第19話 レミーア教会

 レミーア教会は、グーゼフの町と帝都カルリエラの境界にある。

 レミーア神は太陽の化身だとされているため、教会の天井は太陽の光が入るように窓が多い。

 ステンドガラスのモザイク画に陽光が注がれ、溢れる光の屈折が美しい。レミーア教会に来て、人々はその美しさにまず息を呑む。そして、太陽の恵みを神に感謝するのだ。

 また、レミーア教会の見所は昼間だけではない。夜はルミーナ神の領域とされ、天井の窓からは月明かりが差し込み、昼間とは違った美しさを見せる。その美しさに魅了され、レミーア教会に足繁く通う信者たちは多い。

 そんなレミーア教会をはじめて目にしたエレノアは、開いた口が塞がらなかった。

「何を呆けた顔をしてる?」

 大好きなジルフォードの前だというのに、エレノアは馬鹿みたいに上を見上げて口をぽかんと開けていた。礼拝堂の天井から、目が離せない。こんなにも、太陽を美しいと感じたことはない。白い光と赤い光が天井で複雑に絡み合い、幻想的な光を生み出している。そして、教会の中はとてもあたたかい。陽射しが直接降り注いでいるのではなく、太陽を模した丸い天井がうまく陽射しをやわらげてくれている。だから、礼拝堂内は柔らかなぬくもりに包み込まれていた。

 礼拝堂にいる数人は、皆木製の長椅子に座って祈りを捧げている。誰も、新たに入って来たエレノアたちに気付かない。それだけ、自分の祈りに集中しているのだろう。


「そんなに上ばっか見てたら首が痛くなるぞ」

 ジルフォードが呆れたように言った。ここに来たのは、レミーア教会の美しさを楽しむためではない。エレノアはようやく、口を閉じ、目線を戻す。

「……はい、もう痛いです」

 真上を見過ぎて、首が痛かった。正直に答えると、ジルフォードは溜息を吐いた。彼の溜息を聞くのは何度目だろう。それでも、ジルフォードの仕方ないな、というような溜息は嫌いではない。むしろ、大好きだ。彼を困らせてはいけないと分かっているのに、もっと困らせたいと思う自分がいる。

「ったく、そんなに珍しかったのか」

「はい。初めてです」

「初めてが、こんな状況で悪かったな」

「いえ、よかったです。だって、初めてがジルフォード様と一緒ですもの」

 きっと、教会に来るのはこれが最初で最後だろう。エレノアは、目を閉じて祈る。

(レミーア神様、本当に存在しているのなら、私を“悪魔の花嫁”でも皇女でもなく、ただのエレノアにしてください)

 エレノアは、〈宝石箱〉でいつも祈っていた。叶うはずのない願い。教会に来たからといって、神に届く訳がない。

 しかし、祈らずにはいられなかった。

 もしかしたら、という希望を捨てることができない。

 目を開き、エレノアは頭を切り替える。

「ジルフォード様、少しお時間を頂きます」

 そう言うと、ジルフォードは頷いた。

 エレノアは周囲を見回し、何が一番この空間を覚えているか確認する。木製の椅子、壁側に飾られた花瓶、彫刻が美しい柱、祭壇の奥にあるレミーア神の像。

(レミーア神なら、きっとすべてお見通しよね)

 エレノアは杖をつきながら、祭壇に向かって真っすぐ歩いた。何人かの視線を感じる。教会に来るまでに、何人かの騎士とすれ違った。そして、この教会にも騎士はいる。しかし、礼拝堂にいる騎士は一人だけだ。エレノアはフードで顔を隠しているが、怪しまれるかもしれない。そんな中で、祭壇に向かって杖をついて進んで行けば、人目を引く。それでも、エレノアは止まらない。だって、ジルフォードがいてくれるから。

「なあ、最近この辺に【新月の徒】が現れたらしいじゃねぇか。お前たちは、奴らを捕まえるためにここに来てるんだよな?」

 騎士がエレノアに視線を向けた直後、ジルフォードが騎士に話しかけた。ジルフォードの噂は騎士も知っているのだろう。町の治安を改善してくれたジルフォードに対して、無視はしなかった。それに、騎士としても、町の顔役であるジルフォードから何らかの情報を聞き出そうとしているようだった。おそらくは、エレノアのことだろう。

 しかし、これで少しは時間が稼げる。エレノアはそっと祭壇の奥のレミーア神の像の裏手に回った。

 そして、触れた。


 レミーア神の像が見ているのは、祈りを捧げる信者たち。毎日、同じようなことの繰り返しだ。エレノアは、現れる信者たちの中に【新月の徒】の男たちが混じっていないか確認する。しかし、やはり神を信じない彼らがレミーア教会に祈りに来るはずもない。ここ最近の記憶に、彼らはいない。教会に入っていないなら、次は墓地を調べよう。エレノアがそう思って手を離そうとした時、見覚えのある顔が礼拝堂に入って来た。

(ファーマスさん……?)

