第6話 殺戮の姫

彼女の朝はいつも両親の仏壇に線香をあげるところから始まる。

 二人が亡くなったのは彼女が中学へと進学するになる直前であった。

 周囲の人間は悲しみ、彼女に同情していた。勿論、彼女自身も泣いていた。

 だが、その時に覚醒したのである。

 彼女の霊が。


 線香をあげた後は学校の制服へと着替え、家を後にするだけだ。音楽プレーヤーで流すのはお気に入りの曲を詰め合わせたプレイリスト。

 駅までの道のりを歩き、朝の人が多い電車は彼女にとってストレスではあったが、同時に楽しみの一つでもある。

 彼女は探している。

“死んでもいいような人間”を。

 今までもそうしてきたように、朝の電車はいい素材が揃っているのだ。

 車窓から差し込む光は彼女の切り揃えられた金髪を照らして、まるで綺麗な金貨のように見せている。

 ここは『東王ひがしおう市』。

 彼女の通う東王高等学校までは駅から徒歩十分の所にある。

彼女が登校すると、決まって昇降口の近くに女子がいる。

 それも毎日別のが。

「せ、先輩! あのこれ、良かったら受け取ってください」

 決まったセリフは当然のことながら、渡して来るのは手作りの菓子であったり弁当であったり。彼女は澄ました笑顔でそれを受け取る。

「ありがとう。とても嬉しいわ」

 これも毎回一緒のセリフ。

 教室で彼女は席に着くと、授業が始まるまで何もせず、ただじっと待つ。

 ここまでが、彼女の一日の始まり。


 姫島夜宵ひめじまやよいはこの東王高等学校の特進学科三年。頭脳はクラスで上から五番目。体育でも同じく上から五番目。

 とにかく目立つことのないよう、しかし優位に見える成績であることはキープしている彼女であった。

 その理由は簡単。彼女は既にその容姿で目立つから。だから成績や運動でまで目立つ必要がないと思っている。

 彼女が誰かといる所は誰も見ない。

 高嶺の花というのを体現してみせる彼女の魅力は誰にも汚すことのできないものであった。

 昼休みは校舎裏で、朝もらった弁当を捨てることも日課となっていた。

「無駄なもの。私には無駄。ああ、この世は無駄が多い。モノも人も」

 空になった弁当箱を投げ捨てた時であった。

 その時、彼女の背後から迫る影。

「“姫”。報告に来ました」

 告げたのは以前、朱音と凛子が対峙した強力な霊を持つ少女、「ダイバーズブラック」の宿主・黒川海莉くろかわかいりであった。

 アシンメトリーでセミロングの茶髪は片方が肩にかかっている。身長は少しだけ姫島よりも高い。

 彼女はこの学校では目立たない。

 これも彼女自身が、と言うよりも姫島が命じているのだ。

「海莉、待ってたわ」

「この前、姫が見たという霊使い三人を調べてきました。これが、資——」

 黒川が封筒を懐から取り出した瞬間、その背後には姫島が立っていた。

 今、確かに目の前にいたはずの彼女が後ろにいる。

 狐にでもつままれたかのような感覚。いつも彼女の背後に立ったとしても、いつの間にか後ろへと回っている。

「ねえ、海莉、そんなの後でいいでしょう? 昨日から体が疼いてて。慰めてほしいの」

 姫島は黒川のことを溺愛している。その愛は行き過ぎたものであった。

 今も彼女は背後から右手で黒川の制服のシャツに手を入れ、その柔らかいものが壊れないように触れながら、左手で彼女の細い首筋をなぞり、吐息を耳にかけている。

「姫……流石にここでは……」

「そんなこと言って、あなたもう乱れてるじゃない? 本当にいいわ。あなたも、あなたの霊も、可愛い」

 影や暗闇があるところでは無敵のダイバーズブラックを持つ彼女に“可愛い”等と言えるのは彼女だけ。

 それほどの力を持っている証明だ。

 だが、彼女の楽しみはそこで一旦終えることとなる。

「お取り込み中すみません、姫」

 艶やかさを持った少年の声。姫島の更に後ろに立っている制服姿の男子生徒も彼女と繋がりを持つ人物であった。

「あら、あなたも来たの。じゃあ今夜ウチでね、海莉」

 黒川は拘束を解かれ、乱れた制服を直している。

 落としていた封筒を拾い上げ、姫島は今度こそ持ってこられた資料を手に取った。

 中に入っていた写真と文章を読みながら、男子生徒の話を聞く。

「芹崎がやられました。つい先程です」

「ん? ああ、そんなのいたかしら。倒したのは……ダンシングナイト。相川舞夜でしょう?」

