第12話 収拾屋の存在
グーゼフの町は、帝都から外れた南西にある。
この町にお金をかけてくれる貴族がいないため、道路や水道の設備はあまり整っていない。しかし、まともに管理されていないため、納税もいい加減である。つまり、皇帝のための高い税金を払わずとも生活できる町という訳だ。そのため、貧困者や犯罪歴を持つ者が多い。そうして他の土地で生活できなくなった者たちが流れてくるため、グーゼフの町は人口だけは多い。集合住宅はいくらあっても足りないし、路上生活をする人間のせいで道はどんどん埋まっていく。人が多いと、争いの種はどこにでもある。まともな法律は通用しないため、盗みや暴行は日常茶飯事だった――この町に、ジルフォードの『収拾屋』ができるまでは。
六年前、この無法地帯となっていたグーゼフの町にやってきた、蒼い髪の屈強な男。ボロボロの空き家を自ら改築し、どういう訳か『収拾屋』という看板を掲げた。そして、この町の人間全員に挨拶回りをした。ジルフォードが挨拶をした中には、もちろん犯罪者も含まれていた。ジルフォード相手に喧嘩を吹っかけたり、盗みを働こうとした者たちは皆、返り討ちにあった。しかし、そんな男たちにもジルフォードは「収拾屋をよろしくお願いします」と頭を下げたのだ。
誰一人、ジルフォードに敵わなかった。
その事実はあっという間に広まり、ジルフォードの強さはグーゼフの町にいる者すべての知るところとなった。そして、そんな最強の男が何かあれば力になると町人たちに言っていたのだ。今まで、弱者は泣き寝入りしかできなかった。しかし、虐げられていた者たちはジルフォードならばなんとかしてくれるかもしれない、と希望を持った。そしてその希望通り、ジルフォードは弱き者の味方だった。
ジルフォードの目が届く場所で悪事を働けば、拳ひとつと長い説教が待っている。そのことを皆が知っていたので、最悪だったグーゼフの治安はジルフォードの存在ひとつでかなり良くなった。
そして、そんなジルフォードが困っていると、町の人間たちのほとんどが彼に協力的になる。ジルフォードがギリギリの予算の中で生活できているのも、食材をタダで分けてくれたり、礼金をはずんでくれる人がいるからだ。ジルフォードに救われた者たちは皆、彼に恩返しをしたいと思っている。
グーゼフの町のみんなは、ロイスにジルフォードの武勇伝をたくさん聞かせてくれた。
しかし、何故このグーゼフに来たのか、何故収拾屋なるものをはじめたのか、グーゼフに来る前のジルフォードの過去を知る者は誰もいない。
それでもジルフォードは町民から慕われ、信頼されている。
この町を救い、守っているから。そこに、過去なんて関係ない。
ロイスは、そんなジルフォードの助手として働けていることに、誇りを持っていた。
そして今は、キャメロンの消息を確認するため、恋人の泊まっている安宿に向かっている。その道中も、ジルフォードは情報収集を怠らない。わざわざ人通りが多い道を選んで宿に向かっているのは、ある人物と接触するためだ。
「おや、ジルさんじゃないかぃ。今日はお店閉めてるの?」
通りすがりに声をかけてきたのは、噂好きのベリルおばさん。恰幅の良いベリルおばさんは、ジルフォードを見るといつも目をきらきらさせて、まるで乙女のような顔になる。
そんなベリルおばさんの噂をただの噂だと侮ってはいけない。輸入業を営んでいる旦那さんの手伝いで、ベリルおばさんは帝都のあちこちに仕入れにいったり、お得意の店に挨拶をしたりして、様々なところを回っている。その時に見聞きした情報は、どうでもいいものから重要なものまで様々だが、知りたいことはベリルおばさんに聞けばだいたい分かったりする。
しかし、誰にでも情報を公開する訳ではない。ただの主婦に見えて情報屋として名高いベリルおばさんの噂話は、けっこう値が張る。そして、ジルフォードはいつも何かあるとベリルおばさんの情報を買いにくる。
「依頼があってな。ゴルドンさんとこのキャメロンを探してるんだが、何か知らないか?」
「そうさねぇ……キャメロンの居場所は分からないけど、恋人の噂なら聞いたことがあるよ」
「何でもいいから、教えてくれ」
ジルフォードはベリルおばさんに金貨を数枚渡そうとする。しかし、その姿を見て、ベリルおばさんはチッチッと舌を鳴らす。
「違うでしょう? あたしにお願いする時はこれでしょ」
そう言って、ベリルおばさんは自分のふくよかなほっぺを指差す。
普通なら、報酬として金を渡すのだが、ジルフォードは特別待遇だ。なんと、無料で情報提供してくれる。しかし、そのためにはジルフォードがベリルおばさんの要求に応えなければならない。ジルフォードとしては、金で解決したいのだが、ベリルおばさんが金では口を開いてくれないのだ。
「いい加減、お金にしてやってくれよ」
ぼそっとロイスが呟くと、地獄耳のベリルおばさんに鋭く睨まれた。
一緒に連れて来たエレノアは、じっと黙って成り行きを見守っているが、何のことかさっぱり分かっていないだろう。
(というか、なんでこいつ連れてきてるんだよっ!)
