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 翌週の金曜日。朱音は一人で例の美山市のライブハウスに来ていた。

 学校から直接来たので早めに着いてしまった彼女を呼ぶ、ギターを持った七海の姿があった。

「何だ、随分早く来てるんだな?」

「いつもの癖で早めに来ちゃった。ねえ、良かったら少しこの辺りで遊んでから戻ってこない?」

 この前は少し話す程度だったので、久々に七海と遊びたい気持ちの芽生えた朱音は了承した。

 彼女は通学路の途中に立ち寄る場所ということで、この辺りにある様々なことを把握していた。

 ゲームセンターでプリクラを撮り、移動式のクレープ販売店でオススメの味を朱音に教える。

 ただ、その中で路上ライブを行う若者がよく目立ったのだが、天音はその近くを通る際は足早に通り過ぎて行く。

 色々な店を見て回った後、休憩ついでに先週も立ち寄った誰もいない公園に来ていた。

「ああ、楽しかった。朱音、プリクラ撮る時いつも恥ずかしそうだよね。その見た目ならよく行ってそうだけど」

「偏見だな。あたしは、ああいうの苦手なんだよ」

 笑ってみせる天音に向けて、時計を見た朱音はそろそろ行かないのか、と声をかける。

 すると、笑っていた彼女の顔は徐々に冷静になり、落ち込んでいるのが分かる。

「やっぱり、演奏したいんだろ?」

 朱音はとっくに気付いている。あれほどギターを愛している彼女が簡単に辞められるわけがないと。

 その証拠に出ないと言っていた今日も楽器は持って来ているからだ。

「本心を言えば、今日も出たかった。オーディションもあるけど、それ以上に皆で演奏できる機会がもうあまりないし」

「なら、もう一度お前の思いを話してみるのもいいんじゃないか? 言ってみるだけ損はないと思うけど」

 両膝を抱え込んで座る天音は中々踏み出す勇気が出ないといった感じだ。

 朱音は軽くため息を吐いた。

 諦めも決心もつくのに時間がかかるのは仕方ないが、天音はそれが長い。

 それは中学の時から変わっていない。

 すると、朱音はなにやら気配を感じ取る。この気配、霊を持つ者特有のものである。

「気付いたか」

 背後から声がして振り返ると、そこには長身の男が立っている。

 その顔はお世辞にも健康的とは言えず、寧ろ、体調が悪いようにも見える。

「誰だ、お前?」

「夜ノ森朱音、お前一人か。ちょうどいい。ある人からお前達を殺すよう頼まれた」

 朱音はすぐさま身構える。今のセリフ、完全に彼女以外の仲間も狙っているということだ。

 物騒な会話は当然ながら天音の耳にも入っており。長身の男を見た彼女は朱音に何者かを問う。

「いいか、天音。あいつはヤバい奴だから早く逃げろ。私が気を引いておく」

「な、何言ってるの? 朱音、あんたも逃げないと」

 霊のことを知らない天音にとっては朱音も自分と同じくただの女子高生で、そんな彼女が危険な男に立ち向かうなど止める以外ないだろう。

「そこの女は知らんな。まあいい、どの道目撃者を生かしておく必要はない」

 男は左手を開いて朱音へと向ける。

 その瞬間、彼女は首に違和感を覚えた。明らかに首を掴まれている感覚。力が強まっていき、呼吸をすることも難しくなってきた。

「あ、朱音!? どうしたの!?」

「せっかくそいつが逃げるチャンスをくれたというのに、お前はバカだな」

 男は右手を天音に向ける。

 すると彼女の体が吹き飛ばされた。後方にある遊具に背中を強かに打った天音は、激痛に声も出ない様子であった。

「天音! クソ!」

 朱音は呼吸困難に陥っている中で、天音の様子を微かに顔を逸らして伺う。

 意識はあるようだが、吹き飛ばされたことにより、今座っていたベンチが破壊されていた。

「ん? これは」

 男は何かに気付いたかのように右手を動かす。

