第14話 二人の行方
「ここが、ファーマスさんの部屋……」
ファーマスが借りていた部屋は、三階の端にあった。格安の宿屋だけあって、部屋は一間しかなく、風呂もトイレも共用で各部屋にはついていない。しかし、ファーマスの荷物は少なく、壁の方にまとめられていた。黒ずんだ壁には、カサカサと蜘蛛が這っている。
「それで、何を確認したかったんだ?」
部屋を見て、そのすたれ具合に感動していたエレノアに、ジルフォードが声をかける。
「私がいいと言うまで、黙って見守っていてもらえますか?」
ジルフォードの質問には答えず、エレノアは彼に一方的なお願いする。しかし、ジルフォードは黙って頷いた。
「ありがとうございます」
そう言って、エレノアは改めて部屋に向き直った。まずは、乱れているベッド。触れると、かなり冷たい。ついさっき起きて部屋を出て行った訳ではなさそうだ。
(ファーマスさんのこと、教えて……)
人間の記憶と違って、物の記憶はすぐに失われていく。よっぽど衝撃的な何かがないと、鮮明には視えない。
しかし、時間的には昨日今日のこと。きっと、このベッドは覚えているはずだ。ファーマスのことを。
ベッドの記憶を覗き、最初に見えたのは金茶色の髪だった。
長くて、ふわふわしたその髪は、女性のもの。しかも、ベッドに押し倒されている。女性を押し倒しているのは、幸せそうな顔をした男だった。肩まで伸ばした茶色の髪、深緑色の双眸を持つ、整った顔立ちの男。おそらく、この男がファーマスだ。そうなれば、ベッドに押し倒されているのはキャメロンだろう。二人とも、服は着ている。それも、遠出でもするのか、旅装姿だ。しかし、その雰囲気は甘く、色っぽいものだった。思わずエレノアが意識を記憶から手放そうとした時、異変は起こった。
突然、キャメロンを抱きしめていたファーマスが消えた。いや、突き飛ばされた。ファーマスを突き飛ばしたのは、顔を黒い布で隠した屈強な男。そんな男が、一人ではなく五人もいる。その剥き出しの腕には、【新月の徒】である証、黒い満月の入れ墨が彫られていた。突き飛ばされたファーマスを見て、キャメロンが泣き叫んでいるのが分かる。
ベッドに耳がないため、音声は再生されないが、その口の動きをエレノアは必死で読み取る。
――二人で仲良く駆け落ちの計画を立てていたところ、邪魔するぜ。
――もうこれ以上は待てない。鉄の城の情報を渡せ。さもなくば、この女を殺すぞ。
人質にされたキャメロンは、駄目だ、と首を横に振っている。
この様子を見るに、ファーマスは【新月の徒】の一員ではなく、〈鉄の城〉に関することで脅されているようだ。
――キャメロンは関係ない。離してくれ。
ファーマスは厳しい目つきで男たちを睨む。その手には、いつの間にか短剣が握られていた。よく見れば、ファーマスの身体は筋肉質で、かなり鍛えられている。
――さすが、冷酷非道な皇帝の密偵だけあるな。だが、ここでお前が【新月の徒】に密偵だと見抜かれたことが分かれば、お前は確実に消される。皇帝に消されるか、皇帝を消す側に回るか、どちらか好きな方を選べよ。
キャメロンの口を塞ぎ、ナイフを首もとに突きつけて、男はにやりと笑った。
心から彼女を愛しているのだろう、ファーマスの顔が苦悩に歪む。
そして。
――今すぐに、渡せるものがない。〈鉄の城〉の情報は、内部に入らなければ持ち出せないんだ。
――分かった。それなら、今夜、あの墓地で会おう。もちろん、女は情報と引き換えだ。
そう言って、五人の男たちはキャメロンを連れて部屋を出て行った。その後をファーマスは追いかけるが、一人の男に銃を向けられ動けず、愛しい恋人を【新月の徒】に連れ去られてしまった。
〈鉄の城〉に入り込むためには、夜よりも昼間が都合がいい。ファーマスは武装の準備をし、時が来るのを眠らずに待っていた。そうして青白い顔でキャメロンを想っていたファーマスの元に、早朝、ゴルドンが訪ねてきたのだ。
――キャメロンが昨日から帰って来ないんじゃ! お前のところにいるんじゃろう?!
――いえ、ここにはいません。ですが、そういうことなら私も彼女を探しましょう。
――あぁ、頼む。無事にキャメロンが戻ってきたら、お前との結婚にも反対はしない……。
孫娘のために必死なゴルドンは、早口にそれだけ言って背を向けた。
ファーマスがゴルドンに嘘をついたのは、キャメロンだけでなくゴルドンまでもを巻き込まないためだろう。
ゴルドンが去った後、ファーマスは怖いくらい真剣な顔でたたずんでいた。
「……なんて、こと」
記憶から意識を離し、エレノアは呟いた。
この記憶は深夜から今朝のもの。
つまり、キャメロンと情報の取引は、今夜行われる。
【新月の徒】が指定した場所は、『あの墓地』。
このままでは、二人が危ない。
いや、その前にファーマスは〈鉄の城〉の情報を外部に持ち出せるのだろうか。情報漏洩がバレれば、生きて帰れない。それも、彼は皇帝の密偵だというのだから。
今この時も、ファーマスは〈鉄の城〉で捕らえられているかもしれない。
「どうした?」
混乱するエレノアに、ジルフォードが声をかける。
「様子が変だな。何があった?」
「……キャメロンさんと、ファーマスさんが危険です。【新月の徒】に〈鉄の城〉の情報のことで脅されているようです。今夜、その取引がどこかの墓地で行われるはずです……」
あの二人を助けることができるのは、ジルフォードだけだろう。皇帝に忠誠を誓う騎士たちでは、ファーマスの味方になれない。エレノアは、今見た光景から得た情報をジルフォードに早口で告げる。
何故、ただファーマスの部屋に来ただけでそんなことが分かったのか。エレノアの言葉が真実なのか。ジルフォードの中には様々な疑問が湧いたことだろう。
しかし、彼はエレノアのすがるような目を見て薄く笑った。
「そんな顔をするな。二人は必ず助けられる。エレノアのおかげでな」
エレノアの頭に、ジルフォードの大きな手が乗せられる。優しく、安心させるように撫でられて、エレノアはくしゃっと顔を歪めた。
「信じて、いただけるのですか……?」
「当たり前だ」
そう答えた優しい声を、エレノアはずっと忘れないだろう。誰かから信じてもらえるということが、こんなにも嬉しいことだなんて、知らなかった。それも、愛しい人から向けられる信頼が、こんなにも胸を熱くさせるなんて。
「詳しいこと、他にも分かるか?」
エレノアは頷き、今視た
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