 夜の礼拝堂に一人で来たのは、ファーマスだった。その手には、石のようなものが握られている。そして、ファーマスは椅子に座り、レミーア神に祈りを捧げはじめた。彼が信者で、この教会に通っているだけならば特に問題はないが、何かが引っかかる。エレノアがそのままファーマスの行動を観察していると、特におかしな動きは見せずに彼は去って行った。しかし、帰る時のファーマスの手に石はなかった。忘れて行ったのか、故意に置いて行ったのか。

(誰か来た!)

 ファーマスが出て行った直後、痩せ細った白髪の男がファーマスと同じ椅子に座り、祈り始めた。しかし、すぐに立ち上がり、背を向ける。その手には、ファーマスが持ってきた石が握られていた。

 そして、その様子をエレノアのように隠れて見ていた男が祭壇の裏から姿を現した。あまりに自然にそこにいたので、記憶を覗いているエレノアも気付かなかった。

 その男は、キャメロンを拘束していた【新月の徒】の男だった。男は、白髪の男の後をつけるように出て行った。


 ここだった。この場所だった。興奮からかエレノアの胸はどきどきしている。

 ファーマスはおそらく、あの白髪の男に密偵として得た情報を石に記して渡していた。そして、その一部始終を見ていた【新月の徒】の男は白髪の男の後をつけ、彼が〈鉄の城〉に入るのを見たのだろう。

 もしファーマスが密偵でなくとも、〈鉄の城〉との関わりがあることは間違いない。だから、【新月の徒】は〈鉄の城〉の情報を知るためにファーマスと接触した。しかし、ファーマスが何の情報も話さないから、恋人のキャメロンを人質にとった……ということだろう。

 エレノアはすぐにジルフォードに知らせたくて、レミーア神の像から出た。

 しかし、礼拝堂内にジルフォードの姿はなかった。騎士の姿もない。

 一体、何があったのだろうか。

 エレノアは、騎士が立っていた辺りの壁に手を当てた。



 ジルフォードが騎士に話しかけ、騎士が答えている。騎士の意識はうまくエレノアから逸れた。

 ――【新月の徒】の捕縛は、他の部隊の仕事です。ジルさん、あなたならこの町をよく御存知でしょう。とある令嬢が家出をしてしまって、貴族の方々に探すよう言われているんです。それらしき女性を見かけませんでしたか?

 赤茶色の髪をした、比較的若い騎士だ。おそらく、〈蒼き死神〉を知らない世代だろう。ジルフォード相手に、堂々としている。

 ――さあな。だが、家出中の令嬢がいるなら尚更【新月の徒】の捕縛に力を注いでほしいものだ。その令嬢も、人身売買を経験したくて家出をした訳じゃないだろうからな。

 そう言ったジルフォードの目は厳しかった。しかし、騎士はその答えに笑った。

 ――何がおかしい?

 ――いえ、宝石を盗んだのは、あなたでしょう? 皇帝陛下への復讐ですか?

 騎士の言葉に、ジルフォードの目つきがさらに鋭くなる。

 復讐、という言葉に、エレノアは緊張した。

 ジルフォードと皇帝の間に何があったのか、エレノアは何も知らない。それでも冷酷非道と言われるカルロスが何かしたとすれば、きっと酷いことだ。ジルフォードが戦場で声を殺して泣いていたことと、関係があるのだろうか。この若い騎士は、何故ジルフォードの過去を知っているのか。

 しかし、ジルフォードが本当にカルロスへの復讐のためにエレノアを側に置いているのだとしても、かまわない。

 これは、エレノアが望んだことだ。何をされてもいい。その覚悟はできている。

(でも、ジルフォード様はとても優しかったわ)

 本当に、優しい人なのだ。彼から復讐心などこれっぽっちも感じなかった。

 騎士はふっと笑うと、視線をレミーア像の方に向けた。エレノアがいる場所だ。

 ――いつかの夜、【新月の徒】の馬鹿共から宝石を救い出しましたよね。捕縛した彼らが、蒼い髪の男にやられたと教えてくれました。すぐにあなただと分かりましたよ。でも、まだ知るのはこの私だけです。捕えた男たちは処刑しましたから。

 人の生死を、騎士は簡単に口にした。さすがは、冷酷非道な皇帝に仕えている騎士だけある。あの〈鉄の城〉では、人が簡単に死んでしまうのだ。皇帝の名の下に。

 ――何が言いたい?

 そう問うたジルフォードの顔は、エレノアが見たこともないぐらい恐ろしく冷たいものだった。彼は、本気で怒っていた。

 ――【新月の徒】に入ってください。あなたは小さな店の店主より、血生臭い戦場が似合う。

 そう言って、騎士は袖をまくった。その腕には、新月の入れ墨があった。騎士の中にも、【新月の徒】の考えに心酔している者がいたのだ。

 ジルフォードの怒りをものともせず、騎士は微笑みを浮かべている。

 ――うるせぇ、黙れ。

 ジルフォードは、一発で騎士を黙らせた。それも、信者たちの祈りを妨げないよう、音を立てずに騎士を殴った。そして、ジルフォードは騎士を担いで礼拝堂を出た。


 ジルフォードがいない理由が分かり、エレノアも慌てて礼拝堂を出る。

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