第30話 動く理由

「エレノア様、お気に障ったのならば申し訳ありません。現状について話したいこともありますので、場所を移してもよろしいですか」

 何の含みもなさそうなことを言っていること自体が白々しい。話というのも、どうせ自分に都合の悪いことは話さないつもりだろう。嘘と真実を織り交ぜて自分に利益を生む話を、狡賢い大人は得意とするものだ。エレノアは、そんなものを聞くつもりはない。

 だから、エドウィンの言葉に納得したように頷く素振りを見せ、エスコートしようと差し出されたその手に触れた。

 おそらく、彼がエレノアを差し出すのと引き換えに皇帝に望むことが見えるはずだ。


 まず、〈鉄の城〉の主殿、それも皇帝の執務室の扉が見えた。エドウィンは、その扉を必死に叩いて何かを訴えている。

 ――皇帝陛下! どうかお考え直しを! このままでは、我が国は神の加護を失ってしまいます。

 しかし、エドウィンの必死の言葉に返事はなかった。ただそこには、閉じられた無言の扉があるだけだ。

 ――いい加減、諦めたらどうだ? 皇帝陛下の説得など無理だ。

 場面は変わり、エドウィンと同じ政治の中枢を担う貴族、パルミナ侯爵が呆れ顔をしている。どこか高級な料理店の個室で酒を飲んでいるようだ。まだ、エドウィンが皇帝に何を求めているのか、エレノアはいまいち掴めない。しかし、エドウィンは皇帝に信頼されている貴族の一人でありながら、皇帝に意見しているようだ。それも、直接執務室にまで押しかけて。そこまでしているのに、皇帝がエドウィンを生かしていることがエレノアには不思議だった。

(逆らう者は誰彼かまわず殺すのではなかったの……?)

 今まで自分が作り上げてきた皇帝カルロスの在り方が少しだけ揺らいだ気がした。しかし、カルロスが戦狂いであることは変わらない事実だ。エレノアはさらに記憶を覗く。

 ――だが、このまま軍用道路の建設を認める訳にはいかない。

 エドウィンは固い決意に満ちた声で言った。それに対して、パルミナ侯爵もふうむと頷く。かなりふくよかなパルミナ侯爵は仲間であるエドウィンの話に耳を傾けているようでありながらも、料理と酒の方に夢中のようだった。

 ――お前はいいと思うのか。この国にはもう、レミーア教会は帝都だけなんだぞ。

 と、エドウィンが憤慨する。その言葉で、エレノアも何となく事情を察することができた。おそらく、カルロスはこの国から教会を排除するつもりなのだろう。それも、軍用道路の建設を理由に。軍の移動が楽になる上に、悪魔の妨げとなる教会まで潰せる。カルロスにとっては一石二鳥な話だ。しかし、そうでない者にとっては、神に祈る場である教会がなくなれば心の拠り所を失うことになる。

 エレノアは、ジルフォードと初めて行ったレミーア教会を思い出す。人々を優しく癒す、誰にでも開かれた心休まる場所だった。最近は【新月の徒】のように神を信じない者もいるが、大半の者は神を信じている。だからこそ、エドウィンは反対している。カザーリオ帝国に唯一残る教会を守ろうとしている。

 ――そうは言ってもなあ。レミーア神なんて、我々を守らずブロッキア王国の味方についたではないか。だからこそ、皇帝陛下は教会を捨てたんじゃないのか。

 ジルフォードが言っていた、十年前のブロッキア王国との戦争のことだろう。ブロッキア王国も、同じようにレミーア神とルミーナ神を信仰している。だからこそ、ブロッキア王国が勝ったのは神が自分たちを見捨てたからだと思う者もいるのだ。カザーリオ帝国の王が悪魔と契約したことも知らずに。

――自分たちの都合のいいように事が運べば神のおかげで、都合が悪ければ神が裏切ったというのか。神はすべてを見守ってくれている。私たちの私利私欲には左右されないのだ。

 酒も入り、熱く語るエドウィンを見れば、彼がかなり熱心なレミーア教信者であることがすぐに分かった。信者からしてみれば、教会が失われることは許せないだろう。冷酷非道な皇帝に逆らってまで守りたい場所なのだ。

