エピローグ
カザーリオ帝国の新皇帝の即位式には、周辺国の王族たちが招かれていた。当然、一年前まではカルロスの下で厳しく支配されていた属国の者たちもいる。しかし、即位式では各々の複雑な心の機微は一切見せず、厳粛に、そして晴れやかに行われた。
エレノアは皇女として即位式に立ち合い、その後の祝賀会にも参加した。
「はあ、疲れた……」
舞踏会が行われている大広間から人気のないバルコニーへと移動して、エレノアは大きなため息を吐く。今の今まで、息つく暇もなかった。息を吐いて、上を見上げると、夜空にはきれいな満月が浮かんでいた。
「なんだか、夢みたい」
一年前、自分が悪魔の花嫁になりたくなくて〈鉄の城〉を抜け出し、ジルフォードに出会ったことも、今こうして皇女エレノアとして国を背負っていることも。すべてが夢のように感じられた。しかし、ジルフォードへの想いは本物だ。会いたい気持ちは日に日に増しているのに、会って拒絶されたらと思うと怖くて、国が安定してからという条件を付けて逃げていた。
一年前は、ただジルフォードに会って、気持ちを伝えるだけでいいと思っていたのに。
ジルフォードにも自分を愛してほしい。自分とともに生きてほしい。
収拾屋にいた時のように、ただ側にいるだけではもう満足できない。
いつの間に自分はこんなにも欲深くなってしまったのだろう。
だからこそ、会いに行けない。エレノアにはまだ、振られる勇気はなかった。傷つきたくなくて、先延ばしにしていた。
「エレノア」
ふいに耳に届いた低く優しい声に、エレノアの心臓がはねた。
そんな、あり得ない。
でも、確かめずにはいられない。エレノアはそっと後ろを振り返った。
「ジルフォード様……!」
そこに居たのは、まぎれもなく本物のジルフォードだった。
満月に照らされた蒼い髪は一年前よりも短くなっていて、群青色の瞳はエレノアをまっすぐ映していた。
「久しぶりだな、エレノア」
「ジルフォード様、ずっと、お会いしたかった……!」
エレノアは、ぎゅっとジルフォードに抱き着いた。胸に顔をうずめ、ジルフォードが本当にここにいるのだということを感じる。
「でも、どうしてジルフォード様がここに? 収拾屋は……それに、その服は……?」
抱きついた時に、ジルフォードの胸にごつごつとした装飾があるのに気が付いた。
よく見ると、それはカザーリオ帝国軍の騎士服だった。それも、【黄金】所属である黒地に金の刺繍が入った騎士服だ。
目の前にジルフォードがいるのだと分かったら、今度は様々な疑問が湧いてくる。
エレノアが戸惑いながら問うと、ジルフォードは一歩離れて膝をついた。
そして、彼はエレノアを見上げて口を開く。
「俺には妹がいたんだ。名前はサラ。戦争中、兵士に殺された。エレノアに初めて会った時、守れなかった妹を思い出して、皇女だと分かっていても今度こそ俺が守ってやりたいと思ってた」
突然の告白に、エレノアは息をのんだ。ジルフォードに妹がいたことは初耳だった。それに、自分を妹と重ねていたことも。
「エレノアは、俺を愛してると言っただろう? 過去に守れなかった者たちを思うと、俺は誰かに愛される資格も、誰かを愛する資格もないと思っていた。だが、エレノアと過ごす時間の中で、俺はようやく
言葉を区切り、ジルフォードはそっとエレノアの手を取った。
「俺は、エレノアを愛している」
群青色の双眸でまっすぐにエレノアを見つめ、ジルフォードははっきりと言った。エレノアがずっと待ち望んでいた、夢にみていた言葉。絶対に聞くことはないだろうとあきらめていた愛の告白。
「誰かのために一生懸命なところも、目を離せない危なっかしいところも、エレノアの全部が愛おしくてたまらない。だから、もう一度ここへ来た、皇女となったエレノアに相応しくあれる騎士として」
「ジルフォード様、本当に……?」
エレノアのために、ジルフォードは再び騎士となった。エレノアは目に涙を浮かべ、信じられない思いでジルフォードに問う。
「あぁ。エレノア、愛してる。エレノアは、まだ俺を想ってくれているか」
少しだけ不安そうに、群青色の瞳が揺れる。
あんなにも愛していると言ったのに、一年くらいでエレノアの気持ちが変わると本気で心配しているのか。返事を待つジルフォードがなんだか可愛く思えて、エレノアはわざと怒ったような顔を見せる。
「ジルフォード様、そんなことを聞くなんて酷いですわ。私はもうずっと、九年前からジルフォード様のことだけを愛しているというのに……っひゃ」
少しツンとして言ってみせると、ジルフォードはにっと笑ってエレノアを腕に抱き上げた。横抱きにされた状態で、ジルフォードと見つめあう。これが本当に現実なのだと実感し、エレノアは思わず笑みをこぼす。
「ジルフォード様、大好きです」
何度目か分からない告白に、ジルフォードは優しく笑みを返す。
そして、唐突に「エレノア、キスをしてもいいか」と真剣に聞いてきた。
「もちろんですわ。私がキスをしたいと思うのも、これから共に生きたいと思うのもジルフォード様だけですもの」
そうか、と嬉しそうに頷いて、ジルフォードは抱きかかえたままのエレノアに優しく口づけた。
軽く触れるだけのキスは、少しずつ深くなり、エレノアは愛しい人とのキスに酔いしれた。
「ジルフォード様、愛していますわ」
「あぁ、俺もエレノアを愛している」
――“悪魔の花嫁”も、〈蒼き死神〉も、もういない。
これから、恐怖と血にまみれていたカザーリオ帝国は新たな時代へと歩いていく。
大切なものを失わずにすむ、誰もが心から笑える平和な世界を目指して。
悪魔の花嫁と蒼き死神 奏 舞音 @kanade_maine
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