 すると、七海のギターケースが空中に持ち上げられた。

「何だ、大したものじゃない。金にもならんな」

「な、何してるの……返して……」

 背中を打った痛みなど忘れ、自身の大切にしているギターが宙に浮いている光景に驚くよりも、自分の手元に戻してほしいということが優先されていた。

「返してほしいか?」

 男は不気味な笑みを浮かべて、軽く右手を捻った。

 するとケースごと、ギターが折り曲げられる。

「おっと、すまんすまん。手が滑っちまった」

 無惨にも地面に落ちるそれを見て、天音は何がどうなっているのか分からなくなった。

「いや、いやよ……何でこんな……」

 言葉も出ないほどに天音は動揺し、次第に状況を把握したのか、大粒の涙を流し始めた。

 男はその光景を見て声をあげて笑ってみせる。

 少女の宝物を壊し、その悲しむ姿に喜びを感じるとは悪趣味にもほどがあると朱音は薄れゆく意識の中で思った。

 しかし、今は相手の霊の力すら把握できず、近づくこともできないといった無様な状態だ。

「さあ、そろそろ終わりだ」

 朱音の首を絞める力がより一層強まり、彼女がマジック・ボマーで触れようにも首回りには相手の手があるわけでもなく、爆発させることができない。

 朱音が本格的に死を覚悟し始めた時、男の顔から笑みが消えるのがわかった。何かに驚いているとでも言うのだろうか、視線は天音の方を向いている。

「な、何だお前のそれは?」

「許せない……許せない。絶対にお前だけは許さない……」

 静かに呟いている天音がゆっくりと体を起こしている。彼女から霊の気配が芽生えていることを朱音を感じ取った。

 ギターと思しき物を持ち、頭には冠を被り、女性ミュージシャンを思わせる出で立ちをしているのが、彼女の霊であった。

「お前、霊使いだったのか!?」

 違う、あれはこの男が作り出した状況により生まれた天音の霊だと朱音は思う。霊が芽生える仮説は二つ。

一、仮死状態に陥った者の魂を守る防衛本能からの目覚め。

二、今までに経験したことのない衝撃的な出来事があった場合。

 命の次に大切にしているギターを壊されたことによる衝撃が、彼女の中にある霊を呼び起こしたのだ。

「お前だけは死んでも許さない」

「いや、お前は今霊の力に目覚めただけだな。まだ自分の力が何かも分かっていないお前に何が出来るって言うんだ」

 天音はいつものギターを演奏する姿勢を取った。それに連動するようにして彼女の霊も同じ動きをする。

 右手を高らかに上げ、一気に振り下ろす。

 ギターの大きな音が公園中に響いた。近くにいた朱音の耳にはただのギターの音にしか聞こえない。

 しかし、彼女に向けて左手を向けていた男は、両手で耳を塞いだ。

「な、何だこれ! 耳の中? いや、頭の中で響いている!」

 天音の霊が出した音が男の頭の中に残っている様子である。

 首を絞められる感覚から解放された朱音は、その場に座り込んで大きな咳を繰り返す。

 更に弦を弾き続ける天音とそれに対して、更に苦しむ男の姿。

 彼女は弾くのを止め、弦を弾いていた手を、何か相手に飛ばす手つきで動かした。

 すると、男の顔に切り傷のようなものがつく。

 彼は頭の中に響く音と顔の痛みの両方に苦しんでいる。

「天音、ちょっと待ってくれ」

 朱音は彼女の肩に手を置く。特に返事をする様子でもないが、攻撃の手を止めた。男の元に朱音は歩いて行く。

「おい、お前。さっきはよくもやってくれたな。私たちを殺すように仕向けたのは誰だ?」

「し、しし、知らねえ! 名前なんかは教えてもらってもないんだ!」

 往生際の悪い男に対し、朱音はそうかとだけ呟く。

「お前を殺しはしない。けど、私の見せ場が一個もないからな。少し痛い目に遭ってもらうか」

 マジック・ボマーが両拳を構えている。