ジルフォードの助手として、役に立てるのは自分だけだ。昨日今日拾われただけのくせに、ジルフォードを動かすエレノアが気に入らない。ロイスでさえ、はじめは家事だけで、仕事を手伝わせてくれるようになったのは一年を過ぎてからだったというのに。
ロイスがジルフォードに拾われてから、約三年が経つ。
過ごした年月で、ジルフォードのことはだいたい理解しているつもりだ。しかし、エレノアに対するジルフォードの表情や態度は、いつもと何かが違う。エレノアが何者なのか、ジルフォードに聞いても答えないし、何も聞くなと言われてしまえば、ロイスは何も言えなくなる。
フードで目立つピンクパールの髪を隠してはいるものの、その影から見える輪郭は滑らかで、エレノアの持つ美しさは隠しきれていない。
エレノアが気に入らない理由のひとつとして、その容姿があまりに美し過ぎる、ということもある。
初めて目にした時は女神か何かだと本気で思った。人間離れした美しさに、ロイスは恐怖さえ覚えたのだ。近づいてはいけない、と本能が悟り、ジルフォードから引き離そうとした。しかし、実際に話をしてみると、普通の少女だった。先輩として持ち上げられたことで気分を良くしていたが、エレノアを認めた訳ではない。拒絶するのをやめてやっただけだ。
悶々とエレノアを睨みつけていると、ジルフォードがすっと動いた。
ベリルおばさんのふっくらほっぺたに軽くキスをし、ジルフォードは耳元で囁く。
「なあベリル、俺のために教えてくれよ」
決められた台詞に、とりあえずの感情を込めてジルフォードが言った。
ジルフォードだけの特別待遇の条件は、『ベリルおばさんを口説きながらお願いする』ことだった。
(ジル、よくやったな)
内心でロイスはジルフォードに拍手を送る。ジルフォードは男のロイスから見ても文句なしにかっこいい。目を引く鮮やかな蒼色の髪、空のような群青色の双眸、精悍な顔立ち、鍛えられた身体、そのすべてが人を惹きつけずにはいられない。
そして、ジルフォードがベリルおばさんの頬に口づける光景を見て、エレノアは絶句していた。
彼女がジルフォードを好きで居座っていることは、丸わかりだった。それもまた、ロイスには面白くない。
ジルフォードがエレノアのような年下になびく訳がないと思いつつも、エレノアの容姿が容姿だ。それに、エレノアがとんでもない存在で、ジルフォードが断りきれない相手だとしたら……? ベリルおばさんなら、旦那もいるし、ただの戯れでおふざけだと分かるけれど、エレノアは違う。
しかし、これで少しはジルフォードに幻滅してくれればいい、とロイスは内心で思う。そうすれば、ジルフォードは自分だけを相手にしてくれるだろうから。
ロイスにとって、ジルフォードだけが居場所なのだ。生き別れた姉の所在はまだ不明だが、時々届く差出人不明の花つきの絵ハガキはきっと姉からのものだ。そう、ロイスは確信していた。ロイスを迎えに来られない事情があるのなら、仕方ない。どこかで元気にやっているなら、それでいい。だからこそ、ロイスはロイスで姉に心配かけまいと元気にやっていこうと思うのだ。
(ふん、ジルの助手は俺なんだからな!)
改めて、今回の依頼で役に立とうとロイスは気合を入れる。エレノアに手柄を取られたくない。ロイスの中では協力、という言葉よりも競争心が勝っていた。
そして、ジルフォードのほっぺキスを受けたベリルおばさんは、顔を真っ赤にして嬉しそうにジルフォードの耳元に情報を流す。
「実はね、キャメロンの恋人のファーマスは【新月の徒】と関わりがあるらしいの。真面目そうで、かわいい男の子なんだけどねぇ、【新月の徒】のメンバーと一緒にいるところを見たって人がいてね。まあ、今回の件と関わりがあるかは分からないんだけどねぇ」
「ありがとな。また、よろしく頼む」
「ふふ、それはもう、ジルさんの色気次第だわぁ」
両頬に手を当てて、ベリルおばさんは恥じらうように笑った。ジルフォードは遠い目で愛想笑いを返している。
「これ以上ジルに何をさせる気だよ! さ、もう行こうぜ」
ロイスはきっ とベリルおばさんを睨み、ジルフォードの手を引く。
「そ、そうですよ! ジルフォード様の唇を奪うなんて、なんて羨ましいっ……!」
ロイスに続いて、エレノアがベリルおばさんに抗議する。後半は、自分の願望が漏れていた。
「あらあら、かわいらしい子達ねぇ。でもね、これはあたしとジルさんの問題なのよ。お子ちゃまは引っ込んでなさいね」
ぽんぽん、とぷっくりと丸い手で頭を撫でられる。
「わ、私はもう十八になります! お子ちゃまじゃありませんっ!」
ロイスとまとめて子ども扱いされ、エレノアが反抗している。ここではじめて、ロイスはエレノアの年齢を知った。身長はロイスとあまり変わらないのに、歳は八つも離れていたのか。少し、いや、かなり衝撃だった。ジルフォードが子ども扱いするだろうから、問題ないだろうと思っていたが、十八といえば余裕で結婚できる歳ではないか。
「だったら、ジルさんにキスさせたいと思う女になるこった」
そう言うと、ベリルおばさんはひらひらと手を振って人混みに消えて行った。
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