第8話 女王様の犬と王子部

 その次の休み時間になって、和花名はようやくその答えを手に入れた。

「だから、王子部っていうのはね……」

 そう説明を始めた桐響ききょういわく――


「和花名が休んでいた三学期にはさぁ、学校中が盛り上がる一大イベントがあるでしょ?そうバレンタイン。で、バレンタインと来れば、ホワイトデーな訳よ」

 という前振りまでは、まあ理解。


「でぇ、高等部の小鳥おどり先輩は、和花名も知ってるでしょ?」

「あぁ、お祭り大好き男で有名な、例の……」

 その名前を聞いた途端に、何となく事情が分かってきた。


 うちの高等部2年に、小鳥春日おどり はるひという男子生徒がいる。

 この学校で行われるイベントごとには必ず一枚噛んでいるという有名人だ。

 元々、お祭り的なことが好きな性格である上に、この町で名士として知られている彼の父親は、この学校 ―― 私立光鳳学園こうほうがくえんの理事長で、つまり彼は学校関係者の縁者であり、当然そっち方面に顔が利く。

 という訳で、何かイベントをやろうなんていう時には、この男を噛ませておくと予算のことをはじめ、諸々に融通がきき、運営がやりやすくなるのだという話である。


「その先輩がね、ホワイトデーの時にね、またやらかした訳よ」

「やらかした……?」

「うん。公開告白、みたいな?」

「まさか、犬にして下さい云々?」

「そう。義理チョコのお返しに、僕をあなたの犬にして下さい、と。首輪を差し出してね」

「……う。それはなかなか……濃いねぇ……」

 本命チョコのお返しならともかく……。いや、それもかなりヘビーだが、たかが義理チョコごときでそこまでされたら、たいていの女子はドン引きなのではないだろうか。

「……で結局、犬にはしてもらえた訳?」

 興味本位で訊くと、桐響きは嬉々とした顔で頷いて、芝居がかった口調で言った。


「まあ、犬ならいっか」 ―― と。


 それが相手の女子の答えなのか。何と言おうか、それも又すざまじい。しかも、

「……それ、思い切り女王様属性だね……」

「でっしょぉ。でね、その後で、小鳥先輩と彼女にまつわるエピソードみたいなのがあれやこれやと、学校中にうわさで流れてさ」


 小鳥先輩は、実はその子にもう長いこと片想いをしていたのだという。

 折に触れ、好意を示して思いを伝え続けたが、どうしても友だち以上の扱いをしてもらえなかった。

 そして、恋しい思いが募った果てに、思いあまっての行動に出た。それが、


――僕は犬でもいいから、キミのそばにいて、キミの役に立ちたい。


「……みたいな?」

「何かそれ、かなり脚色されてない?」

「んまあ、真相はともかく、先輩が有名人だっただけに、何かそれに感化されちゃった男子が続出してさぁ……」

「……ははぁ」

「付き合って下さい、彼氏にして下さいは、ハードル高くても、犬ならどうだ?って具合よ。女子にしたって、そこまで言われたら、ちょっとは気持ちが動くじゃない?」

「……動かなくはないけどねぇ。私はそこまで思いつめられちゃうと、ちょっと重いし、逆に怖いよ」

「和花名はそういうトコ真面目だからな~」

「え~そうかなぁ?そもそも女王様属性じゃないと、『犬ならいっか』 は、なかなか言えないよぉ」

「まぁねぇ……で、結局ね、勇気を出して告白してもやっぱ断られるケースが続出で、そこで小鳥先輩がね……」

「まだ、続くんだ?」

 楽しいコト大好きな先輩のことだから、ここでまた何か思い立ったのだろう。


「うん。せっかく男子がやる気になってるのに、女子のノリが悪すぎると。なら、ここはひとつルールを決めて、イベントとして設定しちゃえと。ルールが決まってるお遊びなら、もっとお互い気軽に出来るんじゃないかって。犬になるのも期間限定にしたりとかね。かくして、女王様の犬ごっこが始まりましたとさ」


 経緯を知って、思わず苦笑する。そして、小鳥先輩というのは、やっぱ、変な先輩なんだな、というのが、和花名の中で確定した。




 さて、放課後 ――

 他の生徒が三々五々、部活へ向かう中、補習まで少し時間があった和花名は、ひとり教室に残りぼんやりとしていた。


 仕方がないこととはいえ、正直補習なんて煩わしい以外の何物でもない。稲田先生ファンの七紘には、ひたすら羨ましがられたが、自分はまだそれほど先生に馴染んでいる訳ではなく、教室ではなく、あまり馴染みのない教科準備室に出向かなければならないというのも、いささか気が重い。


 そんな事情で、黒板の上に設置されている時計にちらちらと目をやりながら、ぎりぎりまで席を立ちたくない気分に流されて自分の席に座っていた和花名に窓の外から思いがけず声が掛かった。


