第38話 復讐に囚われて
「待ちくたびれましたよ、〈蒼き死神〉」
穏やかな口調でジルフォードを迎え入れたのは、仮面の男。目元を覆う仮面は漆黒で、夜の闇を思わせた。おそらくは、この男が【新月の徒】のリーダーなのだろう。畏れ多くも、謁見の間で、王座に座っている。それも、血に濡れた皇帝の身体を踏み台にして。
しかしジルフォードが何より驚いたのは、男の声に聞き覚えがあったからだ。
「お前は、誰だ……?」
ジルフォードが問うと、仮面に隠されていない口元は嬉しそうに笑みを浮かべた。
「ライディ=カイドール、そう言えば分かりますよね」
その名を聞いて、ジルフォードは息を呑んだ。
ライディ=カイドール。あまりに知り過ぎている。
「……あいつは、死んだはずだ」
十年前、カルロスに毒を盛られ、苦しんでいたライディの息の根を止めたのは、ジルフォードだ。
忘れたことはない。あの日、自分が命を奪った部下たちの名前を。
「えぇ、そうですね。ライディは〈蒼き死神〉の手で殺された。だが、あなたはライディを毒の苦しみから救ってくれた……悪いのはすべて……この、男ですねっ」
言いながら、仮面の男は足元のカルロスの身体を踏みつけた。彼が口にした名前と、その口ぶりで、ジルフォードはこの男が誰なのかを悟った。
「レイモンド……何故、お前がこんなことをしている」
レイモンド=カイドール――ライディの弟だ。レイモンドは、ジルフォードが率いる【白銀】ではなく、【青銅】に所属していた。
部下の命を奪った自分が隊長として騎士団を率いることはできない、とジルフォードはカルロスに黙って帝国軍を去った。カルロスからは何の接触もなく、ジルフォードはその後の帝国軍の様子を知ることもなかった。だから、レイモンドがあの後どうしていたのかも知らなかった。
しかし、レイモンドが【新月の徒】のリーダーになったのは、あの日がきっかけなのは間違いない。ジルフォードの拳には、知らず力が入る。
「そんなの、決まっているじゃありませんか。復讐するのですよ、この国に。兄はこの国に、この男に殺された。忠誠を誓い、守ろうとしていたものに裏切られたんだ!」
落ち着いていた口調は次第に感情的になり、レイモンドは力任せにカルロスの身体を蹴った。かすれた呻き声を上げ、カルロスは階段を転がった。そして、ジルフォードの手が届く範囲まで落ちてきた。首には鎖を巻きつけられ、腹部は血で真っ赤に染まっている。生きているのが不思議なくらい、ボロボロの姿だった。
「だから、エレノアを呼び出そうとしたのか? 復讐に利用するために」
「あなたこそ、どうして皇帝の娘などを匿っていたのですか? 殺してしまえばよかったのに……何故、守ったのです?」
「俺はもう、何も失いたくないだけだ」
帝国軍にいた時は、奪うことばかりだった。それが、国を守ることだと思っていた。
贖罪の気持ちではじめた収拾屋は、今では大切な場所になっている。ロイスがいて、たくさんの人と関わって、思い出が詰まった、かけがえのない場所だ。その思い出に、エレノアももう入っている。
「あなたは、僕と同じ、いや、それ以上に皇帝を憎んでいるはずでしょう。今からでも遅くない。僕たちと一緒にこの国に復讐しましょう。そのために、あなたをここへ呼んだのです」
レイモンドは両手を広げ、宣言した。
「……俺が許せないのは、俺自身だ」
カルロスが悪魔と契約する前に、戦狂いと言われ始める前に、止めることができたなら。毒に侵された部下を救う方法を他に見いだせていたら。自分にもっと、力があれば。後悔と自責の念が押し寄せる。
許せないのは、何も守れなかった自分自身だ。
ジルフォードは、カルロスを憎んではいない。
カルロスは、大切なものを守るために強さを求めたはずなのに、いつしかその大切なものさえも見失ってしまった。
残酷な運命を選ばせてしまったことが、悔しい。心優しかった彼を失ってしまったことが、哀しい。
「あなたは、悪くない! 人々を力で支配し、苦しめるこの冷酷非道な皇帝こそが元凶なのです。もう、この国は腐っている。終わらせなければならない。我々【新月の徒】は、ただの低俗な賊ではない。この国に革命を起こすのです。そのためには、あなたの、〈蒼き死神〉の力が必要です」
レイモンドは必死だった。あれから、レイモンドは憎しみだけを糧に生きてきたのだろう。そのために、きっと【新月の徒】は結成されたのだ。
「革命、か。たしかに、この国には新しい風が必要なんだろう。だが、それはお前たちではない。もう、やめろ。お前達には、復讐以外の道もあるはずだ」
今度こそ、止めなければ。こんなことをしても、自分を追い詰めるだけだ。
仮にもし、皇帝を廃したとしても、第一皇子ブライアンがいる。皇族すべてを消そうというのなら、カルロスがしてきたことと変わらない。たとえカルロスから大切なものを奪ったとしても、奪われた命はもう戻ってこないのだ。復讐心に燃えているうちはまだいい。しかし復讐を終えた時、何が残るというのだ。ただ、虚しいだけだ。心に闇を住まわせるだけだ。
ずっと、過去の闇を抱えて生きてきたジルフォードには、その苦しみがよく分かる。
そして、その苦しみを和らげてくれたのは、〈蒼き死神〉と呼ばれた自分に恋をする少女の笑顔。
――ジルフォード様に出会えて、一緒に過ごすことができたから……エレノアは、とても幸せでした。
そう言って、エレノアはジルフォードの前から去って行った。
(勝手に終わらせやがって……)
ジルフォードは、エレノアのことを過去にするつもりなどない。好きだ好きだという態度を散々取っておきながら、あっさり身を引かれた。そのことに、ジルフォードは内心かなり腹を立てていた。
エレノアのおかげで、ジルフォードは過去を過去として向き合う覚悟ができたのだ。
ずっと過去を引きずって生きてきたのに、エレノアに出会ってジルフォードの何かが変わった。
だからこそ、エレノアをこの手に取り戻したい。
「レイモンド、お前にも幸せを願う奴がいるだろう。復讐よりも、よっぽど大切なものがあるはずだ……!」
自分の幸せを望んでもいいのだ。
そのことに、気付いてほしかった。
「ふっ、ははは……そんな甘ったれた言葉、あなたの口から聞きたくありませんでしたよ。僕を止めるつもりなら、あなたのことも容赦しません」
レイモンドが硬い声で言ったその時だった。
「何やら、面白そうな話をしているね」
王座の裏のカーテンから、蜜色の髪と赤い瞳を持つ貴公子が現れたのは。
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