第37話 死神の涙

 ――カザーリオ帝国は西大陸を制圧した。この勢いに乗り、東も支配下に置く……。


 小さな幸せを、必死に守ろうとしていただけだった。一日、一日が平和に過ぎることを願っていただけだった。

 それでも、侵略者はこの国を狙う。この国には、それだけの価値があったのだ。

 薬草大国、メディボア。それが、カザーリオ帝国となる前の小国の名。

 どんな病もたちどころに良くなる万能薬から、一瞬で命を奪う毒草まで。どんな薬も、メディボアにあると言われていた。薬草学もどの国よりも発達しており、貿易のほとんどが薬草だった。

 しかし、その薬草が他国を狂わせた。輸入することでしか手に入らない薬。他国同士のいさかいだったはずなのに、いつしかメディボアが標的になっていた。兵士に万能薬を与えれば戦力になり、毒草を敵国に与えれば兵器になり、メディボアを手に入れれば戦争は確実に有利になる。

 宣戦布告直後、防衛準備もできないまま攻め入られ、無抵抗だったメディボアはただただ蹂躙された。そして、薬草の一部を奪われ、大切な薬草園は燃やされた。

 小さな国に多くあった薬草園は、周辺国に村や町ごと襲われた。

 時には奪うために、時には他国に奪われないために。


 平和だけを望んでいた国王は、自分の大切なものを守るために禁忌に手を出した。

 そうしなければ、メディボア王国の戦力では太刀打ちできなかったのだ。


 国王が反撃に出ると宣言し、鍵となったのは紫色の薬草。

 付けられた名称は、『刹那の夢』。


 新種の万能薬という情報を流せば、敵国はおもしろいくらいに飛びついた。今までただ黙って耐えていた国が、反撃に出るなどとは思わなかったのだ。特別な調合方法によりメディボアの国民以外には無害なその薬は、他国の人間にとっては猛毒だった。

 薬草によって平和を奪われた小国は、毒草によって周辺国に牙をむいた。

 そして、騎士たちの育成も進み、周辺国の戦力も奪い、西大陸を統一したその国は、もう小国ではなかった。

 周辺国をすべて呑みこんだ最強の国、カザーリオ帝国。

 一度走り出した歯車は、もう止まらない。カザーリオ帝国に刃向う者は誰もいなくなった。

 そして、皇帝カルロスは西大陸を支配し、大陸の東に目を向け始めた。



 ――カルロス殿、あなたの国はもう十分大きくなった。これ以上を望めば国は滅びますよ。

 そう言ったのは、東大陸の大国ブロッキア王国国王エレデルト。神に守られているという伝説がある国に、カザーリオ帝国は歯が立たなかった。反撃を開始して、初めての敗北である。ブロッキア王国は、カザーリオ帝国を支配下に置くのではなく、平和条約を要求してきた。

 ――カルロス様、平和条約を受け入れましょう。もうこの国は強さを手に入れた……。ようやく、心から笑える日が来たのです。

 もう一度、機を見て戦争を仕掛けようと考えていた皇帝の耳に、彼の心を逆なでる言葉が聞こえてきた。人目を引く蒼い髪を持つ青年、ジルフォード。騎士団に入団し、すぐに隊長格まで昇格した実力者である。

 ――お前に何が分かるというのだ! この国は、私は、まだ終わらぬ……!

 表面上、カルロスは平和条約を受け入れた。このまま戦争を続けても、敗北する未来は目に見えていたからである。

 だから、待つことにしたのだ。ブロッキア王国が崩れるのを。



 ジルフォードは、カルロスの暴走を止めたかった。

 かつての優しい国王に戻って欲しかった。

 だから、戦争は無意味だと反対し続けていた。カルロスは条約によって東に手を出せない代わりに、再び西に軍隊を向けた。支配下に置いた国々が逆らわないように、恐怖を植え付けるために。


「ジルフォード、私は知っている。お前がブロッキア王国の国王と話をしていたことをな」

 内密な話があるから、とカルロスに呼び出されたのは、つい先日ブロッキア王国に敗北した戦場跡地だった。

「我が国の平和を思ってのことです。エレデルト国王はとても優しく聡明なお方。同盟を結ぶこともできましょう。いつまでも対立していては……」

 ジルフォードが言葉を続けようとしていた時だった。ぐったりとした【白銀】の騎士たちが数人連れて来られたのは。

「……皇帝陛下! これはどういうことですか!」

 部下たちは、『刹那の夢』に侵されていた。

 敵国を攻めるために使用された毒草、『刹那の夢』。

 これに侵された人間の目は、紫色に染まる。そして、目の色素が紫に染まった時にはもう手遅れだ。毒に侵された者は、内側から壊される。

 毒の苦しみから逃れる方法はただ一つ……死ぬことだ。

 しかし、毒に侵された者は指先ひとつ動かすことができず、自殺さえできない。ただ、苦しみながら死ぬ時を待たなくてはならない。

 部下たちは、皇帝陛下直属の【黄金】の騎士によって担がれ、ジルフォードの目の前に転がされた。

「自国の人間には無害だったはずではありませんか!」

 『刹那の夢』は、他国の人間にしか効果のない毒草だった。それなのに、どうして。

「……まさか、改良したのか」

「これで、お前は私に逆らうこともないだろう?」

 今後、ジルフォードが逆らえば、部下が死ぬ。目の前で毒に侵されている部下たちは、ジルフォードにもっとも近い者たちだった。

 心などない、冷たい笑みを浮かべたカルロスに、昔の面影などなかった。

 ジルフォードが怒りと絶望に震えるのを見て、カルロスは【黄金】の騎士と共にこの場を去って行った。


(俺は、ずっと何のために戦っていたんだ……)


 大切なものを守るために、強くなったはずだった。皆が大切なものを失わないように、平和を願っていたはずだった。

 だからこそ、カルロスに心からの忠誠を誓っていた。どんな命令があろうとも、これは平和のためなのだと剣を振るった。

 いつから、変わっていたのだろう。

 いつから、自分はカルロスの変化に気付かないふりをしていただろう。

 自分の言葉が届くと信じていた。いつか、平和を取り戻せば、あの頃のカルロスが戻ってくるだろうと信じていた。

 しかし、その想いは裏切られた。

 ジルフォードを慕い、ついてきてくれた部下は、自分のせいで苦しんでいる。


「隊、ちょ……たすけ……て…くだ……」

 部下たちが、苦しみながら声で懇願してくる。このまま放置すれば、苦しみが長引くだけだ。

 彼らの命を助けることはできない。しかし、苦しみから解放してやることはできる。その命を、絶つことで。

 毒のことを理解している部下たちは、それを望んでいる。ジルフォードの手で、終わらせてほしいと、その目が言っている。

「すまない。お前達を、守ってやれなくて」

 腰に差していた大剣を抜き、ジルフォードはその剣を今まで苦楽を共にしてきた仲間に向けた。


「うあああぁぁぁ……っ!」


 悲痛な叫び声が空に届いたのか、突如雨が降り始めた。

 その雨は、部下の血に染まった〈蒼き死神〉を洗い流すかのように、強く、強くジルフォードに降り注いだ。


 冷たい雨の中、ジルフォードはただ静かに、涙を流していた……。

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