第48話 皇女として
光に包まれて消えた悪魔を前に、エレノアは何が起きたのかすぐには理解できなかった。
「ジル…フォード、様……」
呆然と、愛しい人の名を口にすると、ジルフォードはしっかりと頷いてくれた。魔法陣はもう光を失い、エレノアの足元には薄っすらと血の跡だけが残っていた。
「もう、悪魔はいない。エレノアは、もう“悪魔の花嫁”ではなくなったんだ」
ジルフォードの低い声が、心地よく耳に届く。そうして、ようやくエレノアはその事実を受け入れることができた。
この十七年間、ずっと脅え、諦め、絶望していた未来。
ジルフォードのことを知らなければ、心を殺したまま、受け入れていただろう未来。
恋をして、どんな未来がくるとしても、黙って受け入れるのではなくあがいてみようと、エレノアは箱庭を飛び出した。
そして、エレノアは憧れるだけではない、本当の恋を知った。
ジルフォードがいてくれたから、エレノアは変わろうと思えた。
ジルフォードが、エレノアの運命を変えてくれたのだ。
「俺と一緒に帰ろう」
震えるエレノアの身体をそっと抱きしめて、ジルフォードが言った。
永遠の別れも覚悟してさよならを告げてきたのに、ジルフォードはエレノアのために〈鉄の城〉まで来てくれた。
確かなジルフォードのぬくもりを感じて、エレノアは涙をこぼす。
外に飛び出して、いろんなことを知った。誰かと一緒に笑うこと、誰かと一緒に悩むこと、誰かと一緒に手を取り合うこと。誰かと幸せを分かち合うこと。大切なものを守りたい、という強い意志。
それらは、外と隔絶された〈宝石箱〉では知るはずのなかったことだ。
そして、エレノアは今、“悪魔の花嫁”ではなくなった。
ジルフォードと一緒に、逃げるようにして帰ることもできる。
「ジルフォード様、申し訳ありません。私は、皇女です。ずっと放置されていて、殺されかけた皇女ではありますが、こんな状態の城を放ってはおけません」
きっぱりと、自分の強い意志をもって告げると、ジルフォードはにかっと微笑んだ。
「そう言うと思った。よし、じゃあ俺も元帝国軍騎士として力を尽くそう」
どこまでこの人は優しいのだろう。エレノアは泣きそうになりながらも、頭を下げた。
「エレノア様! 一体、何が起きたのですか」
悪魔の力に耐えられなかったファーゼスが、ようやく目覚めて驚いている。その後ろには、ガルティもいて、皇帝陛下が血まみれで倒れていて第一王子とその騎士が縛られて床に転がっていることに目を疑っている。
「えっと……とりあえず説明は後。二人には今すぐに王宮医務官を連れて来てほしいの」
エレノアの言葉に、ファーゼスとガルティは黙って頷き、謁見の間を出て行った。
「お母様、しっかりして」
母の細い身体は、エレノアでも抱き起せるほど軽かった。こんな身体で、どれだけの心労に耐えてきたのだろう。もっと早く、エレノアが行動していれば何かが変わったのだろうか。しかし、すべては今だから分かること。後悔しても何も変わりはしない。
「……エ、レノア…」
かすれた声で、ジャンナがエレノアの名を呼ぶ。
「お母様、ごめんなさい。ごめんなさい」
「どうして、あなたが謝るの。あなたは何も悪くない。悪いのは、わたくしたち……」
悪魔と契約したカルロス。そして、巫女の家系でありながらカルロスを止められなかったジャンナ。二人の判断が、過ちだったのだと。
「いいえ、いいえお母様っ! だって……守ろうとしてくれたのでしょう?」
他の方法を考える時間がないくらい、追い詰められていたのだ。
今なら、エレノアにもその気持ちが分かる。誰しも、大切な人を守りたいと願うもの。それが、追い詰められた極限状態の中では尚更、選べる選択肢は限られてくる。カルロスもジャンナも、悩んだはずだ。苦しかったはずだ。二人がそうして悩み、苦しみ、手にした未来だから、エレノアは生きている。本当だったら、侵略されて皆殺されていたはずだったのだ。それを思うと、許すとは簡単には言えなくても、一方的に責めるなんてことはエレノアにはできない。
「過去のことは、もういいの。でも、これからこの国は変わっていかなくちゃいけないわ。お父様とお母様は、血に濡れた帝国になるために守ったはずではないもの」
エレノアは涙を流す母に笑みを向け、やるべきことをやるために立ち上がる。
ちょうど、人質になっていた医務官たちを騎士たちが連れて来てくれた。医師たちによって別室に運ばれていくカルロスとジャンナを見て、エレノアは自分についてきてくれた五人の騎士たちに告げる。
「閉ざされた門を、開けるわよ」
騎士たちは、緊張感のある面持ちで頷いた。
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