 だいたいの事情が分かったので、エレノアは意識を現在に向けた。


 エドウィンのエスコートで応接室までたどり着き、エレノアはソファに座る。周囲からすれば、エレノアはエスコートされていただけ。何も不自然な動きはなかった。エドウィン自身にも、特に不審には思われていないだろう

 応接室で目を引いたのは、壁に立てかけられている大きな薔薇園の絵画だ。本当に、この屋敷には薔薇が溢れている。うっとおしいくらいに。エレノアは、思わず口に出していた。

「バールトン侯爵は薔薇が好きなのですね」

「いえ、私ではなく妻が薔薇好きでして……」

 そこで初めて、素のエドウィンの表情を見た気がした。感情を表に出さないようにしていた顔には、恥じらいと愛おしさがにじみ出ていた。エレノアは少しだけエドウィンに対する警戒を解いて微笑んだ。

「侯爵夫人を愛しているのですね」

 夫婦仲がきっといいのだろう。家族もきっと愛し合っている。エレノアには分からないその感覚。エドウィンは照れたのか、エレノアの言葉に答えることなく慌てて使用人にお茶の準備を頼む。もう、その表情は無ではなかった。もともと、エドウィンはそういうことが得意な人間ではないのだろう。

 目の前に、メイドたちの手であたたかな紅茶が用意される。

「それで、話というのは?」

 エレノアは紅茶を一口飲み、淡々と告げた。まるで興味がない、という風に見せた方が、相手が興味を引こうとしっかり話してくれる。

「実は今、エレノア様がいなくなったことで〈鉄の城〉は大騒ぎになっています。我が息子も、捜索隊の指揮官として動いておりまして、無事にエレノア様を見つけることができて今心からほっとしているところです」

 テッドがエレノアを見つけることができたのは当然だ。ジルフォードが真っ先にテッドのところにエレノアを預けたのだから。しかし、侯爵はそれを知らない。だからこそ、内心はかなり興奮しているはずだ。自分がいち早くエレノアを見つけたのだから。

「エレノア様はお怪我をしているとか。ですから、エレノア様には十分な休息をとっていただいて、怪我を癒してから〈鉄の城〉にお帰りいただきたいと考えております」

 なるほど。エレノアの怪我が治るまでに、宝石の存在をちらつかせて色々と交渉するつもりなのだろう。最初に皇帝に話を通すよりかは、自分の主張が確実に通るように根回しをしておいた方がいい。しかし、エレノアにとっては侯爵の野望は関係ない。レミーア教会はなくしてはならないとは思うが。

「まあ。それはおかしなお話ですこと。一刻を争うかのように慌ててここまで連れてこられたのに、休息ですって? バールトン侯爵がレミーア教会を守りたいというのは分かりますけれど、私を取引の材料にしても無駄だと思いますわ。すぐに私を〈鉄の城〉に帰しなさい」

 何故知っているのか、とエドウィンは目を見張り、厳しい顔つきになる。やはり、エレノアをただの小娘だと舐めていたようだ。睨み合う二人に口を挟んだのは、後ろに控えていたテッドだ。

「エレノア様、これは黙っておこうとかと思ったのですが、あなた様は今、第一皇子にお命を狙われています。〈鉄の城〉はもうあなたを守る場所ではないかもしれません。私たちは、エレノア様の味方です。第一皇子の目的がはっきりするまではこの屋敷で匿わせてもらえませんか」

 エレノアは内心溜息を吐いた。兄である第一皇子ブライアンがエレノアの命を狙っている。兄とは会ったこともない。会ったこともないのに、命を狙われている。悲しみを通り越して、呆れた。一見心配しているように聞こえるが、テッドは自分の家と地位を守るために皇女という存在を手元に置いておきたいだけだろう。必要になった時に切り札として使われるエレノアが殺されていては意味がない。エレノアのことを本気で心配してくれるのはジルフォードだけだ。