「マジック・ボマー! 殴るたびに爆発する!」

 連続して拳を叩き込むごとに小さな爆発が起き、男の体は打撲と同時に無数の穴が開いていた。

 それでも死なない所で攻撃を終える。

 意識の遠のいている男を前に晴れやかな気持ちで朱音は天音の側へ戻った。

「天音、最後は私がやったけど、終わったよ」

 声をかけられた彼女は我に返ったように目の前の状況を見て、その場に座り込んだ。

「私のギターが……」

 近くに落ちていた折れ曲がったギターケースの中から、壊れてしまったギターを取り出す。

「安心しろ。私が何とかしてやる」

 朱音は自信を持ってどこかに電話をかけた。


 日も落ちて、空が暗くなった所で公園の前に一台の車が停止する。

「朱音、無事なの!?」

「夜ノ森さん、無事ですか!?」

 慌てて降りてきたのは凛子とマリアであった。

「ああ、何とかね。あそこにいる男が襲ってきた」

 倒れていた男を示し、凛子は慎重に近付いていく。

 その間に朱音はマリアに事情を話し、折れ曲がったギターケースを渡した。

 マリアが両手を翳すとギターの形が次第に戻っていく。

 完全なまでに元通りとなったギターケースを天音に渡した。

 恐る恐る中を覗くと、そこには彼女の使っていたギターが綺麗に収まっていた。

「これ、一体どうやったの!? それにさっきの私の力も、何が何だか」

「その説明も凛子さんにお願いするか」

「私から話します。ただ、その前に病院に運ぶ間だけでも無事なよう、喜里川さん、この男の傷を少しだけ治してほしい」

 今度は立ち位置を逆転し、凛子が霊というものの存在を天音に説明を始めた。「じゃあ、朱音もその同じ霊っていうのを使う人と一緒にいるの?」

「まあな。私のもつい最近目覚めたというか、よく分かってないんだが」

 天音に向けて凛子は朱音と同じく仲間として共に戦ってほしいと頼んでみる。「正直、よく分かりません。急に襲われて、あんな目に遭って。私も無我夢中で自分の力とかそんなの考えてませんでした」

 先ほどのことを思い出したのか手が震えている七海の手を握ったのは朱音である。

「天音、ごめんな。私と一緒にいたから巻き込んじまった。無理に戦う必要

なんてない。霊を持ってるなんて誰にも言わなきゃバレはしないし、今まで通り普通な生活も送れるはずだしな」

「いえ、それは難しいかもね。霊を持っている以上、自分では気を使っても、その気配は感じ取れてしまう」

 凛子の厳しい言葉に朱音は思わず彼女をキツく睨みつける。

 それでも一切怯むことはしない。

「いいの、朱音。ありがとう。考えてもみれば、あの男以外にも誰かの不幸を喜ぶような奴がいるんでしょ? だったら、私も一緒に戦いたい」

「本当にいいのか? バンドの活動やギターの練習にも影響するかもしれないぞ?」

「いいの。私みたいな目に遭う人が少しでも減らせれるかもしれないなら、その方が私も嬉しい」

 天音は立ち上がって凛子の前に立つ。

「私、七海天音です。鎖上さん、私も一緒に戦います。よろしくお願いします」

「ええ、こちらこそ。できる限り、私も皆を危険な目に遭わせないように動いているから、何か困ったことがあればすぐに話して」

 その時の凛子は柔和な笑みを浮かべて天音と握手を交わした。

 

 結局、その日はライブに行かず帰ることになった。

 帰りの電車内でふと天音は朱音に質問する。

「そういえば、霊って個別に名前とかあるの? 朱音のも」

「いや、勝手に名付けて呼んでるだけだ。天音も好きなように呼べばいいと思う」

 天音は自分の霊の容姿を思い浮かべて、手を叩いた。

 何か思いついたのか、と問う朱音に、秘密とだけ返す。

 次に霊を出現させる機会に教えると言って、彼女は笑っていた。

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