第5話 父と富士と新幹線(5)

それからは本当に何もすることがなかった。弔問客のいない通夜はひっそりと寂しい。ここには今、茶色いパイプ椅子に腰掛ける私と質素な祭壇に笑う父のいない二人だけだ。そして質素な祭壇は私と父によく似合っていると思った。

私は父の笑顔を見ながら、問いかけていた。親戚の方って、「叔父さん」のことだよね。会館の小さな庭にコウロギが鳴いている。陽はすっかり落ちていた。そういえば、叔父さんは一昨年のゴールデンウィークに東京へ行ったと言って、お土産を子供達にくれたことがあった。あの時だろうか。父と叔父さんはどんな関係だったのだろう。叔父さんは父にとって、顔も見たくない相手ではなかったのだろうか。

父母が離婚して二十五年が経っている。その時間の中で、私も弟も小学校、中学、高校、大学を卒業して結婚もした。二五年はそれほど長く、重い。その間、一度も連絡を取らなかったのだから私たち兄弟にとって、父は軽く薄い存在となった。でも、父を忘れたわけではなく、いつも心のどこかにひっかかていたのだ。だから、叔父さんはずっと叔父さんであった。そうして、父、母、叔父さんのの間には確執があるものと思っていた。いや、離婚した頃の三人は確かにそうであったはずだ。子供ながらに感じていた離婚の原因は、母と田中さんとの不倫関係にあったのだから。そして、兄弟にとってそれは決して口に出してはいけないことだったのだから。

その叔父さんが、息子二人が知ろうともしなかった父の居場所を知っていた。そして訪ねて来ていた。父の訃報を知らせても、母も叔父さんも通夜に顔を出さない。なぜ、どうして、考えたけれどわからない。ただ、叔父さんが父を訪ねて、私たちの近況を知らせた。そして、父はそれを嬉しそうに聞いていたのだろうことは想像できた。息子のことを嬉しそうに隣人に話している父が思い浮かんだ。

通夜は寂しいものとなった。私と父の二人だけだ。

生前の父に会っておけばよかった。その思いが不意に浮かんだ。

通夜、葬儀、火葬、一連の儀式は淡々と進んだ。しかし私には悲しいという感情が湧いてこなかった。会っておきたかったとは思っても、悲しいとは思わなかった。そしてそのことが私に重くのしかかった。かすかに期待していたのだが、母も叔父さんも、顔を見せることはなかった。

私はいい年をしてまるで迷子の子供のように頼りない気持ちになった。時間だけが過ぎていった。

そうして父の葬儀は何事もなく終わった。まるでふわふわと風に流されるような頼りない時間が過ぎて行った。

葬儀の後、小西さんに連れられてアパートへ行った。大家さんとの事務的な手続きはすでに終わらせてくれている。何もかもこの父の隣人の世話になり通しだ。

部屋の荷物を処分するように大家さんから言われていたが、部屋を見てすぐにわかった。たいして手を焼くことはない。何しろ箪笥すらなく、プラスティックの衣装ケース1個、壁にかかった上着一着、洗濯して干したままの下着類くらいしかない。あとは小さなテレビ、ラジオ、小さな卓袱台。何もないと言ってもいいくらいだ。貧乏だったのだろうか。しかし私はこの何もない部屋で一人暮らしていた父の強さを感じていた。

処分するものは小西さんに頼んだ。持ち帰るものはほとんどない。手元に残ったものは、預金通帳が3冊。あとは写真が数枚。遺影に使った写真、私と妻と子供の写真、弟の結婚式の写真もあった。遺影に使った写真には、父と一緒に小学生の私と、幼い弟が一緒に写っている。

通帳は父名義の普通預金、そして私と弟の名義の積立預金だった。驚いたことに積立は毎月3千円ずつ、つい最近までちゃんちゃんと続けられていた。額面はそれぞれ100万くらいだ。

連絡もしてこなかった父が、離婚後二五年間一度も会いにこなかった父が、一体何のために毎月貯金していたのだろう。年金暮らしになってもそれは続いている。

私たち兄弟の幼い写真。父の中では今なお私たち二人は時間を止め、幼い子供のままなのではないだろうか。大人になった私と孫や妻をどんな風に見ていたのだろうか。なんだか馬鹿みたいな話だ。そう思った。

一通りの後始末が終わったので、私は小西さんに丁重に挨拶をして早々に帰ることにした。がらんとした父の部屋に一人でいられるほど私は強くなかった。





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