第5話 残酷な記憶と欲しかった嘘
『オレガ コロシタカラ』
受け入れがたい言葉を突き付けられて、和花名の心は動揺する。欲しかったのは、そんな酷いコトバではなかった。
なかったのに――
「……うそ……だよ。そんなの。どうして、そんな酷いコト言うの……」
縋るようにその腕を掴んだ和花名を、一瞬だけ、悠斗が見た。
「……ごめん……」
哀しみを帯びたその瞳に、和花名の胸は締めつけられた。悠斗はそのまま立ち上がると、和花名に背を向けた。
あの日見た光景は幻影だったのだと、自分は悠斗に言って貰いたかった。否定してもらいたかったのだ。あの残酷な記憶が、本当に起こったことなのだと信じたくはなかったから。
――なのに、ごめんって……なん……でっ……
じわっと涙がこみ上げる。そこにある紛れもない拒絶に、突き付けられた現実の重さに、和花名の心は絶望に浸食されていく。
あれは、夢なんかじゃなかった。
否応なしに巻き戻る記憶に、吐き気を覚える。あんなのが――現実――
半年前のあの日、私は悠斗が私の飼っていた柴犬のシオンを崖の上から川に投げ落とすのを見てしまった。曖昧な記憶を呼び起こすと、私は多分、シオンを助けようとしたのだと思う。それで崖から落ちた……というか、飛び降りたのだ。
「やだよ、そんなの……違うって言ってよ。私はっ、本当のコトが知りたかったんじゃないよ。悠斗に違うって言って欲しかった。そんなの悪い夢を見たんだって……そう言って欲しかった……んだよ……っ……」
重すぎる現実に逃避を始めた心が、救いを求めて見苦しく右往左往を始める。そして、一縷の望みを捨て切れずに、すがる様に吐き出した言葉。だがそれには現実を変える力など微塵もなかった。
「……そんなの……言える訳ないだろう……」
悠斗が絞り出すように言った言葉は、怒りを含み、どこか哀しい響きを纏っていた。
「犬塚さん、目が覚めたの?」
こちらの話し声が聞こえたのか、カーテンの向こうから保健の先生が言った。
「……」
今、口を開いたら、間違いなく涙声だ。そう思って和花名は慌てて手で涙を拭う。その僅かな間に、悠斗はカーテンをくぐって向こう側へ行ってしまった。
「……悠っ」
伸ばした指の先にもうその姿はなくて、押さえようとした涙がまたぶり返す。やはり自分は距離を置かれていたのだと、今更ながらに思い知る。そして突きつけられたあまりに残酷なその事実。
――どうして……
心に湧きおこるのは、ただ、何故という思いだけ。悠斗が何故、そんなことをしなければならないのか。
――どうして。
悠斗だって、シオンが好きだった。大好きだったのだ。和花名に負けないくらいシオンをかわいがっていたのに。
どうして――
悠斗が、そんなことをする理由がない。それが嘘だと言う方が、全然理に適っている。
悠斗が嘘ではないと言った、その真実の欠片を、和花名は、自分たちの間にどうしても上手く当てはめる事が出来なかった。
どうしてと、心に問う度に、納得出来ない気持ちが、哀しみと悔しさを呼び起こして、涙を誘発していく。
「犬塚さん?」
保健の先生がカーテンを引き開けて顔を出した。
「あらあら……もう少し、休んで行った方がいいかしらね」
少し呆れたような口調で、それでも保健室なんて場所に来る生徒には、こういうことは珍しくないのか、先生は慣れた様子で対応する。
「……もう……大丈夫です」
和花名はハンカチを目に押し当てて、涙を強制的に吸い取らせる。
「いいのよ、犬塚さんは、久しぶりの学校なんでしょ。初めから全部、きっちり頑張らなくても。1時間ぐらい休んだって全然……」
そこで又ドアをノックする音がして、先生が応えを返すと、ドアが開いて若い男性教師が顔を覗かせた。
「あら、
稲田と呼ばれた先生は、声を掛けた保健の先生に挨拶を返してから、和花名の方へ視線を移して確認するように言う。
