第20話 あの夜の情報
エレノアがジルフォードを見つけた時には、側に騎士はいなかった。ジルフォードに聞いても、心配いらないという言葉が返ってくるだけで、何がどうなったのかは話してくれなかった。
とりあえず、エレノアが得た情報はジルフォードに話した。【新月の徒】とファーマスが関係している場所はここだと。すると、それならこの場所で待っていよう、ということになった。しかし、エレノアとしては不安だ。もし、取引は教会ではなく共同墓地の方で行われていたとしたら、と考えてしまう。
(でも、ジルフォード様が心配ないって言うなら、きっと大丈夫……)
ジルフォードはエレノアを教会の裏手のベンチに座らせて、自分は芝生に寝転がった。そして、この状況でジルフォードは眠ってしまった。夜中や早朝に見回りをしていれば寝不足にもなるだろう。エレノアはジルフォードが心配だ。あの騎士の言うことが本当なら、復讐心に囚われていてもおかしくない過去を持っている。
エレノアは、何も知らない。知りたい、と強く思う。
その蒼い髪に、たくましい身体に、無骨ながらも優しい手に、触れるだけでエレノアは彼の過去を覗くことができる。ジルフォードの身体に触れる度、そんな誘惑に駆られる。しかし、エレノアはこの力を誰かのために使いたいと思うのだ。
だから、ジルフォードの過去は本人から聞く。
「それにしても、ジルフォード様は本当に素敵ですね」
エレノアは、ジルフォードの端正な顔立ちを凝視する。夕陽に照らされた蒼い髪はとても綺麗で、エレノアを軽々と持ち上げてしまう腕はたくましい。胸板も厚くて、服の上からでも分かるくらいにジルフォードの身体は鍛えられている。彼の努力が、この鋼の肉体を作り上げたのだろう。
(何のために、ジルフォード様は戦っていたのかしら?)
国のため? 仲間のため? 家族のため? 自分のため? 正当な理由づけをしても、命を奪う行為に、正しい道理は存在しない。それを分かっていたからこそ、ジルフォードは涙を流していた。しかし、それでも曲げられない何かがあったからこそ、剣を振るっていた。
その理由を、ジルフォードが見ていたものを、エレノアは知りたい。
じっと見つめるだけでは物足りなくなって、エレノアはベンチから降りてジルフォードに近づいた。草花が風に揺れ、教会からは美しい讃美歌が聞こえてくる。ゆっくりとした、穏やかな時間が過ぎていく。
「触れても、いいですか?」
眠っているジルフォードに、エレノアはそっと囁く。鋭いジルフォードのことだ。起きるかもしれないと身構えたが、ジルフォードはそのまま寝息を立てている。
触ってもいい、ということだろうか。
エレノアは嬉しくなって、彼の頬に触れた。意外とやわらかい。ふにふに、と指でつついてみる。起こさない程度に触れているつもりだったが、さすがにジルフォードは目を覚ました。
「何してる?」
むっとして、ジルフォードが起き上がる。
「ジルフォード様のせいですわ」
にっこりとエレノアが微笑むと、ジルフォードは訳が分からないという風に眉根を寄せた。
そんな彼の頬にエレノアは再び手を伸ばす。避けられるかも、と内心びくびくしていたが、彼は動かなかった。そのまま、エレノアはジルフォードの頬に触れて、群青の瞳を見つめた。
「ジルフォード様を好きな私の前で、無防備にも寝てしまうからいけないのですわ。私はジルフォード様に触りたくて触りたくて仕方がないのです!」
「俺に触って何が楽しいんだ」
「幸せですわ。こうして、ジルフォード様に触れることができるなんて、思ってもいませんでしたから」
記憶の中だけの存在だと思っていた人が、今目の前にいて触れられるのだ。触れたいに決まっている。それに、せっかくのジルフォードとの二人きり。ロイスに邪魔されないうちに触れておきたい。
いっそのこと、口付けでもしてしまおうか。そんな考えが頭を過ぎった時、エレノアの身体はジルフォードから引き離された。
「おいっ! お前ジルに何やってんだ!」
ロイスだ。
教会まで走ってきたのか、息が上がっている。
「もう、せっかくイイところだったのにっ! ロイスの馬鹿!」
「イイところになんてさせるかっ! ジルはなぁ、お前みたいな女神詐欺なんて相手にしねぇよ!」
「まあ! 女神詐欺って何よ」
「見た目は女神みたいに綺麗なのに、中身は全然だめだってことだよ!」
ロイスとエレノアで言い争っていると、ぷっとジルフォードが吹き出した。
「お前ら、仲良いなぁ」
なんだか、子どもの成長を見守る父親のような目線で見つめられた。エレノアはジルフォードの子どもになりたいのではない。できれば恋人になってほしいのだ。
「「仲良くない!」」
慌てて否定した言葉は、皮肉にもロイスと被ってしまい、またもやジルフォードにあたたかい眼差しを向けられてしまった。
「ったく、そんなことより大事な話があるだろ!」
気恥ずかしさで顔を真っ赤にしながらも、ロイスが本題を切り出した。
「あの夜、宿屋の前で酔っ払い共の揉め事があったらしくてさ、みんなそっちに夢中になって何も見てないってよ」
ロイスは、あの宿屋からキャメロンが攫われているところを誰も見ていないか、町の人に話を聞いていた。逃げているところを目撃していれば、行先が推測できるかもと思ったが、当てが外れた。
「揉めていた原因は?」
ジルフォードが難しい顔でロイスに問う。
「すれ違い様に肩がぶつかったとかで、殴り合いに発展したみたいだ。それがどんどん回りにも広がっていって、最後には騎士まで出張る乱闘騒ぎになったらしいぜ。酒の力ってこえぇな」
「おそらく、乱闘騒ぎは【新月の徒】の仕組んだものだろう。誘拐が目撃されないよう、人の目を集めるために別の騒ぎを起こしたんだ」
はじめから、キャメロンを誘拐するつもりだったのだろう。ファーマスは、密偵として鍛えられている。いくらファーマスに情報を渡せと脅しても、効果がなかったに違いない。それどころか、皇帝の密偵に手を出している自分たちの方が危険な目に遭う。捕まるのは時間の問題だった。だからこそ、【新月の徒】は考えたのだろう。ファーマスに精神的なダメージを与える方法を。そして、ファーマスに揺さぶりをかけるために、彼の目の前でキャメロンを誘拐した。恋人といる時の、最も気の抜けた瞬間を狙ったのだ。
「このまま、ここで待つしかないのですね」
エレノアは今この瞬間にも怖い思いをしているだろうキャメロンのことを思った。今すぐに助けに行きたい。しかし、【新月の徒】の逃走経路も、潜伏先も分からない。日々多くの人間が行き交う道の記憶を覗いても、情報が多すぎて役には立てないだろう。
エレノアの力も、万能ではないのだ。人の記憶ならばまだその会話や感情から意図する記憶を覗くこともできるが、物の記憶はそうはいかない。こちらが知りたい情報を、物から引き出すことなど簡単にはできない。皇帝カルロスからの贈り物のように、よほどの強い感情が染みついていない限りは。
目を閉じれば、思い浮かぶ凄惨な戦場。
人の命が失われていく瞬間に、赤い血に染まった光景に、気分が悪くなる。
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