第10話 絶対主(ぜったいあるじ)と、そのしもべたち

――春日が犬に噛みつかれる。

 事の発端は数か月前、凛子が最初に告げたそんな災厄の予知だった。


 犬に噛みつかれるというのも、又、あやかし絡みの話だと思えば、恐らく犬のあやかし――『犬神』にでも襲われるんじゃないの?というのが、彼らの予想だった訳だが、凛子のさっきの予知で、それがより深刻度を増して、より現実に近づいたということになる。全身噛み跡だらけ……というのは穏やかではない。


「うぅ~犬に咬まれるのは痛そうだし、嫌だなぁ……」

 春日がさも憂鬱そうに頭を抱える。

「あんた『犬ごっこ』なんかしてるから、同類だと思われて『犬』を引き寄せちゃったんじゃないの?バチが当たったのよ」

 間違いなくスコーンを割る方に意識の行っている凛子が、涼しい顔でまた物騒なことを言う。

「いや~でも、凛子ちゃん……」

 そこで、春日の親友でもある芹が、フォローするように口をはさむ。

「そもそも、その『犬』を引き寄せる為の『犬ごっこ』だった訳だから」

「あやかしをどうこうする力もない癖に、『犬』を呼び寄せたりして、馬鹿なのって話よ。噛みつかれて当然じゃないの」


「……あ~まあ、そこは否定できないかも」

 凛子の切り返しに芹が苦笑すると、春日がうるうるした瞳を向けて訴える。

「芹くんひどぅい。世界中が敵に回っても、俺だけはおまえの味方だって、言ったじゃないのぉ」

「……言ってません」

「あんたのそういうウザい性格が、敵を作るんだって自覚が、ほんとにないのかしらね、このすっとこどっこいには。あんたはね、その辺りを、すべからく反省すべきなのよ」

 主であるはずの春日に、きつい視線を向けてそう言い放つと、凛子はジャムを乗せたスコーンの端を上品にかじる。


 憎からず思っている凛子に急所を突かれ、だいぶ傷ついたらしく、春日は鯉のように口をぱくぱくとさせている。だが、凛子はそんな様子を気にもかけず、

「やだこれ、おいし~」

 などと言いながら、凉城に満面の笑みを向ける。そして、そんな表情を見せられた凉城の方も満更でもない顔をしている。


――こんだけあからさまに格差を付けられてるってのに、ハルちゃんてめげないよなぁ……


 親友の、希望の欠片もない片想いの遍歴を知る芹は黙って紅茶を飲む。


――こいつ間違いなくドMだよな~ま、そんなダメダメなトコがかわいいとか思っちゃう俺も、だいがいなんだけど。


「正確に言えばさ、『犬』そのものじゃなくて、その『犬』のご主人様が誰なのか突き止めようって話だったんだよね。俺らに『犬』そのものはどうこう出来なくても、その『犬』をどうこう出来る人間が、必ずどこかにいるはずだからってさ。とりま『犬』のご主人さまを何とか特定して、わんこが春ちゃんに噛みつかないようにしてもらうのが最善なんだーって話で」


「ふうん。で?その誰かさんは見つかったの?」

 凛子の問いに、芹が頭を振った。

「当てが外れたよなぁ。俺らは、犬塚さんがそうなんじゃないかって思ってた訳だけど」

「犬嫌いって言ってたわよね、彼女」

「まあ、本音がその言葉通りとも限りませんから、その辺は少し探りを入れてみますよ」

 その為に、補習なんてもっともらしい理由を付けて、凉城は彼女をここ――邪魔の入らないこちらの結界テリトリーの中に誘い込んだのだから。

「それにもし、彼女が本当に何も事情を知らないなら、できれば巻き込まずに済ませてあげたいですしね」

 凉城が奥の小部屋の方に目をやりながら言う。基本フェミニストな凉城であるから、彼的には当然の発言であるのだが、その発言に凛子の眉毛が間違いなく上がったのを正面に座っていた芹だけが気付く。


――凛子ちゃんの前で他の子に優しくするなんてなー凉城さんて、けっこう迂闊じゃーん。


 そして芹の予想通り、凛子の機嫌は下り坂を滑り落ちる。こういう場合、八つ当たりをされるのは、間違いなく春日だ。

「要は、あんたが、どっかの誰かに土下座してくればすむ話なんじゃないの?」


 そもそも、春日という人間は、陰陽師だったというご先祖さまがやらかした諸々のトラブルのせいで、あやかしから命を狙われている。更には、この地の名士であるという家柄や、会社経営をしている親のせいで、あちこちで軋轢を生じる案件があるらしく、日々、身の危険と隣り合わせの日常を送っている。


 術師でもないのに、芹たちのようなしもべを従えることが出来るのも、ひとえに小鳥家の血の恩恵の成せるわざなのだった。


「いやぁ、それは、ハルちゃん、心当たりが多すぎて無理だよな~」

 と、芹はつい、本当の事を言ってしまう。

「……なぁ、芹。僕、傷ついてもいい?殻に閉じ籠ってもいい?」

「うわ……ははは」


――うん。俺、地雷踏んだっぽいわ。


 芹が苦笑する横で、凛子の追撃は止まない。彼女はいつでも容赦なく真っ直ぐだ。


「だから、それがウザいって言ってるのよ、馬鹿春日かすが。あのねぇ、いくらこの町にそっち系の人間が多いって言ったって、『犬神下ろし』が出来る程の術者って言ったら、人数絞られるんじゃないのって言ってんの」


