第4話 父と富士と新幹線(4)

それから小西さんを交えて葬儀社の方と費用について話をした。小西さんは、以前から父と、お互いが亡くなった時の話をしていたらしい。父の部屋には終活と書かれた封筒に入った40万円ほどが置かれてあったという。それを当座の費用に当てたことを説明された。私は全面的にこの小西という初老の男性を頼ることになった。一通り決めてしまえば、あとは特にすることなどない。何しろ弔問客などいないのだ。父と小西さんは同じアパートの隣あった部屋に住んでいたらしい。横に三軒が並んだ二階建てのいわゆる文化住宅だ。私は手持ち無沙汰にパイプ椅子に腰掛けて簡易な祭壇を見上げた。父の遺影はずいぶん若い頃の写真で、ニコニコと笑っている。隣に腰掛けた小西さんに私は尋ねた。

「この写真も小西さんが選んでくれたんですか。」

「ええ、本当は遺影用の写真を今度撮りに行こうなんて慎さんと話していたんですがね。こんなに早く亡くなるなんて思ってもいなくて。」という。

「部屋にはこの写真しか無かったんですよ。見覚えありませんか。弟さんかな、小さな男の子と、あなたと、両手をつないでいる写真です。葬儀社の方がそこから慎さんだけを切り取ってくれました。」

「そうでしたか。ありがとうございます。覚えていませんが、後で見てみます。ニコニコと笑顔でいい写真だと思います。父とは親しくして頂いていたんですね。」お線香の煙がゆらゆら立ち昇るのみながら私はお礼を言った。

「まあ小さなアパートのお隣さんですからね。お互い独り身だったしね。」と小西さんはひっそりと笑った。この人も家族と縁の薄い人のようだ。

「一人で暮らしていると、人間さびいしいもんでしてね。慎さんとは歳も近いし。ウマがあったというんでしょうね。それにアパートには6部屋あるのですが、他は空き家で、私らしか住んでいなかったですよ。」

小西さんはそれから、ここでの父の暮らしを話してくれた。ガソリンスタンドのですがアルバイトを続けていたこと。今年になって将棋を始めたこと。大阪に三五歳になる息子がいると話していたこと。そうして、なぜこれまで一度も訪ねてこなかったのですか、と問われた。非難するような口調ではなかったが、私は口調にこまって目をそらした。小さなお花が対で置いてある。

父を嫌ったわけではない。しかし、ちゃんとした住所も知らずにいたのだ。いや、むしろ父の方から私たち家族と音信不通になったのだ。

父の両親、つまり私の祖父母はとっくに亡くなっていたし、父には兄弟もなかった。私も、弟も、父が私たちを避けているものと思っていた。もしかしたら父にも新しい家庭があって、だから無理に連絡してはいけないと思っていた。

「さあねぇ、慎さんもけっこういい男ですからね。イケメンっていうんですか、今は。」私が父に女性の知人はいなかったのですか、という問いに小西さんは楽しいそうに答えた。

「でも、私の知る限りはそんな浮いた話はなかったですよ。もっともお互いじじいにはなっちまったからね。」小西さんは父の遺影を見ながら笑った。私も簡素な祭壇の真ん中で笑っている父を見上げた。父はこんな顔だったろうか。そうして色々話しているうちに小西さんが気になることを言った。父から私や弟のことをよく聞いていたと言うのだ。それも最近の私たち二人の様子を父が知っていたと言う。

「あなたにお子さんが生まれた時は本当にうれしそうでしたよ。連れてきてあげればよかったのに。」それから、

「弟さんはニューヨークにいらしてもう二年くらいになるんでしょう。エンジニアだと自慢していました。」

私は驚くほかなかった。母は父と連絡を取っていたのだろうか。いや、それはない気がする。父の訃報を知らせた時も、母は父の居場所を知らない風だったのだ。しかしこの穏やかな父の隣人は意外なことを言った。

「そういえば、一度だけご親戚の方がいらしたことがありました。眼鏡をかけた背の高い方でした。私の知る限りは慎さんのところに来た親戚の方はその人だけですねぇ。その方から聞いたんじゃないですか。」

「いつ頃のことでしょうか、その、親戚が来たのは。」

「確か、去年のゴールデンウィーク頃だったと思いますよ。」

その後、父はとても機嫌が良かったらしい。もっと話を聞きたいと思ったが、小西さんは一度アパートに帰ります、という。言って見れば赤の他人にここまでしてもらっている。引き止められるわけもない。ゆっくり、お父さんのそばにいてあげて

下さい。」と言い残して小西さんは引き上げてしまった。

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