「犬塚和花名……さん?」
和花名が頷くと、少し安心したような笑みを見せながら、側にやってきた。
「ああ、元気そうで良かった。朝から倒れたなんて言うから、何事かと思って……寿命が縮みましたよ、本当に」
「……はぁ……それはどうも済みません」
「犬塚さん、朝ごはんは、きちんと召し上がられましたか?」
「はぁ……それはまあ、一応……」
何か、言葉遣いが妙に丁寧で変な先生だ。
そう言えば先月、
――ああ、コレのことか。
「あ、自己紹介がまだでしたね、私は、今年君たちのクラス担任になった
「……よろしくお願いします」
右手を差し出されて、反射的に握手をしてから、何か先生らしくない先生だなと思いつつ軽く頭を下げる。
「そういえば、今さっき、保健委員の男の子が、先生のお使いだって来てましたけど」
「え、あ、そうなんですか?」
「……あら、違ったんですか?あらぁ……それはもしかして、何て言うか……何て言うか、なのかしら?い~わねぇ、青春青春」
ふふふと思わせぶりな笑みを向けられて、和花名は何だか居心地が悪い。
――それは何?もしかして悠斗は、私を心配して来てくれた……ってコトに……なるのかな?
「
「や~ねぇ、稲田先生ったら、も~」
「いてて」
バシバシと、それ少し力入りすぎじゃないですか、という勢いで保健の駒田先生は、稲田先生の背中を叩く。
「さ、仕事仕事」
ひとしきり八つ当たりをして気が済んだのか、駒田先生は自分のデスクに引きあげて行く。
――何だろう、この、微妙な空気は……
「それで、犬塚さん」
「あ、はい」
「お体の方はもう平気ですか?無理そうなら……」
「いえ、大丈夫、です」
ここで寝付いたりしたら、親に連絡が行ってしまうかもしれない。そちらの方が、今の和花名には由々しき問題である。
「1限から出られます」
「そうですか。それなら構いませんが。でも、あまり無理はしない様にして下さいね」
「それはもう。こういうのは自分的にも不本意なんで」
「……成程、これは気丈だな……」
「は?」
「いえ……それで、まあ、これは体調と相談しながらで宜しいのですが……」
「はい」
「犬塚さんは、長くお休みされていたので、授業の遅れを取り戻すために、今学期は、放課後に補習を受けて頂かなくてはならないのです」
「……う……マジですか」
「はい。まあ、憂鬱なのは十分お察し致しますが、これはまぁ、仕方のないことですので……」
「……はい。分かりました」
「では、放課後、社会科準備室にいらして下さい」
「社会科準備室ですか?」
「私の担当教科が、社会科なので」
「ああ……」
ということは、稲田先生が補習の面倒を見てくれるということなのだろう。
「どうも、お世話をお掛けします」
神妙な顔をして頭を下げると、先生が笑顔を見せる。
「いえいえ。何も心配はいりませんよ」
――何というか……笑うと一段と若く見えるんだな……このセンセは……なるほど~七紘がはしゃぐのも納得だなぁ……
「犬塚さんは元々、成績もそう悪くありませんし。大丈夫、直ぐに元通りになりますよ、何もかも」
目の保養とばかりに、ぼおっとその顔を眺めていたら、ふとその言葉が心に引っ掛かった。
――元通りに……何もかも……
「それでは、ホームルームは十分後ですから、遅れないように行って下さいね」
「あ、はい」
「それじゃぁ、と。駒田先生、どうもお世話をお掛けしました」
稲田先生は、薬品棚を整理していた保健の先生に声を掛ける。
「い~え。今度はぜひ、稲田先生の介抱をさせて下さいね」
返された冗談に苦笑しながら、稲田先生は保健室から出て行った。
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