「えっ……でもぉ……ひい……ふう……みぃ……」

 春日が指を折りながら、勘定を始める。


「絞られると言っても、その条件で候補に上がる者といえば、確証もなく迂闊にどうこう出来る相手ではないんですよ、凛子さん」

 凉城に補足するように言われて、凛子は不機嫌そうに口を尖らせて押し黙った。


 小鳥家はこの地域の有力者であり、凛子の言う「春日のウザい性格」というのを抜きにしても、敵は多い。


 そもそもこの辺りの土地は、アヤカシが多く集まる妖脈ようみゃくと呼ばれる邪な気の集まる場所であり、古の時代に、アヤカシの退治や調伏のために、陰陽師をはじめとする多くの術者が集まってきたと言われる場所である。


 やがてそんな術者たちが集まってできた隠れ里が、この町の始まりになったのだと言われている。そして、彼らの中で圧倒的な力を誇り、筆頭として認められていたのが、陰陽師だったと言われる小鳥家のご先祖様だった。


 だが、時代が下るうちに、小鳥家は陰陽師としての力を失っていく。

 しかし、その異能の力の代わりに得たあるもの――まあ、ぶっちゃけ金の力であるのだが――それによって、小鳥家は今でも、この地の筆頭の座に君臨し続けている。


 つまり、未だ術者としての矜持を持ち続けている他の家の者からすれば、アヤカシをどうこうする力もないのに、自分たちの上に存在しつづける小鳥家というものは、間違いなく鬱陶しい存在であるのだ。


 だから、隙あらば、小鳥家をどうにかしようという邪な思いを抱く。

 そんな家は、ひとつふたつではない。

 小鳥家の嫡男である春日の持つ変な能力も、恐らくそんな事情から生まれた防衛本能の結果なのだ。


「……ともかく、誰が『犬神』の主人なのかはまだ不明ですが、和花名さんの犬塚家というのは、元は『犬遣い』の家系で犬神を操る能力に長けていた様ですし、和花名さんにも潜在的にその力はあると思われます」


 もっとも、犬塚和花名は自分の家が伝承している力のことは知らされていない様だし、自分の周辺でウロウロしている犬神の気配すら認識していないのだから、今回、犬神下ろしという、犬神を召喚する呪術を行ったのは、彼女である可能性は低いと凉城は考えている。


「和花名さんが候補から外れるとすれば、現状、その可能性が一番高いのは、この町で、小鳥と比肩する力を持つ尾花沢家の人間でしょうか。あなたと因縁浅からぬ尾花沢なら、犬神を差し向ける理由も、相応にありますしね」

「ていうかさぁ……イマイチわっかんねぇんだけどさ。術者としてはさぁ、昔こそ、小鳥、尾花沢って、張り合ってたらしいけどさ、今や向こうの方が、全然格上なんじゃん?今更、陰陽道のおの字も知らない僕と張り合ってどうなるのって話なんだけど」

「その格下のコケにされたから、腹が立つんじゃないの?」

 春日の言い分を、紅茶を飲み終えた凛子が論破する。

「コケ?」

「尾花沢の撫子さんは、才色兼備の才媛で~云々。この学園じゃ、女王様みたいに崇めたてまつられている人な訳でしょう?それが、こんなアホ面下げた男がよ、中等部の頃からずっと首席で、彼女の頭の上に乗っかっている訳だから、正直言って……」

「ああ、そりゃ、鬱陶しいわ。間違いなく鬱陶しい」

「……んと、芹くん?」

「私が撫子さんなら、犬神を使って、あんたに呪詛でも仕掛けるぐらいはやるわね」

「う、凛子ちゃん……ひ……どい」

「でも、春ちゃん、それって当たらずとも遠からずかも。そもそも、犬神って古来他人を呪う為に使われてきたアヤカシだっていうし」

「うっわ~やっぱりあんた、呪われてんのよ。しばらくあたしの側によらないでよね、巻き添え食って変な目に遭うのゴメンだから」

「……あのさ、君たちはさ、僕を守るしもべの皆さんなんだよね?」

「そうよ?何を今更……」

「この、全力で僕の心を折りに来てる感は何なのかな~」

 春日の抗議に、芹と凛子が顔を見合わせる。

「馬鹿言いなさい、この程度で折れる心の持ち主なら、最初からもっと丁寧に扱ってるわよ」

「そうだぞ。俺たちの主は鋼の心スティールハートだもんな。その点は頼もしく思ってるよ、うん」

「え?そ、そう?」


 自分を含め、彼のしもべは中々手強いんだよなと凉城は思う。「従順?何それ」感が半端ない。楽しくも逞しい、頼りになる仲間たちだ。二人に手玉に取られている感のある春日を横目に、和花名用の紅茶を淹れながら凉城は苦笑する。そして、こんな跳ねっ返りのしもべたちを従わせている春日の能力こそ、侮れないものなのだということを、凉城も芹たちもよく分かっている。


「ま、とりあえず、私は向こうで犬塚さんの補習のお手伝いをして参りますので……」

 凉城はそう言い置いて、ひとり分の紅茶を乗せた小さなトレイを片手に隣の小部屋へと行ってしまった。


――個室で二人きり……とか。


 仕事だと分かっていても、凛子には心穏やかではない。名残惜しそうに凉城の背中を見送りながら、ふうとせつなげな溜息をひとつ落とした。こんなことでヤキモチを焼いてしまう自分も嫌だ。春日の為に何かをするなんて、癪以外の何物でもないけれど、こんなくだらない問題はさっさと片付けてしまうべきだと、凛子はそう思った。



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