第3話

「卒業できないかもしれない」寛は弱音を吐いた。


「できるさ」世良が言った。


「就職も決まっていない」


「決まるさ」


「なぜそう断言できる」


「学則第二十二条がある」


「学則第二十二条?」


 そんな学則は聞いたことがなかった。他の三人を見ると、安達も岸和田も常盤も口々に「学則第二十二条」と言うのだった。寛だけが知らなかったことらしい。


「入学にふさわしくない者は」世良が説明した。「我が校への入学を許可しない。ひとたび入学した者は、我が校の学生としてふさわしいふるまいをしなければならない。中途退学は我が校の学生にふさわしいふるまいではない」


「どういうことだ」寛は要点を掴みかねた。


「万が一卒業しそこなったら、お前は卒業しなければならないだろう。万が一就職しそこなったら、お前は就職しなければならないだろう」世良はポイントを解説した。


 寛は、その冷徹で非の打ちどころのない凄まじい論理に舌を巻いた。


「逃げ道なし、か」寛は、流しに溜まった洗い物を見るときのような憂鬱な目つきで、己の足首を固定しているギプスを見て言った。


「前から不思議だったんだが」安達が文字通り不思議そうに言った。「お前という奴は一体将来何がしたいんだ。おれにはそれが分からない」


 まさにそれこそ、寛が自分について分からないでいることだった。一体、自分は将来何がしたいのか。それが分からないがために、現在やっていることもどこかピント外れになるのだった。


「おれはまだ二十一歳の学生なんだ」寛は言い訳がましく言った。彼の誕生日は三月で、早生まれだった。二十二歳まではあとちょっとだけ間があった。


「お前は色彩を持たない奴か」岸和田がある小説の題名を引用して突っ込んだ。


「おれも二十一歳の学生だ」同じく早生まれの世良が言った。「だが、おれは二十五までに教授職を射止めるだろう。それから一足飛びに学部長になるつもりだ。四十歳までには最年少の学長になると思う。そして、四十五歳で引退する。それがおれの人生設計さ。すでに全工程の三分の一が終わろうとしてるんだが、これは予定よりもずいぶん早い。もっと早く引退するか、あるいは四十五歳までもっと仕事をするか、どっちかだろうな」


「ずいぶんなスピードで駆け抜けるな」寛は、世良がまだこの場にいることを確かめるように、頭からつま先へと視線を走らせた。


「そこが連中とおれたちの違いなのさ」世良はまだその場にいた。


「連中?」


「我々以外の連中」


「我々以外」


「連中は大学三年も終盤になってからのろのろと就活を開始する。ところが、おれたちは入学したそのときから就活をしているようなものだ。いいや、違うな。正しくは入学すること、つまり受験が就活に相当するのであって、入学はすなわち入社。おれたちは学生であると同時に、社会人として働いているようなものなのさ。まぁ、学生のふりをしたければそうもできるが」


 それを聞いて、寛は大学入学以来抱き続けていたすべての疑問が氷解したような気がした。しかし、一瞬ののちには、その答えは再び闇の中に姿をくらませてしまった。


「ということは、おれは小学校のときから働いていることになる」慶應幼稚舎出身の安達が言った。


「おれは高校から」慶應高校出身の岸和田が言った。


「おれもだ」同じく慶應高校出身の常盤が言った。


「世の中もその事実を知っている。世の中がその事実を知っているということを、おれたちも知っている。そこで我々は連携をとって社会で働く」


「我々」寛はうなった。


「個々の能力を社会に還元してこその仕事だ。我々はそれを最大限に活用する。我々はスモール・サークル・オブ・フレンズなのさ」世良は説明を完了した。


「おれはどうしたらいい」率直に言って、寛は話についていけなかった。


「新しい女を見つけろ。何なら紹介してやる」岸和田が言った。


 それが今の話に関係があるかどうか分からなかったが、寛にはひどく説得力があるように聞こえた。


「そうしてやってくれ。こいつが三田キャンパスのパンチラスポットで何時間も一人で座ってるのを見ると、おれは涙が出そうになるんだ」安達が同情心を起こして言った。


「モデルでも看護師でもいい」寛はすがりついた。本当に紹介してほしかった。


「いや、やっぱりやめておこう」気分屋の岸和田は簡単に前言を撤回した。「その代わり、お前には差し入れを用意しておいた」


「何を」寛は何でもいいからほしかった。


「すぐに分かる」岸和田は思わせぶりに言った。それから寛の耳元で囁いた。「この四年間は祭りみたいなもんさ。楽しめなかったらバカだぜ」


 その深夜、病室に突如として四人のベリーダンサーが現れた。


 彼女たちは寛のベッドを囲むと、官能的に腰をくねらせて踊りはじめた。それこそ岸和田が用意した差し入れだった。ベリーダンサーは非常に面積の小さい布切れを二枚身に付けているだけだった。我慢しきれずに触ろうとすると、寛は手をぺしっと叩かれた。


「見るだけよ」ベリーダンサーはウィンクして言った。


 寛は見るだけでも大いに楽しんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る