「お~い!わっかなちゃ~~ん!!やっほ~~~っ!!!」


 見れば、グラウンドの中央付近に設置された、高跳びのマットの傍らで、藤がぶんぶんと手を振って合図している。

「人の名前、大声で呼んでんじゃないわよ、恥ずかしいなぁ……もう」

 思わず零れた呟きは、もちろん藤には聞こえない。おまけに、つい愛想笑いをして手を振り返してしまったから、和花名の本心を誤解したのだろう。


 次の瞬間 ――

「わかなちゃん、好きだ~~~~っっ!!」

 と、もう絶叫と言ってもいいぐらいの音量で、藤の告白が届いた。


 外にいる生徒たちが、また何事かと校舎を仰ぎ、和花名の存在に気づくと一様に、興味津津というように事の次第を見守る野次馬と化す。


――で、この状況で、ここから返事を叫べ、か?


「そりゃ、ないわぁ~」


――ありえん。恥ずかしすぎる……


 和花名としては、赤面しながら辛うじて手で「バツ」を作って返すのが精いっぱいである。それを見た藤が、ショックを受けたというポーズと共に心臓を抑えてマットに倒れこむ。


「……くっそ~、これじゃ、端から見たら、単に照れてるだけとか思われるパターンじゃないのよ」


 いつも、和花名に「NO」を言わせないで、自分の気持ちを確実に伝えてくる藤のやり方は上手い。そしていつも、それは冗談なんだと逃げられるように、逃げ道を用意している感じなのもどこかズルイ。


 本気なのか、そうでないのか。

 それが分からないうちは、和花名が明確に「NO」と言えないのを知っているからだ。


 マットに仰向けに沈んでいた藤は、陸上部の先輩に高跳び用のバーでつつかれて、慌てて起き上がった。そこでひとしきり怒られたらしく、神妙な顔で頭を下げた後ていたが、その後で、また、すかさずこちらに笑顔を見せて手を振ってくる。


「……たく」

 仕方なく、和花名はすうっと息を吸い込んで叫ぶ。

「真面目にぃ、やんなさいよぉっ!」


 たちまち、お~!という感じで、藤が拳をつくった右手を突き上げる。そこでまた先輩に怒られて、今度は首根っこを掴まれて、という、まんまその言葉どおりに連行されていった。


「……馬鹿やってくれるわねぇ、ホント……」

 藤の情けない姿に失笑しかけたところで、和花名の視界にトラックを走る悠斗の姿が入った。藤の馬鹿な行動にも、そして和花名にも興味がないというように、悠斗はただ無心に走っている。


 今日いちにち、ずっと同じ教室にいたのに、結局、悠斗とは一言も口をきかなかった。和花名自身、あんな話をされて、どう声を掛けていいのかがまだ分からなかったし、悠斗の方も、和花名と距離を取りたがっているみたいに、その傍には来なかったからだ。


「……私、どうしたらいい?」

 そう問いかけても、グラウンドを走る悠斗から返事がある訳もない。

「……もう……戻れないのかな……」

 そう思ったら、胸が苦しくなって、目で追い続ける悠斗の姿が滲んでぼやけた。


 例えば、和花名が悠斗の行いを「許す」と言っても、悠斗の方で許されることを納得しなければ、悠斗は和花名の元に戻って来てはくれないのだろう。

「本当に、どうしたら……いいのかな……」

 我慢した涙の代わりに、大きなため息が出た。辛くなって視線を教室に戻すと、もう補習の時間が迫っていた。

「……ああ、いかなきゃ」

 さっきよりも増した憂鬱な気分に負けそうな自分を鼓舞するようにそう言って、和花名は教室を後にした。




 馬鹿をしたせいで厳しくなった先輩の目を盗んで、藤はまた和花名を見ていた。そして、その視線はやがて和花名が見ている悠斗へと移る。

「……揺るがないねぇ、悠斗のやつ。たいしたもんだよ」

 そう呟いて、藤の口元は微かに綻ぶ。

「ま……それならそれで、僕は色々やりやすいけどね」


 あの事故の後で、和花名と悠斗の距離は確実に広がった。そして、自分はその隙間に上手く入り込むことができた。そう思って安心していたのに。


――ホント、油断も隙もないよな。


 どこかの馬鹿が仕掛けた「犬遊び」のお陰で、とんだ横やりが入った。


――和花名の犬とか、たく、冗談じゃねぇし……


 全く、癪に障る話だ。

 あの和花名に最初に目を付けたのは、自分なのに、あちこち他所から横入りとか、全くふざけた話だと思う。勿論、他の誰にも譲るつもりなどない。


―― 犬だろうが、女王様だろうが、だ。

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