第10話 【新月の徒】
「それにしても、本当に【新月の徒】は女子ども見境なしに襲うんだな」
ロイスの声に怒りが滲む。
「【新月の徒】は、何がしたいの?」
エレノアは、侍女たちの噂話の中でしか、【新月の徒】を知らない。人々を苦しめているというのなら、賊の討伐に少しでもエレノアの視た記憶を役に立てたいと思う。
エレノアのように救われた者ばかりではないはずだ。同じように怖い思いをする人がもう現れないように、エレノアにできることをしたい。
皇帝が抑えきれていない賊、という意味でも、皇女としてこの国を守りたい。隠され、存在すら消されているエレノアだが、間違いなく、正統な皇女だ。皇帝の娘だ。自分には、その責任がある。もうすぐ、“悪魔の花嫁”として生贄になるとしても。
「俺もあんまり詳しくないけど、【新月の徒】は人ならざるモノを排除して、この大陸の宗教を全否定している連中だ」
ロイスの言葉に、エレノアは〈鉄の城〉での教育を思い出す。
――人類は、レミーア神があたたかな太陽の光で地上を照らした瞬間から生まれました。太陽の位置が変わるのは、レミーア神が地上に住む人間すべてを見守っているからなのです。夜になれば、月の化身であり、レミーア神の双子の妹であるルミーア神が地上を休ませてくれています。この二人の神が地上を見守ってくれているから、この世界は均衡を保っているのですよ……。
頭に浮かんだのは、家庭教師としてエレノアに様々なことを教えてくれた女官の言葉。彼女は、他の侍女たちのようにエレノアを避けたり、感情を殺したりはしなかった。しかし、エレノアが心を許してしまったから、外を知りたいと思ってしまったから、彼女はエレノアの側から消えた。
カザーリオ帝国は、大陸の西側に位置する。東側の国々も、同じようにレミーア神を信仰し、レミーア暦を使っている。同じ神を信仰しながらも、東西で戦争を繰り返しているのは、その神に対する考え方の違いからである。
カザーリオ帝国をはじめとする西側の国々は、レミーア神のみが絶対であり、レミーア神の教えに従うことこそが正しいという考えを持っている。
それに対し、ヘンヴェール王国やブロッキア王国などの東側の国々は、レミーア神は世界創造の神であるが、レミーア神は人間の自由を見守ってくれる、という考え方だ。
どちらかと言えば、エレノアは東側の国に生まれたかった。神の教えに従う、など古臭い考えだ。そもそも、その神と人間はどうやって対話をするというのだ。信仰とは矛盾ばかりで、エレノアはあまり好きにはなれなかった。
そして、その信仰と深く関わりを持つ犯罪組織が【新月の徒】だとロイスは言う。
「新月の夜は、レミーア神の太陽の力も、ルミーナ神の月の力も失われる日だとされている。だから、【新月の徒】はレミーア神を信仰するこの国の人たちを襲って、自分たち人間が神を必要としないほどの力を得る者だと示そうとしているんだ」
「神を、必要としない力……?」
それは、とても魅力的な言葉に聞こえた。神と悪魔は、エレノアにとっては同じような存在だ。神の力に頼ることも、悪魔の力に頼ることも、その人間の心次第では善にも悪にもなるだろう。だから、自分でコントロールできない力など、ない方がいいのだ。自分にできることをして、できないことは他人に頼ればいい。そうして、人間は支え合って生きているのだ。それを、手っ取り早く得体の知れないモノの力に頼ろうとするから、混乱が生まれ、世界の均衡が崩れていくのだ。
「本当に神に守られているなら、【新月の徒】は罰せられるはずだと、もっともな理由をつけてるみたいだけど、結局は人身売買とか強盗まがいのことしかしてない。立派なのは口だけで、あいつら崇高な考え方なんて持っていないんだ。でも最近はジルが見回りを強化してるから、【新月の徒】も随分大人しくなってきたみたいだけど」
