5
同時刻、わたしが貸し与えられている船内の一室にて。洗濯物干しを終えたわたしは、少し休憩した後、紅さんの書物漁りを手伝おうかと考えていた。彼女は今現在も寸暇を惜しんで調べ物をしてくれているはずだ。寝台にバフンと横になって、一息吐いてから、さて紅さんの部屋へ向おうかと思っていた時。コンコン、と扉を叩く音がした後、こっちが返事をする前に棘縉さんが部屋へと現れた。
「失礼致しますわ」
「? 棘譖さん」
後ろ手にパタンと戸を閉めると、辺りを見渡しながら、彼女はフンと鼻を鳴らした。そこには、多分に嘲りの色が含まれていた。
「わたくしがこのような下々の者のところへまで出向いたことに感謝なさいな」
「はぁ……そりゃどうも。で、なんのご用事ですか?」
わたしとしては極力下手に出たつもりだったんだけど、棘縉さんの気には食わなかったらしい。ワナワナと震えて、わたしを睨むように見つめてくる。
「どうも、ですって? 貴女、本当に礼儀を弁えていらっしゃらないのね。一体どのような躾をされてきたのかしら」
「はぁ……貴女のお気に召さないというのなら、その程度の教育だったのでしょう」
「下賎の者が……紅さまも一体何を考えてこのような者にこんな待遇を……貴女も立場を弁えなさいな! なんですの、沐漣さまに対しても馴れ馴れしく愛称でお呼びになって……態度を改めなさい!」
「……さいな」
「何よ!」
「うるさいなって言ってるの……要するに言いたいことは何? 生憎、貴女みたいに人を見下すばかりの傲慢な人に弁える礼儀なんて持ち合わせてないの」
「ッ!」
ゴリッ……!
わたしの顔に衝撃が走る。棘縉さんの持っていた、魔術に使う杖で殴られたのだ。今まで、遠回しに言葉での嫌がらせは受けたことがあるものの、ここまで物質的な攻撃は受けたことがなかったから、わたしは一瞬怯んでしまった。思わず床に手をつく。
「ほら……気に食わなきゃすぐ手が出る。こんなのタダの子供じゃない」
「なっ……!」
「大体、道具なんかに頼って、自分の手を汚すのが怖いんでしょ。やるなら素手でやりなさいよ」
「な、なんて野蛮なことを言い出しますの!」
「へぇ……そう言って逃げるんだ。そうよね、お嬢さまはカラダに傷ついちゃダメだものね」
自分でも無茶苦茶なことを言い出しているのはわかっていた。だけど、どうにも今のわたしの神経は異常に高ぶっているみたいだった。棘縉さんの顔に、元の世界での、今までの陰湿な嫌がらせの加害者の顔が重なる。
――池さんてさぁ……
――やっだぁ、それマジ?
――ちょーウケるー! てか、キモッ
自然、わたしの表情は睨みつけるような顔つきになってたと思う。それを自分に対するものだととったらしい棘縉さんは、パンとわたしの頬を張った。今度は素手だ。衝撃を受けた側の頬に手を当てて、わたしはニヤリと口の端を上げる。
「度胸ないなぁ……グーで殴りなよ」
言いながら、わたしも反撃の体勢をとって立ち上がる。
(まだるっこしい。遠巻きにヒソヒソしやがって。正面から対峙する勇気がないだけじゃない。……バカばっかり)
近寄ってくるわたしに、棘縉さんはジリジリと後退した。生粋のお嬢さまである棘縉さんにとって、口の端から血を流す今のわたしは凄みがありすぎるのかもしれない。
「あ、貴女、正気ですの……?」
「言っとくけど、アンタが先にしかけてきたんだからね」
棘縉さんが杖で応戦しようとした、その時。
「咲枝、一体どうし……」
慌てた様子のレンが扉を開けて顔を覗かせた。一瞬でギョッとした彼は、すぐさまわたしたち二人の間に割って入る。
「何してる、二人とも! 女が揃って殴り合いなんて……」
「男尊女卑は受け付けない。邪魔するならアンタもこうよっ!」
斜め上な発言をしたわたしはガスンと一発、レンに攻撃を加える。棘縉さんのほうを向いててわたしのほうには背を向けていたレンは、わたしの一撃をまともに喰らってしまった。棘縉さんが悲鳴を上げるのが聞こえる。けど、わたしの興奮はおさまらない。陰湿な人たちの顔が目の前をチラついて……止められ、ない。
「いっ……」
「いい加減になさいっ!」
レンが制止の声を上げる前に、開けっ放しの扉から紅さんが姿を現した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます