第31話 死神の過去

 燃え盛る火の粉を避けながら、蒼い髪の少年は必死に叫んでいた。

「サラ! どこにいる!」

 隣国ファリネスが急に戦争をはじめ、国境近くにあった少年の村は戦火に焼かれた。突然のことに、誰もどうすることもできなかった。両親を事故で早くに亡くしていた少年にとって、大切な家族は妹ただ一人。出稼ぎに出ていたため、少年はこの戦火に気付くのが遅れた。気になるのは妹の安否だ。どこかで無事に生きていてくれ、そう願いながら、少年は妹の名を叫ぶ。時々、ファリネス軍の兵士たちが金品を強奪したり、逆らう村人を殺す様子を目の当たりにして、少年の心臓は大きく跳ねる。

「サラ! サラ、どこだ!」

 教会近くの屋敷に、少年は妹と一緒に住みこみで働いていた。しかし、帰った時その屋敷に妹はいなかった。兄である少年を探して出て行ったのだと聞き、恐ろしい想像をかき消しながら少年は村中を探し歩く。

「……可愛い子なのに残念だったなあ」

「簡単に死んじまって」

「もっと楽しませてほしかったな」

 がはは、と下品に笑う兵士の声がどこかから聞こえた。少年は、物陰から兵士たちの様子を見た。三人の兵士は、恐ろしいほどに闇を抱えた目をして笑っていた。その目線の先にいたのは、少年の妹だった。乱暴をされそうになって抵抗したのだろう、服は乱れて白い肌は青黒い痣だらけになっていた。そして、その手には血に濡れたナイフがあった。少年が護身用に、と持たせていたものだった。ナイフの血は、妹のものではなかった。一人の兵士が手から少量の血を流している。傷は浅い。大人の男相手に、まだ九歳の妹が立ち向かえるはずがない。少年の妹サラは、必死に抵抗したのだ。しかしそのために、殴り殺された。

 あまりの衝撃に、少年は動くことができずにいた。兵士たちはその間に去って行く。怒りで身体が震えて、うまく息ができない。頭がおかしくなりそうだった。

「……ぉ、にぃ、ちゃ…ん」

 死んだ、と思っていた妹の口からか細い声が聞こえてきた。その瞬間、固まっていた少年の身体は妹の元へと駆けだしていた。

「サラ! しっかりしろ。お兄ちゃんが来たからもう大丈夫だ! お医者さんのところへ行こう」

 妹の身体を横抱きにして、少年は走り出す。

「お兄ちゃん、ありがとう……」

 少年の腕の中で、妹は今度こそ本当に息を引き取った。しかし、少年は涙で前がかすんでも、絶対にまた妹が目を開けると信じて医者のところまで走る。腕に抱えた妹の身体はどんどん重たくなって、少年の足取りまでも重くする。その視界に、妹を殺した兵士三人が映った。

「お前たちのせいで……! サラを返せっ!」

 涙を浮かべながら大声で叫び、少年は三人の兵士へと足を向けた。兵士たちは新しい玩具でも見つけたかのように楽しげな黒い笑みを浮かべ、少年を待っていた。

 しかしその直後、少年は何かあたたかなものに抱えられ、視界は真っ白に塞がった。

「辛い想いをさせてしまったね」

 優しい声が降って来た。今にも泣き出しそうな顔で少年に頭を下げたのは、王族の紋章を背負った男だった。男の背後には、妹と殺した三人の兵士が血を流して死んでいた。その側で剣をおさめたのは、自国の騎士だった。

 脱力し、妹を抱えて少年は座り込む。一人ぼっちになってしまった。目の前の光景が信じられない。昨日まで喧嘩をしながらも仲良く二人で生きてきた妹が、もう二度と目を開けないなんて。

「私は、この国の王カルロス。私が不甲斐ないばかりに、敵に好き勝手されてしまった……君の妹さんを守ることができなかった。本当にすまない」

 優しげな目元を涙で歪めて、国王は心からの謝罪を口にした。一国の王が、小さな村の少年に頭を下げた。これがどれほどのことなのか、妹を失ったショックが大きかった少年にはまだ分かっていなかった。しかし、この国は平和でありたいと願う優しい国王が治める国だと知っていた。平和を願うからこそ、戦争に踏み出せない。その隙を狙って、周辺国は攻めてくる。あちこちの国から無茶な要求を押し付けられ、この国はもうボロボロだった。