自分のことのように、ロイスが得意気に言う。
そういえば、エレノアが襲われていたところに遭遇したのも、彼が見回りをしていたからだ。ジルフォードがいなければ、今頃エレノアは売られていたかもしれない。いや、売られるだけならばまだいい。もし、エレノアが皇女だと知られでもしたら、状況はもっと悪くなっていたかもしれない。
「でも、どうしてジルフォード様は用心棒みたいな真似をしているの? 帝国軍の騎士がいるのに……」
「ここは帝都の外れ、グーゼフの町だからな。軍の目も届かない場所が多いんだ。ま、【新月の徒】を捕らえるよりも、軍は次の遠征のための準備で忙しいみたいだけどな」
民を守ることより、皇帝は権力を広げることしか考えていない。つい一年前に西大陸を統一したばかりだというのに、もう次の軍事遠征に行くのか。血も涙もない、冷酷非道な皇帝、その人がエレノアの実の父だなんて。信じたくない。
「また、戦争が始まるのね……」
「あの戦争好きな皇帝を止めるには、殺すしかないんじゃねぇのか」
ロイスの言葉は、きっと国民の皆が思っていることだろう。そして、エレノアの中にもその考えはある。父を止めて欲しくて、〈蒼き死神〉を探していたのだから。しかし、平穏を手にしたジルフォードに、皇帝を相手にしろなんて言える訳がない。エレノアは、ジルフォードに会えて、側にいられるだけで幸せだ。
「そう簡単に人を殺すなんて口にするな」
いつの間に帰ってきていたのか、ジルフォードがロイスの背後に立っていた。
そして、ロイスを咎めるように、その小さな頭に軽くげんこつを落とす。
「ってぇな……悪かったよ」
ジルフォードに対しては反抗しつつも、ロイスはとても素直だ。ジルフォードの決定には従うし、彼のために家事全般をこなす。
「それで、ここで何をしてるんだ? 開店までまだ時間があるぞ」
「こいつが、収拾屋の手伝いがしたいって言うから色々教えてやってたんだ」
ロイスが胸を張って答える。そんなロイスの頭にぽんと大きな手を乗せて、ジルフォードが軽く笑う。
「そうか。ちゃんと面倒みてくれてんだな」
偉いぞ、と褒められたロイスはとても嬉しそうだ。エレノアもジルフォードに褒められたい。
「私にできることならなんでもしますから、どうかお手伝いさせてください!」
エレノアは、勢いよく頭を下げた。救われた礼も、側においてくれる礼も、何もできていない。もう残り少ない時間の中で、エレノアは精一杯ジルフォードに礼を返したい。
「その気持ちは有り難いが、今は怪我を治すことに専念しろ。仕事はその後だ。いいな?」
脅している訳でも、怒っている訳でもないのに、ジルフォードの言葉には有無を言わさぬ力があった。エレノアにできることは、頷くことだけだ。
(うぅ、ジルフォード様、優し過ぎますわ!)
ジルフォードは、エレノアを気遣ってくれている。それが分かるから、尚更役に立たなければと思うのだが、今は彼の言う通り大人しくしていよう。しかし、ただ大人しくしていてもつまらない。それに、もう一人で部屋に籠るなんて絶対に嫌だ。
「ジルフォード様、大人しくしていますから、ここで見学していてもいいですか?」
先程のジルフォードの言葉に、不思議な圧力があったのと同じように、エレノアのきらびやかな容姿で微笑めば、相手の毒気を抜いてしまうことがあるのだとエレノア自身は気付いていない。そして、本人が無自覚だからこそ、破壊力は増すというもの。駄目だと言おうとしたジルフォードの口は、エレノアの必死な瞳を見て肯定の言葉を吐いてしまった。
「分かった。見ているだけなら」
そうして、エレノアは収拾屋の店主から正式に見学の許可を得たのである。
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