第22話 背負う覚悟
上弦の月が、空に浮かんでいる。雲一つない、きれいな夜空だ。
街灯も何もない、レミーア教会の墓地に、月明かりだけを頼りに一人の男がやってきた。思い詰めた表情をして、手には紙の束を持っている。整然と並んでいる墓石の間から、数人の男たちが現れた。
「キャメロンは無事なのか!」
一人で墓地に来た男が声を上げた。蒼白な顔で、男たちを睨む。今すぐにでも、この男たちを叩きのめしてやりたい。しかし、人質がいる立場ではそれもかなわない。
「情報は、ちゃんと持って来たんだろうな?」
「ああ。〈鉄の城〉全体の見取り図と、皇帝陛下の私室への隠し通路の情報もある」
「よし、先に情報を寄越せ」
「キャメロンの姿が見えないようだが。これでは取引にはならない」
人質をとられ、脅されていても、男は大人しく屈するつもりはなかった。恋人の無事が分かるまでは、死んでもこの情報は渡さない。奪えるものなら奪ってみればいい、男は冷ややかな目を向ける。
「安心しろ。無事だよ」
一人の男が合図を出すと、仲間の男が教会の裏手から女を連れてきた。
「キャメロンっ!」
「ファーマス! 何故、来たのよ!」
愛する人を危険に晒しているという罪悪感と、助けに来てくれた喜びが、キャメロンの胸の内でせめぎ合う。丸一日、互いの安否が分からずに不安だった恋人同士は、無事な姿を見てほんの少し肩の力が抜けた。しかし、無事に帰れるかどうかは、まだ分からない。
「さあ、お互いの欲しいものを交換といこうか」
キャメロンを縛った縄を持ち、男はにやりと笑う。
「三つ数えたら、交換だ」
男たちとファーマスの距離は、五歩ほど離れている。合図があって、互いのものを再び取り返すことも可能な距離だ。それに、人数的には圧倒的にファーマスが不利だ。キャメロンを取り戻したとしても、二人して消される可能性もある。ファーマスは警戒しつつも、情報が詰まった紙の束を投げる体勢をとる。
「いち、に、さん……っ!」
キャメロンが男の手から離れ、ファーマスの手から情報が投げ出された瞬間、突如現れた黒い影がその両方を奪い去った。何が起こったのか分からずに瞬きを繰り返す男たちの前で、ファーマスの腕にはキャメロンと情報が押し付けられていた。
「キャメロン!」
ファーマスにとっては、何が起こったのかはどうでもいい。この腕の中に愛しい恋人が戻って来たのだ。怪我がないか確かめて、強く抱きしめる。
「ファーマス、来てくれてありがとう」
抱き合う恋人たちを前にして、訳が分からないのは脅していた男たちだ。
「な、何が起こったんだ!」
この取引を進行していた男が、周囲に向かって叫ぶ。しかし、その時にはもう遅かった。振り返れば、仲間が皆意識を失って倒れている。そして、視界にちらりと蒼い何かがかすめたと思った直後、自分も意識を失った。
「ファーマスとキャメロンだな? 無事か?」
もう離さない、とばかりに強く抱き合う二人の前に、長身の男が現れた。月明かりに照らされた蒼い髪、夜闇の中でも分かる整った顔立ち、そしてその鍛えられた肉体。あきらかに只者ではない人物に、ファーマスは警戒心を剥き出しにする。しかし、恋人のキャメロンはこの人物を知っていた。
「ジルさん、ですよね? 何故こんなところに」
グーゼフの町の片隅で『収拾屋』なるものを営んでいるジルフォードだ。彼のおかげで、グーゼフは救われたのだと、町のみんなは知っている。ファーマスはこの町の出身ではないから、知らないようだ。
「ゴルドンさんに頼まれたんだよ。孫娘が帰ってこないから探してくれとな」
「おじいさまが……?」
「あぁ。あんたのこと本気で心配してる。帰って来てくれるなら、結婚も認めると言ってたぞ」
「まあっ! 嬉しいわ!」
キャメロンは喜びのあまり、ジルフォードの目の前だというのにファーマスにキスをした。ファーマスはといえば、喜び以上に不安が大きいのだろう。難しい顔をしている。
「あなた、何者ですか?」
「そう警戒するな。ただ、孫を心配するゴルドンさんに力を貸しただけだ」
囚われていたキャメロンを休ませてやらねばならない。それに、ずっと墓地で立ち話をする訳にもいかない。
「じゃあ、帰るか」
気を失っている【新月の徒】の男たちを背景に、ジルフォードは本当に無事でよかった、と二人に笑いかけた。
収拾屋に帰ると、ジルフォードたちは泣きそうな顔のエレノアと怒ったようなロイスに出迎えられた。
「ご無事で何よりでしたわ」
キャメロンを見て、エレノアは涙をこぼす。キャメロンからすれば、初対面の相手にこんなにも心配されると思わなかったのだろう。少し戸惑っている。そして、エレノアの姿を見て、別の意味で衝撃を受けて戸惑っているのはファーマスだ。
(そりゃ、密偵だから知ってるか)