「……俺がいけなかったんだ。俺が守らなきゃいけなかったのに、妹を守れなかった」

 どうしてか、少年は心の声を口に出していた。この国王ならば、聞いてくれると思ったのかもしれない。

「俺、強くなりたい」

 そう言った少年に、カルロスはにっこりと微笑んだ。

「自分の大切なものを守るために強さを求めるのは、きっと悪いことじゃない。私にも、守りたいものがある。強くなる覚悟を決めなくてはね」

 カルロスは紅い瞳に強い意志を宿して言った。この時、カルロスの妻ジャンナはエレノアを身ごもっていた。

「君の名前は?」

「ジルフォード……」

「そうか。ジルフォード君、もしよかったらうちの騎士団に入るかい? きっと強くなれるよ」

 十一歳の少年は、その言葉に頷いた。


  * * *


 収拾屋の倉庫には、ひとつだけ厳重に鍵をかけられて保管されているものがある。

 ロイスに背を向けて、ジルフォードはすぐに一階の店舗奥にある倉庫に向かった。ロイスを安心させるために浮かべていた優しい笑顔は消え、そこには収拾屋の主ではなくかつて死神と呼ばれた男が立っていた。

 厳しい表情で、ジルフォードは目の前の箱を開ける。鍵をかけられたその箱の中に入っていたのは、十年前に二度と使わないと誓った大剣だ。その大剣の柄には、皇帝カルロスの名が刻まれている。

 皇帝に忠誠を誓い、皇帝を守るために剣を振るう。

 それが、帝国軍第一部隊【白銀】の隊長であるジルフォードの使命だった。何よりも、自分に生きる場所を与えてくれたカルロスに感謝していた。

 大切なものを守るために強くなる。その信念は、カルロスと同じだった。だからこそ、ジルフォードはこの剣を振るった。いくら血に染まろうとも、これが大切なものを守るための行為だと信じて。

 しかし、その想いは裏切られた。カルロスはいつの間にか変わってしまっていた。エレノアの話を聞いて納得した。悪魔と契約したのなら、ジルフォードが出会ったカルロスの人格はもう消えていたのだろう。だから、カルロスは逆らったジルフォードを追放したのだ。

 十年前、帝国軍を去るジルフォードの胸には、絶望と失望と後悔しかなかった。もう二度とこの剣を握ることはないと思っていた。そして、〈鉄の城〉に入ることも。

 しかし、エレノアに出会って、状況は変わった。関わらない方がいい、と分かっていながらも自分を求める手を離すことができなかった。エレノアの姿が、妹と重なって見えたのだ。しかし、当然エレノアは妹とは違う。性格も、立場も、何もかも。それでも、ただ守られるだけの存在でいてくれない、というところは同じだった。妹も、大人しく待っていてはくれなかった。ジルフォードが守りたいと思っているのに、逆に自分を守ろうとしてくれる。女の子はただ守られていてくれたらいい、と思うのにジルフォードの近くにいる女性はみんな強くあろうとする。

 そして、その強さに惹かれるのだ。だからこそ、エレノアの強い想いは、ジルフォードの胸を締め付ける。

 一回りも歳の離れた娘相手に、本気になどなるはずがないと思っていた。エレノアは皇帝の娘だ。一緒にいれば面倒に巻き込まれるに決まっている。ジルフォードが皇族と関わっていいことなど一つもない。そんなこと、分かっていた。それなのに、エレノアが選んだ男が自分でよかったと思う自分がいる。他の誰でもなく、自分がエレノアを守りたい。

 誰も愛さない。そう決めていた。何も守れなかった自分が幸せになる権利はない。罪の意識を忘れてはいけない。だから、エレノアを守りたいと思うのは、保護者的な立場からで、決して愛しているからではない。妹のような存在だから、守りたいだけだ。そう心の中で言い訳する。

 “悪魔の花嫁”として〈宝石箱〉にいた頃は孤独だったかもしれないが、もうエレノアは独りではない。ジルフォードやロイスがいる。一人で戦わなくてもいいのだ。


「苦しいことは全部この〈蒼き死神〉が引き受ける」


 ジルフォードは大剣を強く握り、収拾屋を出た。

 十年前に置いて来た後悔と、最近拾った美しくも脆い宝石を取り戻すために。

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