004 緑ピアスの青年
逆光。
シルエットが、細く、綺麗に、揺れる。
あまりにも美しいその影から、あたしは目が離せなかった。それは、毎週木曜日の帰り道にみかける、街を横断するゼブラの影に似ていた。群れを離れ、たったの一匹でこの街を生きる、寂しそうなゼブラの影だ。
美しいシルエットは、プロの大泥棒みたいに足音も立てずに、ゆっくりと歩き、あたしから伸びた影を踏んだ。影が重なり、あたしは息ができなくなる。割れた窓ガラスからこぼれる青をからだにまとって、逆光の魔法は解けて、ゼブラは人間に。シルエットの輪郭がはっきりしたとき、時間が止まったみたく、あたしは動けなくなった。少しでも空気を揺らしてしまったら、壊れてしまいそうなくらいの、儚さだった。あとなぜだか銃口を向けられていた。
「パンツ見えてんぞ」
第一声がそれだった。白と青の縦縞模様の、コンビニの制服を着た、青年だった。白く細い腕、鋭いひとみ、後ろで小さく結わった柔らかそうな金髪。あたしはコンビニのお兄さんの忠告をありがたく頂戴し、体育座りから正座に変えて、姿勢を正してもう一度青年を見上げた。整った綺麗な顔立ち。お兄さんは、あたしに向けた銃を降ろして、はぁと大きくため息をついた。
「なんだよ、ただの女子高生かよ、びびらせんなよ」
「ただの女子高生じゃないよ。神様の弟子だよ」
「やっぱやべえ奴だったわ、宗教勧誘は受け付けてないから帰ってくれ!」
お兄さんは決まりが悪そうに、長い間使われていないであろう倒れていた椅子を起こして座った。すらっと伸びた長い足を組んで、丸い煤けたテーブルに頬杖をついてあたしを見下ろす。随分とこの場所に慣れたような仕草だった。
「ここ、おにーさんの家なの?」
「違うけどそんなもんだ。だから帰れ」
「あ、不法侵入なんだ」
「あんたもだろ!」
そろそろ正座した足が痺れてきて、だけど体育座りはだめだし、あたしはそのまま砂ぼこりだらけのコンクリートに寝そべった。ひんやりとして気持ちがいい。お兄さんはリュックサックに銃をしまいながら、怪訝そうにあたしを見つめる。もう何がなんだか訳がわからないという顔だ。
「てかなんでこんな時間に、こんなとこに女子高生がいんだよ、危ねえだろ」
「あたしもよく分かんないの。この建物に呼ばれるみたいに、気付いたらここにいたの」
あたしの言葉にお兄さんは、少しはっとしたような表情を見せて、それから、ズボンのポケットから煙草をひとつ取り出した。ライターの火がなかなか着かなくて、歯車を指で擦る音が何度か響いた。
「おにーさんは、どうしてここに?」
「バイトの休憩でよくここに来るんだ。事務所じゃ気が休まらないし、それに――」
お兄さんが息を吸うたびに、煙草の先端の赤い火がモールス信号みたいにちかちかと燃えた。
「初めてここに来た時、おれもこの建物に呼ばれた気がしたんだ。足を踏み入れた瞬間、なんかこう、すっげえ馬鹿げてるかもしんないけど、巨大な魔物に食べられたみたいな、そんな感覚っていうか」
「馬鹿げてなんかないよ」
あたしはつい、遮るように言った。お兄さんがひとつも嘘をついていない事を、あたしは理解している。あたしは寝そべったまま、お兄さんは今にも折れてしまいそうな椅子に腰掛けたまま、なんとなくお互いの視線をそらすことができなかった。
ふと、割れた窓ガラスから夜の風が舞い込んだ。お兄さんの柔らかな髪の毛が揺れたとき、隙間から見えた耳元で、きらり、緑色が光った。
「きれいな、色」
ピアスだ。緑色の綺麗なピアス。
この人の耳たぶに空いた穴から、向こう側を見てみたい。なんて。
「あたしの、今日のラッキーカラーだったよ」
「ふうん、奇遇だな。あんたのパンツの色、今日のおれのラッキーカラーだった」
お兄さんの吐く煙草のけむりが、割れた窓ガラスからこぼれる青い光と反射して、砂ぼこりをきらきらを映し出した。まるで星みたいだと思った。星のなくなった世界の、七夕の夜の、最後のたったひとつの、星がここにあった。
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