第2話

 寛が入院すると、大学の同期たちが続々と見舞いに訪れた。


 彼らは、寛に訪れた一連の不幸を自分の目で確かめるために、我先に病室に押しかけてくるのだった。そして、寛が本当に不幸な目にあったのだと分かると、これ以上面白いものはないというように遠慮なく声をあげて笑った。


 ドアを開けて颯爽と現れたのは、世良(慶應義塾大学・経済学部四年)だった。自信家で快活なこの男は、ソウルで開かれていた学会からわざわざこのために一時帰国したのだ。


「最近スカイダイビングに凝ってるから」開口一番、彼は言った。「飛行機から飛び降りて、窓から登場しようと思ったんだけどな。他の患者に迷惑だからやめておいた」


 世良は大学院への進学が決まっていたが、学部生のうちからすでに学会のエースと目されていた。世界中の学会を飛び回っては新しい論文を発表し、それをまとめた本も出版していた。これは学術書としては異例の三万部というヒットを記録していた。


 世良は昨年受験生向けの大学受験対策本も出版していた。この本はまたたく間に重版を重ね、その印税は最終的には平均的なサラリーマンの生涯賃金に達すると予測されていた。世良は、大学院生のうちに教授の座につくだろうと噂されていた。


 女性看護師たちの嬌声から逃れるようにして病室に入ってきたのは、岸和田(慶應義塾大学・法学部法律学科四年)と安達(慶應義塾大学・商学部四年)だった。


 岸和田は、ある有名アイドルグループの元メンバーで、日本で最もイケメン揃いと言われたそのグループの中でも一人群を抜いてイケメンだった。ということは、日本で最もイケメンだといっても過言ではなかった。三田祭のミスター慶應コンテストでは、彼が参加すると勝負にならないという理由で出場登録を禁じられていた。


 岸和田は、病室にたどり着くまでの間に七人の女性看護師の連絡先をゲットしていた。そのうち五つは一方的に渡されたものだった。


「次は看護師と合コンだな。制服で来てもらうか」


 岸和田が、眩しさに思わず目を細めてしまう自慢の白い歯を輝かせて言った。彼にあっては自慢は歯だけではなかった。全身のすべてのパーツが自慢だった。


「おれはそれに参加するだろう」安達が未来を予言するように言った。


 安達は、口数が少なく何を考えているか分からないところがあったが、どこか危険な匂いのする男だった。彼の父親は世界的に名を知られた実業界の大物だと言われていた。一方では、裏社会を牛耳る闇の帝王なのだという噂もあった。事実はその両方なのかもしれなかった。安達自身は、決して親の職業を明かそうとしなかった。


 安達は、卒業後は国立の経済研究所で働くことが決まっていたが、その一方で世良とともに起業する計画もあった。二人は、安達個人が所有している瀬戸内海のある島を、老人のユートピア――もしくはディストピア――にしようと目論んでいるのだった。超高齢化社会に備えて、次世代の社会システムのあり方を模索するのがテーマらしい。


「ちなみに今日はモデルと合コンだ」岸和田が軽やかに言って笑顔を決めた。自慢の歯がきらりと光り、暗く沈みがちな病室の光量が増した。


 岸和田はアイドルグループを脱退した現在、ソロでアルバムを出したり映画に出演したりしており、その人気は今やアジア全域に及んでいた。にもかかわらず、卒業後はIT系のトップ企業に就職が確定しており、芸能活動のかたわら一社会人として働くというのだ。アイドルである前に人であることを忘れたくないというのが本人の言だった。


「おれはそれに参加するだろう」今度はソウルにとんぼ返りする予定だった世良が言った。


「学会は?」ベッドの上で劣等感に苛まれていた寛は、余計なおせっかいを口にした。


「まず合コンに出る。それからソウルに戻る」世良がスケジュールを整理しながら言った。


「おれも、モデルとの合コンに参加するだろう」寛は痛みを堪え、むっくりと起き上がりながら言った。


「ダメだ」


「無理だ」


「足手まといになる」世良と岸和田と安達はすげなく言った。


 そのとき、廊下から「ぬあーっはっはっはっはーっ!」と病棟を揺るがすような笑い声が響いてきた。常盤に違いなかった。誰がおかしいことを言ったわけでもないのに一人で大笑いしながら登場するのが、計り知れないスケールを持つ常盤という男だった。