「そういう話なら、私は一人で〈鉄の城〉に帰ります」

 ここで大人しく匿われている間に、誕生日を迎えたらどうしてくれるというのだ。エレノアには悪魔との交渉が待っているのだ。失敗すれば未来はない。しかし、成功すればエレノアは“悪魔の花嫁”という運命から解放されて、ジルフォードの花嫁になれる可能性だってあるのだ。なんて幸せな未来だろう。だから、エレノアはさっさと〈鉄の城〉に帰って、冷酷非道な父親や妹殺しを企む兄相手にも負けてはいられない。

 エレノアが〈鉄の城〉へ帰ろうと立ち上がった瞬間、帝国軍の軍服を着た騎士が血相を変えて部屋に飛び込んできた。


「テッド様! 大変です! 城が、〈鉄の城〉が【新月の徒】に……制圧されました!」

 その報告を耳にして、すぐに理解できた者はこの部屋に何人いただろうか。少なくとも、エレノアはすぐには理解できなかった。〈鉄の城〉は陥落不可能な鉄壁の城だったはずだ。それだけでも衝撃的なのに、騎士はさらなる爆弾発言をした。

「皇帝陛下が、ひ、人質にとられています……! テッド様、今すぐお戻りを!」

 冷酷非道の皇帝が、たかが賊に人質にとられている。こんなことを、誰が信じるだろうか。しかし、騎士の満身創痍な姿を見て、テッドは意識を切り替えたらしかった。すぐに険しい顔になる。

「人質、ということは何か要求はあるのか」

「それが、皇女エレノアを出せ、と……」

 騎士の言葉を聞いて、テッドが一瞬エレノアに視線を向けた。

 しかし、テッドの部下である騎士はここにいるエレノアこそが皇女だとは気付いていない。皇女の捜索をしているのだから、存在は知っているはずだが、まさか目の前にいるとは思わないのだろう。

「何故、皇女の存在を【新月の徒】が知っているんだ」

 たしかに、不思議な話だ。エレノアの存在は〈鉄の城〉の内部でも極秘事項であったというのに、何故ゴロツキの集まりであるはずの【新月の徒】が知っているのだろうか。もしどこかから情報がもれたのだとすれば、ファーマスの時のように〈鉄の城〉の関係者が【新月の徒】と接触している可能性がある。

「おそらく、内通者がいるんだろう。すぐに調べる必要がある。だが、最優先は皇帝陛下だ」

「テッド、私も協力しよう」

 エドウィンが深刻な表情で言った。

「お願いします。父上は、大臣たちと協力して、事態の鎮静化を図ってください」

「ああ。必ず、皇帝陛下を救ってくれ」

 テッドは父であるエドウィンに力強く頷いた。

(このまま父上が賊に殺された方が、国民のためにはいいのではないの……?)

 血も涙もない、冷酷非道な皇帝だ。いなくなった方が、みんな安心するのではないだろうか。きっと、カルロスがいなくなれば戦争で苦しむ人々は減る。悪魔と契約した時点で、死んでいてもおかしくはない人だったのだ。それなのに何故、この人たちはカルロスを救おうとしているのだろう。

(ジルフォード様を苦しめた人なのに……)

 テッドはジルフォードの友人だ。その友人をあそこまで過去に縛り付け、苦しめている元凶にどうして忠誠など誓えるのか。しかし、エレノアの脳裏にジルフォードの言葉が蘇る。

 ――カルロス様が何を考えていたのか、本当のところは俺には分からない。だが、それはエレノアも同じだろう。

 ジルフォードは、きっとカルロスの何かを知っているのだ。しかし、裏切られたことには違いないだろう。完全にカルロスを肯定するようなことは言っていなかった。その代わり、完全に否定することもなかったようにも思う。

 エレノアは、エレノア側からの事情しか知らない。それも、ほとんどが想像だ。皇帝カルロスに会ったこともない他人の記憶から知れることは少なかった。

 ジルフォードがまだこの国に留まっている理由、テッドがカルロスに忠誠を誓っている理由、エドウィンが逆らう者には容赦しないというカルロスに直談判していた理由……エレノアには分からない。ならば、知るしかない。自分の目で、耳で、現実を見るしかない。だから、エレノアは口を開く。


「【新月の徒】の目的は私なのでしょう? では、すぐにでも〈鉄の城〉へ向かいましょう」


 にっこりときれいに微笑んだエレノアに、正気を疑うような視線が向けられた。

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