第21話 見え隠れする思惑

「大丈夫か」

 ジルフォードの声で、エレノアの意識は戦場から引き戻される。エレノアは慌てて大丈夫です、と誤魔化した。今、自分が心配をかけている場合ではない。

「それにしても、本当にここで合ってるのか?」

 そう言って、ロイスは教会から少し離れた位置にある墓地を見つめた。

「ここで、ファーマスは皇帝の使者と何らかの接触を図っていた。そして、そのことを【新月の徒】に見られていたようだ。それに、ここの見張りの騎士は【新月の徒】のメンバーだった。ここで間違いないだろう」

「えっ、騎士の中にも【新月の徒】がいんのかよ! じゃあなんでわざわざファーマスを脅す必要があるんだ? 騎士なら〈鉄の城〉のことぐらい知ってるだろ」

 ジルフォードの簡潔な説明を受けて、ロイスは声を上げた。まさか皇帝に忠誠を誓った騎士にも【新月の徒】がいると思わなかったのだろう。エレノアも、もちろん驚いた。そして、ロイスと同じ疑問を持った。

「あの騎士は、胸元に何の刺繍もなかった。下っ端だろう。〈鉄の城〉の情報なんて、大したものは持っていない」

 その言葉で、エレノアは騎士の服を思い出す。

 帝国軍所属の騎士は、皆黒い騎士服を着用する。そして、その胸元にはそれぞれの部隊を示す刺繍が施される。皇帝直属である【黄金】、精鋭部隊である【白銀】、後方支援を担う【赤銅】、歩兵隊である【青銅】の四つの部隊があり、騎士服にはそれぞれの色を刺繍される。

 たしかに、言われてみればあの騎士の胸元には何の刺繍もなかった。刺繍のない騎士はまだ半人前で、仕事は雑用ばかりだという。そのくせ、戦になると真っ先に命を投げ出して突っ込んでいかなければならない。下っ端の騎士だからこそ、【新月の徒】に近づいても気付かれなかったのだろう。

 しかし何故、その下っ端の彼がジルフォードを【新月の徒】に誘ったのだろう。ジルフォードが強いことも、【新月の徒】を捕まえていることも、知っていたはずなのに。

(それに、ジルフォード様は【白銀】の騎士だった……)

 かつて、ジルフォードは少数精鋭の最強の部隊【白銀】を率いていた。死神とまで呼ばれていたジルフォードが、【新月の徒】の誘いに乗ると思っていたのだろうか。エレノアには、別の意図があるように思えてならない。

 じっと考え込んでいたエレノアの耳に、ばさばさという羽音が聞こえてきた。顔を上げると、大きな鷲がジルフォードめがけて飛んでくる。

 思わず悲鳴を上げそうになるエレノアを制して、ジルフォードが腕を上げた。


「ベロニカ、よくここが分かったな」

 こげ茶色の羽を閉じ、大人しくジルフォードの腕に着地した鷲は、褒めて褒めてとジルフォードにすり寄っている。それに応えるように、ジルフォードはよしよしと鷲を撫でている。

「あの、ジルフォード様、この大きな鳥は……?」

「ベロニカだ。テッドからの手紙を持ってきてくれた」

 ベロニカと紹介された鷲は、たしかにその足に白い紙を巻きつけられていた。テッドはジルフォードの友人で、バールトン侯爵家の長男だ。エレノアを一時屋敷に匿ってくれていた。そんな彼から、人間ではなく鷲を使って連絡がきた。何か、事情があるに違いない。エレノアは緊張しながら、手紙に目を通すジルフォードを見つめた。

「なんて書いてるんだ?」

 ロイスがジルフォードの手元を覗き込む。

 一体、何が書いてあるのだろう。その手紙の文面を見たロイスは、怪訝そうな顔をした。

「なんだよ、これ。こんなことわざわざ手紙に書くことかよ」

「テッドはそういう奴なんだ」

「よっぽど女に飢えてんだな」

 話が見えない。テッドはジルフォードに何か重要なことを伝えようとしていたのではないか。それなのに、女に飢えている? どういうことだろう。

「あの、何が書いてあったの?」

 教えてくれるかは分からない。でも、聞かないよりかは聞いた方がいい。エレノアは震える声でロイスに尋ねた。

「仕事に癒しがないから、可愛い女の子を紹介してくれ、だとよ。貴族様の考えることはわかんねぇなぁ」

 呆れてそう言ったロイスに、ジルフォードも笑っているが、その眼は笑っていなかった。女好きのテッドを知る者ならば納得の内容だが、エレノアを逃がした後、しかも騎士がエレノアを探している状況では違和感がある。

(第三者に読まれることを危惧しているとすれば……)

 内容をそのまま受け取ってはいけない。ジルフォードはすぐに理解したのだろう。だから、表情が少し硬くなっている。エレノアは、なんとなく隠されたメッセージを理解した。しかし、ロイスの前で話すことはできない。

「テッド様なら、女性なんて選び放題でしょうに」

 ロイスのように、エレノアも呆れたような表情をつくる。あえて、手紙の意図に気づかないふりをした。

 この手紙は、テッドからの警告だ。逃げ続けることはできないとは思っていたが、あまりに早い。

「エレノア」

 ジルフォードに呼ばれて、エレノアははっとする。その視線に、複雑そうなものを感じ、エレノアは覚悟を決めた。

「ここで【新月の徒】を待ち伏せするのは俺一人だ。ロイスも、エレノアと一緒に収拾屋に帰れ」

 その言葉には、有無を言わさぬ圧力があった。これは、ジルフォードからの命令だ。反論しようとしたロイスは、ジルフォードに睨まれて何も言えなくなった。

「ジルフォード様なら、きっとお二人を救えると信じていますわ。絶対に、帰ってきてください。私の言ったこと、忘れていませんよね?」

「あぁ」

「よかったですわ」

 エレノアは残りたいと叫ぶ心を殺して、優雅に笑ってみせた。ジルフォードを信じている。


 ――ジルフォード様、お二人を無事に救い出せたら、大切なお話があります。

 あの時の言葉を、ジルフォードは忘れていない。


「ロイス、帰りましょう。私たちにできることはもうないわ」

 戦闘能力がないエレノアとロイスが残っていても、足手まといなだけ。それに、エレノアに迎えが来るのは時間の問題だ。ジルフォードよりも先に、テッドがエレノアを迎えに来てしまうかもしれない。

 エレノアは、ジルフォードの姿を目に焼き付ける。

 夕陽に照らされた蒼い髪があまりにきれいで、エレノアは涙が出そうになった。こちらを見つめる群青色の双眸には、泣きそうな自分の姿が映っている。ジルフォードのすべてを記憶するように見つめてから、エレノアはフードを被り直す。

「では、待っていますわ」

 ロイスはまだ納得していないようだったが、ジルフォードに何を言っても駄目だと悟ったのか、エレノアと共に背を向けた。

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