皇帝の密偵が、皇帝の隠された娘について知らないはずがない。目立つ容姿も相まって、もうエレノアが皇女であることは気づかれているだろう。
ジルフォードはどう誤魔化そうか…と思案するが、途中で止めた。ファーマスも、皇帝の密偵でありながら【新月の徒】と接触していたのだ。追及できる立場ではないだろう。おそらく、気付かないふりをしてくれる。恋人のためにも。
思った通り、ファーマスはエレノアにぎこちなくも笑顔を向けた。そして、ジルフォードに視線を移した。
「今日は休んだ方がいい。明日、少し話をしよう」
ジルフォードはファーマスにそっと耳打ちした。彼も彼で思うことがあったのだろう。ジルフォードの言葉に頷いた。
【新月の徒】の狙いが何だったのか。ファーマスなら何か知っているだろう。
「キャメロンっ!」
後ろから、息を切らして走ってきたのは、ゴルドンだ。ようやく、愛する孫娘の無事を自分の目で確認できたのだ。その目には、涙が浮かんでいた。キャメロンの方も、ゴルドンの姿を見て涙ぐむ。
「おじいさま! 心配かけてごめんなさい!」
祖父の腕に飛び込んでいったキャメロンを、ファーマスが柔らかな眼差しで見つめている。そんなファーマスに視線を向け、ゴルドンがきまり悪そうに言った。
「……お転婆な娘じゃが、よろしく頼む」
今回の件で、孫娘の命と比べれば結婚など些末なことだと痛感したらしい。ゴルドンはファーマスとも力強く握手を交わしていた。
「ジルさん、本当にありがとう」
そして最後に、ゴルドンはジルフォードに向かって深く頭を下げた。ファーマスも、感謝の言葉を口にして、キャメロンと一緒に頭を下げている。
「礼はいらない。だが、幸せになってくれ」
そう言って、ジルフォードは三人を笑顔で見送った。
ジルフォードは、感謝されたくて助けた訳ではない。
目の前に転がる小さなものでも、誰かに踏みにじられないよう守りたいという思いからだ。奪われようとする命があるのなら、守りたい。自分だけを守って、他人を見捨ててしまうこの残酷な世界で、自分はもう誰も見捨てたくはないから。
(エレノアのことも、守ってやりたい)
家族の感動の再会に、エレノアは号泣していた。
あの〈鉄の城〉で暮らしていたのに、随分と純粋に育ったものだ、とジルフォードは感心する。それに、誰かのために一生懸命になれる優しさを持っている。誰にも想像もできない生活を送ってきただろうに、他人のために笑うことができる。エレノアは、純粋で、真っ直ぐで、容姿だけでなくきれいな心を持つ娘だ。
しかし、ジルフォードに恋をしているという点だけは感心できない。
ジルフォードは二十八歳。エレノアは十七歳。この年の差を埋めるものは何もない。さすがに一回りも歳の離れた娘を恋愛対象にはできないだろう。はじめはそう思っていた。
(今日だって、何をするかと思えば……)
寝たふりをして色々と考え事をしていたジルフォードに近づいて、いきなり触れてもいいかと囁いてきた。エレノアがどんな行動をとるのか気になってそのままにしていたら、頬をむにむにと突つかれた。起きたら起きたで、至近距離で見つめてくるわキスしようとしてくるわでジルフォードは内心でおおいに慌てていた。子ども相手に心など動くはずもないと思っていたのに、どういう訳かかなり動揺している自分がいたのだ。
そんな時に、テッドからの手紙が届いた。
『男ばかりの職場って、本当に癒しがないよね。このままじゃ息がつまりそうだよ。できたら明日、可愛い女の子を紹介してくれないかな?』
という文章だったが、本来の意味はこうだろう。
――騎士たちの動きが活発になってきている。もう猶予はあまりない。明日、エレノアを迎えに行く。
エレノアをジルフォードのところに匿うように提案したテッドが、エレノアを迎えにくると言ってきたのだ。つまり、このままではジルフォードだけでは守りきれない事態になるかもしれないということ。そして、ああ見えて友人想いのテッドは、ジルフォードが巻き込まれないうちにエレノアを連れ戻そうとしている。
エレノアがどんな思いで〈鉄の城〉から逃げ出したのか、ジルフォードには分からない。そして、彼女の抱えるものも、何も知らない。
ジルフォードの目の前で、エレノアが微笑んでいる。
「ジルフォード様、話をしましょう」
覚悟を決めたエレノアの表情は、見惚れてしまうくらい美しい。これから語られる言葉がどんなものでも、ジルフォードはエレノアを守ると決めていた。
もう、自分が拾い上げた大切なものは決して手放さない。
『収拾屋』を始めた時から、この手が、腕が、身体が、背負えるだけのものをすべて背負う覚悟はある。投げ出したりしない。
(だから、エレノアも安心して俺にすべてを委ねればいい)
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