「よく分かりましたね。ですが、ついこの間、新たに三人の霊を出現させました。それぞれ単独でいるところを狙って始末させます」

 あまり興味がなさそうといった様子の彼女を見ても、彼は表情一つ変えなかった。

「報告は以上です。また経過を伝えに来ます」

「頼んだわよ。可能性を確信へ導く霊使いさん」

 片手をひらひらと振って彼の背中を見送ると、残された黒川の方を向いた。

「姫、私もそろそろ戻らなくては。昼は教師からも頼まれごとをしているので、行かないと後が厄介になります」

「少しだけ、待って」

 今度は両手で頬を掴み、逃さないようにして深いキスをした。

 数秒間、二人は止まったかのように動かなかった。

「この世で私に必要なものは、人の命を奪うという行為と海莉との時間だけ」

「……ありがたいお言葉です。私もあなたの側にいれる時間がもっと欲しい」

「いずれ、そうなるわ。私達以外の霊使いが死んだ時にね」

 一言、姫島夜宵が異常者であることは間違いなかった。

 しかし、まだそれは発端にしか過ぎず、彼女の凶暴性はこれから成長する。



 姫島は帰りも一人だ。

 それは当然、この時間も自分の欲求を満たすのに必要な時間だからである。

 その帰り道での出来事であった。

 駅まで歩いている最中、制服から隣にある荒波市の荒波高校のカップルが姫島にぶつかった。

 ぶつかられたのは姫島の方であったが、相手の女は無駄に高い声で痛いといった素振りをみせる。

「おいおい、どこ見て歩いてんだよお! しっかり前見て歩け、このブス!」

「ほんと、邪魔なんですけどお」

 二人揃って、だらしない見た目と髪型であることから、彼女に猿にも劣る知能しかないのは分かっていた。

 しかし、姫島は何も言い返さず、去っていこうとする男女の背中を睨みつける。

 しばらく二人の後を追うことにした。

 見つからないように身を隠しながら。そして、二人は誰もいない緑化公園へと足を踏み入れた。

 この場所に遊具などはなく、緑に囲まれた都内でも珍しい自然の多い場所で合った。

 ベンチに並んで座った二人の背中から迫ってみせる。

「ねえ、今日も家に行っていい?」

「またヤルのかよお。しょうがねえな」

 低俗な人間。お互いの性的欲求を満たす為だけに繋がっている分際で、他人を見下す男女ほど彼女の中で殺し甲斐のあるものは、自分よりも強い相手ぐらいのものである。

 彼女の中で殺意が最高潮になった瞬間、カップルは自分達の身長以上もある茂みに囲まれた場所に移動していた。

 いや、移動させられていた。

 ここならば、誰の犯行かはわからなくなる。

「え?」 

 女の方が疑問の声を漏らしたのは、目の前の男の胸に穴があき、心臓が掴みだされていたからだ。

 男の飛び出していた心臓はしばらく鼓動を続けていたが、次第に収まっていく。

 目の前にある状況をようやく理解し、悲鳴を上げ始める彼女の口を背後から塞いだのは姫島の手である。

 もう片方の手で人差し指を唇にあて、静かにというジェスチャーをしてみせた。

 怯える女の耳元で囁いてみせる。

「あなた、意外といい素質があるわ。肌も目も、ここも柔らかくてかわいい」

 紅潮し、息遣いの荒い姫島の手が女の胸を鷲づかむ。

 さっきぶつかった女、何でこんなところに、と涙を流しながら彼女は考えている。

「ねえ、どう? 今夜ウチに来てくれたら、三人で気持ちよくなれるけど」

 彼女の返事を聞こうと姫島が口を塞いでいた手を退けると、腰が抜けたのか足を引きずる形で姫島の顔を睨む。

「ふ、ふざけるな! 何よ、あんた!? さっきの仕返しのつもり!? 狂ってるわ!」

 その様子に自身の両肩を抱くようにして身を震わせる姫島は、恍惚の表情を浮かべていた。

「たまらないわ、その顔。私、もう濡れそう。でも、嫌なら仕方ないわよね」

 次の瞬間、彼女の姿が消えていた。

 そして、涙でぐしゃぐしゃになっていた女の頬が両手で力強く掴まれる。

 その手が首を半回転させ、骨の折れる鈍い音が聞こえた。

 糸が切れた人形のように倒れてしまったそれを見て、彼女はたまらない絶頂を迎えそうになっていた。

「命が終わる瞬間は何よりも美しい! 海莉、早く私の体を気持ちよくさせて……!」

 誰も見ていない。彼女が今まで犯してきた罪の断片すらもう残っていない。

 姫島夜宵はどうしようもないほどに『殺戮の姫』であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る