「おい、世界で初めて空飛ぶ車を実用化するのはおれだぞ」病室に入ってくるなり、常盤(慶應義塾大学・法学部政治学科四年)は宣言した。


「何の話だ」寛は、何となく悔しくなって言った。


「うちの大学の研究チームを組織して、ある発明家と手を組んで空飛ぶ車の開発にとりかかった。五年、いや、三年で何とかなると思う。岸和田、完成したらCMに出ろよ」


「いいよ」岸和田は簡単に請け負った。


 常盤は、春から官僚としてエリートコースを歩むことが決まっていた。何かというと新しいチームを組織したり、既成の組織を改革したりすることが好きな男で、そのカリスマ性でリーダーシップを取るのだった。彼の優れた弁舌はTVの討論番組でもいかんなく発揮されていた。常盤には人に命令を下す稀有の才能があった。


「おれは」常盤はあっさり言ってのけた。「そう遠くない将来、世界を手に入れるだろう」


「半分くれ」寛はすねた子供のように口を尖らせて言った。


「ダメだ」常盤は即座に却下した。「そして、大学にはおれの名を冠した奨学金が設立されるだろう」


 世良、岸和田、安達、常盤の四人の経歴は完璧で、卒業後の進路も約束されていた。彼らには成功に至る道が開かれていた。何にも邪魔されない、目的地まで高架で一直線にすっ飛ばせる道だった。しかも、その道の両側にはモデル級のルックスの女たちがずらりと並び、スカートの裾をつまみ上げて太ももをちらちら見せながら立っているのだ。


 寛はといえば、その道の路肩に木箱を置いて靴磨きをやるのがせいぜいといったところだった。彼は坂下みな実とのすったもんだの恋愛の末、就職活動を途中で放棄してしまっていたし、卒論も期限に間に合わせることができなかった。


 卒論は全体の四分の三まで書いたものの、残りは目次だけという状態で提出したのだった。担当の沼尾教授は「何とかしてみよう」と言ったが、その口ぶりからするとあてにはできなかった。


 この分では卒業は危うかった。そうなればもちろん卒業旅行に行くこともできない。卒業旅行はそれぞれ別のルートで世界一周するという話になっていた。途中、日本の裏側に当たるブラジルのポルト・アレグレという港湾都市で落ち合って、「陽気な港」を意味する町の名前通り、陽気に飲んで騒ぐ計画だった。


 寛もそれに参加したいと思っていた。そのためにこっそり金も溜めていた。しかし、仮に卒業できたところで、この怪我では海外旅行など無理だった。寛は今、ろくにベッドから出ることもできなかった。世良たちとの差は、あまりにも歴然としていた。


「どうやったらふられて骨折できるんだ」常盤は、彼にだけできるやり方でいきなり核心に触れた。


「まずふられた。そのあと骨折したんだ、自転車に轢かれて。その前には高校生にリンチにあってる。ふられて、リンチにあって、自転車に轢かれた」安達がなるべく正確を期して説明した。


「高校生というのは富田林が卒業した地元の学校の後輩だ」ルービックキューブの最年少記録を持っている世良が、機転を利かせて付け足した。


「ちょっとじゃれあっただけだ」寛は弁解した。


「それからクラゲにも刺された」岸和田も情報を添えた。「カツオノエボシ。猛毒がある。普通はGW頃に現れるんだが、この異常気象だからな」彼は海洋生物の生態にも詳しかった。


「おれはクラゲに刺されたことなどないぞ」常盤が聞いてもいないのに言った。


 この連中と一緒にいると、寛はいつも自分が何の取柄もない田舎者であるかのように感じられたが、今ほど惨めな気持ちになったことはなかった。何もかも手にしているように見える同級生たち。それに引き換え、何ひとつ持っていない自分。寛の父親は地元小田原市の公園管理事務所で働いており、母親は主婦だった。


 かつて、寛の家柄や出自を聞いたとき、岸和田は率直な驚きを表明したものだった。


「そんなことが可能なのか? おれはまた、世帯収入が少なくとも三千万以上あるか、三親等以内に医者や弁護士や経営者や国家公務員といった人物が五人以上いるかしなければ入学できないんだと思ってた」


 ここが寛の地元であり、今いるのがまさに彼が生まれ出でた病院(小田原市立病院)でもあったことから、岸和田が懐かしむようにその話を持ち出した。世良も安達も常盤も、かつての岸和田と同じように率直な驚きを表明した。


「それでもおれは入学した。現役で、偏差値の一番高い学部に、独力で」


 寛は虚ろな眼差しで言った。そんなことはこの連中にとって何ほどのものでもないと痛いほどよく分かっていた。それでも言わずにいられなかった。それだけが寛の心の拠り所だったのだ。


「そんな細かいこと、誰も気にしてないぞ」岸和田は愉快そうに笑った。


 寛は、心の傷も身体の傷もしばらく癒えそうにない気がした。

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